散歩の時に見つけた!

東京都内を散策しますが、こんな所にこんなものがと再発見します。写真を添えて紹介します。

め組の喧嘩(浅草奥山)

2014-08-11 06:02:31 | 日記
    

つくばエクスプレス浅草駅から奥山参道へ、商店街のシャッターの「め組の喧嘩」。いろい

ろと説がありますが、文化2年(1805)1月芝明神社で火消しの「め組」と相撲取りの大

喧嘩があって、多数の逮捕者を出す大騒ぎとなりました。  

 火事と喧嘩と相撲取りの三拍子がからんだ事件となって、江戸っ子の血を騒がせます。そう

なると講談、芝居、錦絵となるわけで、江戸の巷を賑わせて現代まで語り継がれています。こ

の絵は歌舞伎の「め組の喧嘩」で、さしむき市川団十郎と尾上菊五郎ですかね。

田谷力三(オペラ歌手)

2014-08-10 06:05:28 | 日記
     

田谷力三(たやりきぞう・1899~1988)は、大正から昭和にかけて人気のオペラ歌

手です。正統派のテノール歌手で、浅草演芸界の花形として多くの人々に愛されました。また

田力(でんりき)という愛称でも知られ、東京神田の生まれで十八番は「恋はやさし」です。

 つくばエクスプレス浅草駅、エスカレーター壁面には田谷力三の他にも、沢田正二郎(新国

劇)、作家の池波正太郎氏など浅草ゆかりの人々の肖像が飾ってありますが、エスカレーター

は動きますので、行き過ぎてしまうので残念です。  

    恋はやさしの一節

 恋はやさしい 野辺の花よ 夏の日のもとに 朽ちぬ花よ 熱い思いを胸にこめて 

 疑いの霜を 冬にもおかせぬ わが心のただひとりよ  

夏目漱石 錦華に学ぶ

2014-08-09 06:05:03 | 日記
     

      

 千代田区猿楽町の錦華小学校(現お茶の水小学校)の前に夏目漱石の碑があります。碑文に

は「吾輩は猫である 名前はまだ無い 明治十一年 夏目漱石 錦華に学ぶ」とあります。明

治11年、漱石は市谷小学校から錦華小学校に転校して学びました。  

      錦華公園

 お茶の水ホテルから坂道を下ると「錦華公園」があって、親子連れが2~3組遊んでいまし

た。おじさんも数人休憩しています。猫の額のような小さな公園が喫煙所になつてます。公園

の前の猿楽通りから靖国通りに向かうと、小学校の前に「漱石の碑」がありました。吾輩は猫

である・・も、至るところに足跡を残していますね。

浅草見附跡(台東区)

2014-08-08 06:02:17 | 日記
    

       

 神田川に架かる浅草橋を南(中央区)から北側(台東区)へ渡った所に「浅草見附跡」があ

ります。江戸幕府は、主要道路の重要地点に櫓・門・橋などを築きました。奥州街道が通るこ

の地は、浅草観音への道筋に当たることから築かれた「浅草御門」と呼ばれ、警護の人員を配

置したので、浅草見附と呼ばれました。

     柳橋の向こうは隅田川

 寛永13年(1636)に神田川に架けた橋は、浅草御門橋と呼ばれましたがいつしか「浅

草橋」になりました。橋の上から東を見れば、柳橋から隅田川です。現代でも交通の要衝で、

千葉方面へ東西をつなぐ総武線が走り、浅草橋駅があります。

暦は立秋

2014-08-07 06:05:18 | 日記
    

       

 暦は立秋ですが、蝉の大合唱は益々元気、朝顔もコンスタントに咲いてくれます。加賀千代

女が「朝顔や つるべ取られて もらい水」と詠みましたが、釣瓶を使う井戸は最近は見かけ

ませんね。空には入道雲が湧き出ていますが、いくらか青色が秋色になったでしょうか。昔は

夕立があって夕涼みができましたが。  

    

 蓮池には綺麗な花が咲いています。夏目漱石は「ほのぼのと 舟押し出すや 蓮の中」と詠

んでいます。仏教では、西方浄土の極楽は神聖な蓮の池と信じられているそうで、お寺の境内

に蓮池を造って植えるようになったといいますね。そういえば、精進揚げには欠かせないのが

蓮の天麩羅ですが。食欲が出てきましたです。