新宿区と中野区の境を流れる神田川に架かる、青梅街道上の橋です。説明板によると、古くか
らあるこの橋は、昔は「姿見ずの橋」とか「いとま乞いの橋」といわれていたといいます。このあた
りで中野長者といわれていた鈴木九郎が、自分の財産を地中に隠す際、他人に知られることを恐
れ、手伝った人を殺して神田川に投げ込みました。
九郎と橋を渡る時には見た人が、帰るときには姿が見えないことからその名がついたいわれま
す。江戸時代初めに鷹狩のためにこの地を訪れた将軍家光はこの話を聞き、「不吉な話でよくな
い、景色が淀川を思い出させるので淀橋と改めるよう」に命じ、これ以降、その名が定まったそう
です。なーるほどです。(写真Mr麹町)
大正9年(1920)8月に、成子天神社境内にあった天神山という小山に富士山の溶岩を配して
築かれたもので、区内で最後に築かれた富士塚です。高さは約12メートルあり、区内で最大の規
模となっています。塚の北側には浅間神社の小祠があります。富士塚は江戸時代中期より、江戸
庶民の間で盛んになった富士信仰の遺跡です。
浅間神社は、富士山の神様、木花咲耶姫命(このはなさくやひめ)。木花(桜の花)のように美しい
女神で、作物育成や子宝・安産・縁結びの神として崇められています。鳥居をくぐった右側には
木花咲耶姫命像があります。以前は頂上にありましたが、2011年3月11日の地震で北側斜面
に落下して、浅間神社前に立て直されたものです。(写真Mr麹町)