散歩の時に見つけた!

東京都内を散策しますが、こんな所にこんなものがと再発見します。写真を添えて紹介します。

湯島 切通坂

2014-07-31 05:55:30 | 日記
    

      

 御府内案内に「切通は天神社と根生院との間の阪なり、是後年往来を開きし所なればいうな

るべし。本郷三、四丁目の間より池の端、仲町へ達する便通なり」とある。湯島の台地から御

徒町方面への交通の便を考え、新しく切開いてできた坂なのでその名がある。初めは急な石こ

ろ道であったが、明治37年(1904)上野広小路と本郷三丁目間に、電車が開通してゆる

やかになった。とあります。  

     今も残るガス灯です

 映画の主題歌、湯島の白梅に「青い瓦斯灯境内を 出れば本郷切通し」で、坂の名は全国的

に知られるようになりました。石川啄木は「二晩おきに夜の一時頃に 切通の阪を上がりしも

勤めなればかな」の歌を残しています。当時は、本郷の理髪店二階に間借りしていた啄木が、

勤務していた銀座の新聞社へこの坂を通っていたのですね。

経王寺の弾痕(西日暮里)

2014-07-30 06:03:00 | 日記
    

       門扉の弾痕

 天王寺の五重塔跡から北へ、JR日暮里駅から西への坂道を隔てたところのお寺です。慶応

四年(1868)上野戦争の時に、敗走する彰義隊士をかくまったため新政府軍の攻撃を受け

て、門扉のほか境内には今も銃弾の痕が残っています。  

     

 経王寺(きょうおうじ)は日蓮宗の寺院で山号を大黒山と称します。明暦元年に当地の豪農

冠勝平(かんむりかつへい)が要詮院日慶のために寺地を寄進し、堂宇を建立したことに始ま

るといわれています。本堂の隣の大黒堂には、日蓮上人の作と伝えられる大黒天が鎮守として

祀られており、地域の人々の崇敬を広く集めています。

土用の丑の日・鰻

2014-07-29 06:05:02 | 日記
    

 暑くなると息子どもは「丑の日の鰻」を子どもの頃から楽しみにしていた。この日は特別に

我が家の大蔵大臣が、財布と相談しながら庶民のゼイタクを許可してくれたのである。昔は、

年一度のこの日が楽しみであったものだ。今のように近所のスーパーで何時でも売っているし

ろものでなかったからである。  

 近年、ウナギは絶滅危惧種と言われ「丑の日のウナギ」はピンチだという。どう見ても獲り

過ぎ、食べ過ぎである。年一度の楽しみであった頃は、極端に言えば近所の小川でも獲れたも

のだが、あれほど大量に養殖しても、絶滅危惧?といわれるくらい食べ尽くしてしまうのだか

ら当然でしょう。食べる方も売る方も少しは遠慮してはどうでしょうかね。そうすれば直ぐに

解決すると思いますがね。如何でしょう。

白鵬V30なる(名古屋場所)

2014-07-28 06:06:01 | 日記
      NHKTV

     

大相撲名古屋場所は「やっぱり白鵬」でけりがつきました。最後までついてきた琴奨菊が豪

栄道に負けて3敗となりましたが、カドバン脱出の勢いをそのまま千秋楽の優勝争いまでがん

ばりましたね。最後まで暑い戦いの名古屋場所でした。
 

 関脇の豪栄道が12勝を挙げて大関昇進を確実にしたようですが、見事なものてした。終盤

まで優勝戦線にいた高安は11勝4敗、妙義龍も11勝4敗と健闘しました。ベテラン豊ノ島

は10勝5敗。馬力の大砂嵐は7勝8敗、遠藤は千秋楽に勝ち越しを決めた。大関稀勢の里は

クンロク9勝6敗に終わったのは残念でした。

天王寺五重塔跡(台東区谷中)

2014-07-27 06:07:28 | 日記
    

       

 谷中の天王寺は、天保4年(1833)尊重院から改称されました。都教育委員会の説明に

よると、最初の五重塔は、寛永21年(1644)に建立されましたが、130年ほど後の明

和大火で焼失しました。19年後の寛政3年に近江国の棟粱八田清兵衛さんら48人によって

再建された五重塔は、幸田露伴の小説「五重塔」のモデルとして知られています。  

 総欅造りで高さ34メートル余は、関東で一番高い塔でした。明治41年(1908)東京

市に寄贈され、震災・戦災にも耐えて谷中のランドマークになっていましたが、昭和32年7

月(1957)放火によって焼失しました。明治3年の実測図が残っており、復元も可能であ

るとか。2~3年前にも再建祈願があったようです。中心礎石から舎利塔や金銅製経筒など発

見され、東京都指定史跡になっています。