散歩の時に見つけた!

東京都内を散策しますが、こんな所にこんなものがと再発見します。写真を添えて紹介します。

大相撲に怪物(九月場所)

2014-09-30 06:05:06 | 日記
     

         歓声に応える白鵬

 15日間で満員御礼が14回は近頃快挙である。これは殊勲・敢闘の両賞を受けた逸の城の

存在が大きかったのは確かだと思う。白鵬の31回目の優勝も素晴らしいが、この怪物の快進

撃を阻止して、流石は横綱と満員の場内を沸かせた相撲も見事と言うほかはない。白鵬に言わ

せれば「なーに 横綱だから勝って当たり前だよ」だろうけれど、大関2人横綱1人が枕を並

べて討ち死にしただけに「壁の役割を果たした」ことは間違いないですね。  

      

 解説の北の富士さんも、素晴らしい素材の力士が出て来て嬉しいけれど、他の先輩力士しっ

かりせい・・と言いたいね・・でした。なにしろ大関3人のうちクンロクが2人、勝ち越しが

やっとが1人ですから、全く「しっかりせい」ですよ。合理的な稽古は勿論だが、どうしたら

勝てるかという研究心がなければダメですね。40歳の旭天鵬が8勝7敗、35歳の安美錦が

10勝5敗で6度目の技能賞はよくやったです。日本相撲協会はモンゴル力士で成り立ってる

と言われないように、「大和魂」で頑張ってほしいですね。写真はNHKTV

水と緑の奥多摩湖(奥多摩町)

2014-09-29 06:02:16 | 日記
    

        

 奥多摩湖は正式名は「小河内貯水池」といいます。湖畔には様々な見どころ・観光施設があ

り、首都圏のオアシスとして親しまれています。ここは、東京都の貴重な水源で、総貯水量は

1億8000万トン、都民の利用する水の約2割を供給しているといいます。木々や周囲の山

を映す湖面は静寂に満ち、新緑、紅葉など四季を鮮やかに演出してくれます。  

    

       

 湖畔の小河内ダムサイドに建つ「水と緑のふれあい館」は、郷土の歴史と文化、都民の水源

池である奥多摩の豊かな自然や、ダムの仕組み、水の大切さなど、3Dシアターやビデオなど

で、わかりやすく紹介しています。館のマスコット「くりん」と一緒に水の旅を体験し、水に

関する問題について考えることが出来ます。(写真はミスター麹町)

檜原温泉・数馬の湯(東京都西多摩郡)

2014-09-28 06:08:07 | 日記
    

       

 東京都西多摩郡檜原村、都民の森近くの檜原温泉センター数馬の湯です。標高650mにあ

るこの「数馬」の地名は、1338年頃の南北朝時代に南朝に敗れてこの地に土着した、八王

子本拠の横山党・中村数馬に由来するといいます。温泉名は檜原温泉で地下1200mより、

25.1度C温泉が毎分27リットル湧出、湯船には湯口より数十分おきにドバトバと温泉投

入があるといいます。山歩きの人も立ち寄り湯としてよく利用するそうです。  

      檜原都民の森

       

 説明によると、温泉の泉質はアルカリ性・低温泉で適応症としては神経痛、筋肉痛、五十肩

などこわばり、うちみ、疲労回復など。食堂は休憩室を兼ねています。メニューは地元物産の

手作りと冷凍ものなど。自分の好きな所で好きなようにくつろげるところがよろしい・・と評

判です。ミスター麹町からお酒風味の酒まんじゅうが届きましたよ。

アクセスはJR武蔵五日市駅西東京バスで「数馬行」約60分といいます。 

マナーポスター(東京メトロ)

2014-09-27 06:10:00 | 日記
     

          

 「どうぞの えがおが すてきだよ」と ミテルちゃんがブラボーと喜んでいますね。今回

は羊さんが、お歳を召した山羊さんに席を譲っているところですね。となりには子どもを抱い

たおさるさんがにこにこしていますよ。  

 こういう風景は気持がいいですね。下の方には、ご高齢な方、お身体の不自由な方、妊娠さ

れている方などへ優先席をおゆずりください。と書いてありますね。

川口松太郎句碑(浅草神社)

2014-09-26 06:05:12 | 日記
     

        

 「生きるということむずかしき 夜寒かな」という句碑があります。説明板は以下の通り。

 昭和32年10月1日浅草今戸に生まれる。昭和10年第一回直木賞受賞の「鶴八鶴次郎」

を初めとして小説脚本に名作多く、文壇劇団に多大な足跡をしるす。特に新派俳優花柳章太郎

水谷八重子等によって演じられた、情緒豊かな諸作品は観客を魅了す。=中略=  

 最晩年渾身の筆で連載小説「一休さんの門」を脱稿後昭和60年6月9日永眠す。行年85

歳。三回忌に因み故人の終生の師久保田万太郎の傍らに同じく句碑を建てて逝者を偲ぶ。昭和

62年6月9日 浅草観光連盟他 とあります。