散歩の時に見つけた!

東京都内を散策しますが、こんな所にこんなものがと再発見します。写真を添えて紹介します。

大山寺の宝篋印塔

2016-03-31 06:05:05 | 日記

        宝篋印塔

         

 地上高約11メートル、青銅造りの宝篋印塔は、日本国中稀に見る精巧な塔といわれます。こ

の宝篋印塔は一功如来心秘密全身舎利 宝篋印陀羅尼経に依って建立するものとされます。

 寛政7年(1796)旧大山寺境内に建立。大正3年現境内に再建されました。香花を供えて右

回りに3度回ると願いが叶うといわれます。    

       

          

 厄除名所の「かわらけ投げ」があります。かわらけは厄除けと書かれた直径6センチの土器

で、土にすぐ戻る素材です。これをガケ下に向けて投げると、厄除けに効くだけでなく、ガケ下

に直径2.5メートルの福輪があり、その中をくぐれば幸運をもたらすとされています。このはな

し各所の神社・仏閣にあって、高所から谷に向けて土器を投げる「噺」は、古典落語にもあって

ベテラン落語家によって語られていますね。(写真Mr麹町)


雨降山大山寺(伊勢原市)

2016-03-30 06:06:58 | 日記

      

            

 神奈川県伊勢原市の大山(おおやま)は、古くから山岳信仰の対象として知られています。ま

た山上によく雲や霧が生じて、雨を降らせることが多いので「あめふり山」とも呼ばれ、雨乞い

の対象としても知られています。    

       

          

 大山寺は天平勝宝7年(755)、奈良東大寺の東方願寺となった古刹で、通称「大山のお不

動さん」として親しまれています。中世以降は大山寺を拠点とする修験道(大山修験)が盛んに

なり、源頼朝をはじめ、北条氏・徳川氏など武家の崇敬を受けました。     

      

ミスター麹町も「大山詣で」で修業したかに思います。写真と一緒に、美味しい「大山まんじゅ

う」が届きました。


ワシントンから里帰り桜(足立区)

2016-03-29 06:07:12 | 日記

      

           

 千住大橋の北詰、橋戸小公園に「里帰り桜」が咲いています。説明によると足立区江北の一帯

は、昭和初期まで「荒川の五色桜」と呼ばれる桜の名所でした。いろいろな品種の桜が植えら

れていて、花の季節には白や黄色、淡紅や濃紅色などに彩られ、五色の霞がたなびくように見

えたといいます。    

 明治45年、当時の東京市長尾崎行雄は、日米友好の証として「荒川五色桜」の苗木12品

種3千本を、アメリカの首都ワシントンに贈りました。現在市内のポトマック公園は世界的な桜

の名所となっています。足立区では、「五色桜」を復活させるために昭和56年2月、ポトマック

公園の桜35品種3千本の里帰りを実現しました。以来、苗木を増やし区内の公園や学校に植

えて、貴重な「里帰り桜」を大切に育てています。


経王寺(西日暮里3丁目)

2016-03-28 06:01:20 | 日記

       

          

 山号を大黒山と称します。明暦元年(1655)に当地の豪農 冠勝平(かんむりかつへい)が、

要詮院日慶のために寺院を寄進し、堂宇を建立したことに始まるといわれています。本堂の隣

の大黒堂には、日蓮上人の作と伝えられる大黒天が、鎮守として祀られており、地域の人々の

崇敬を広く集めています。    

        山門には弾痕が

 慶応四年(1868)の上野戦争に敗れた彰義隊士がここに隠れたため、新政府の攻撃を受け

ました。天保7年(1836)建立の山門には銃撃を受けた弾痕も残り、当時の激しさを今に伝え

ています。

       白鵬が4場所ぶり優勝

      

 大相撲大阪場所で、横綱白鵬が4場所ぶりに優勝しました。初日に黒星で奮起したのか、

以後は白星を重ねて14勝で36度目の賜盃を受けました。今場所は稀勢の里、豪栄道の

大関二人が頑張って場所を盛り上げましたが、あと一歩でした。なんと言っても関脇・小結

が黒星続きで残念でした。  


本行寺(西日暮里3丁目)

2016-03-27 06:01:35 | 日記

      

 ここも開花宣言ですね。江戸時代から観月の地として有名だったので「月見寺」とも呼ばれ、

江戸の粋人たちに好まれたようです。開基は太田道灌の孫の太田大和守資高で、江戸城内

の平河口創建されましたが、神田・谷中を経て宝永6年(1709)に現在地に移転しました。

       

                道灌物見塚跡       小林一茶句碑

太田道灌が斥候塚を築いたので「道灌物見塚跡」の石碑はじめ、様々な史蹟があります。小

林一茶の「陽炎や 道灌どのの 物見塚」の句碑などが、訪れる人々の目を引きます。