散歩の時に見つけた!

東京都内を散策しますが、こんな所にこんなものがと再発見します。写真を添えて紹介します。

枕 橋 (北十間川)

2014-03-31 06:37:34 | 日記
    

       

 北十間川が隅田川に流れ出る河口に架かる枕橋は、千住方面に通じる墨堤通りを南北に通す

小さくても重要な橋です。この水門は、台風などによる高潮や異常潮位が発生する恐れがある

場合、また地震の時の津波など緊急時に閉鎖して水害を防いでいます。  

      水戸屋敷跡の公園

 橋の北側には旧水戸藩下屋敷跡を利用した広い公園があります。江戸時代は蔵屋敷として使

われ、維新後は水戸家の当主が関東大震災まで住み、あの徳川慶喜さんも立ち寄ったといいま

す。時代劇大好き人間は、小説・鬼平犯科帳で、長谷川平蔵が見回りの途中に枕橋畔の蕎麦屋

で、盗賊・蛇の平十郎と出会うシーンを思いおこします。

恵林寺 武田不動尊

2014-03-30 06:26:01 | 日記
     武田不動尊

        石庭

 本堂から「うぐいす廊下」を抜けると、明王殿があって「武田不動尊」が安置されいます。

 信玄が31歳のとき、比叡山より大僧正の位を受けた際、記念像として京都より仏師である

斎藤康清を招き、対面で模刻させたという等身大の不動明王です。信玄生前の制作であること

から、信玄生不動ともよばれています。  

      信玄の墓

 明王殿の裏には信玄の墓があります。1521年生まれで16歳の時、晴信と名乗り39歳

で出家し信玄(僧名)と号します。1573年4月12日に病気にて死去。後に快川和尚の導

師により恵林寺で葬儀が行われており、現在でも、恵林寺では4月12日に信玄忌として毎年

供養が行われています。信玄の墓の後ろには武田家臣の供養塔が約70基並んでいます。  

     吉保の墓

 家康が恵林寺再建の後は、五代将軍綱吉の側近となる柳沢吉保が、信玄の法要を行うと共に

寺内の修復を行いました。柳沢家は吉保の子である吉里の代に吉保夫妻の墓を永慶寺から恵林

寺に改葬しています。寺内には正室定子の墓塔と共に並んでいます。(写真・ミスター麹町)

乾徳山恵林寺(甲州市)

2014-03-29 06:10:18 | 日記
     三門

       

 恵林寺は1330年に夢窓国師によって開かれ、武田信玄が菩提寺と定めた古刹です。この

三門には、天正10年(1582)織田軍に攻められて、ここに潜伏保護されていた者達を引

き渡さず、その者達もろとも焼き殺された快川和尚(かいせんおしょう)の「安禅必ずしも山

水を須いず 心頭滅却すれば火も自ら涼し」という壮絶な最期の句が掲げられており、県の文

化財にに指定されています。後に徳川家康によって再建されました。

     うぐいす廊下

        

 これは本堂の「うぐいす廊下」です。歩くと音がする、うぐいす張りと呼ばれ外敵の侵入を

拒むと言われる廊下と「風林火山」の屏風。(写真はミスター麹町)

甲州銘菓 「信玄桃」

2014-03-28 06:15:18 | 日記
    

 ミスター麹町から小包が来ました。山梨へ行ったと聞いたので、甲州ぶどうかな と思いま

したが、美味しい「信玄桃」でした。写真で見ると美味しそうな「桃」ですが、直径4センチ

メートルのお饅頭なんです。  

 同封のパンフレットを読むと、山梨県の名産品である桃、それをテーマに、見た目も、包装

も、地元の桃出荷のパッケージそっくりに作った、可愛らしい山梨を代表するお土産菓子です

とあります。たしかに色や形はもちろん、桃の産毛まで本物そつくり、びっくりしながら濃い

お茶で戴きました。ごちそうさん デス。

山の宿の渡し(浅草花川戸)

2014-03-27 06:23:08 | 日記
     山の宿渡碑

       現在の枕橋

 台東区の説明によると、明治40年(1907)発行の「東京市浅草区全図」は隅田川に

船路を描き、「山ノ宿ノ渡、枕橋ノ渡トモ云」と記入してある。位置は吾妻橋上流約250

メートル。浅草区花川戸河岸・本所区中ノ郷瓦町間を結んでいた。花川戸河岸西隣の町名を

「山ノ宿町」といったので、渡の名はその町名をとって命名。別称は、東岸船着場が枕橋畔

にあったのにちなむ・・とあります。  

 東京スカイツリー下を東西に流れる北十間川が、隅田川と合流する地点近くに枕橋がありま

すが、その上流の隅田公園は、江戸中期頃から墨堤と呼ばれました。なんでも八代吉宗将軍は

ここへ多数の桜の木を植えて、江戸庶民の「行楽地」としたといいます。花見の季節には多勢

の人々が来て「土手を踏み固める」ので堤が頑丈になる。同時に御府内から渡し舟で川を渡る

ので船頭も儲かると、ここまで計算したかどうかは分かりませんが。隅田川の両岸はたいへん

な賑わいだったといいますね。