散歩の時に見つけた!

東京都内を散策しますが、こんな所にこんなものがと再発見します。写真を添えて紹介します。

大はしあたけの夕立

2014-01-31 06:36:06 | 日記
     

 歌川広重の名所江戸百景の一枚ですが、あまりにも有名、先日東京メトロ半蔵門線錦糸町駅

で発見。大川(隅田川)に架かる「大はし」で、降りだした夕立に慌てた人々が走る姿が描か

れていますね。雨の線が素晴らしいとか、上空を覆う黒い雲がいいとか、いろいろな論評があ

ります。(現新大橋)  

     

 数えて見ると7人が橋の上、筏を操る船頭と8人がいますが、手前の2人のご婦人がいいで

すね。雨に濡れないように、着物の裾をまくりあげ、傘を斜めに家路を急ぐ。その赤い蹴出し

がアクセントになっていますよ。一緒に見ていたおじさんは「白い脛がいいよ 後ろの男の褌

とは天地の差だよ」と言いたそうな顔でした。  

 大はしの河岸に安宅船を係留していたのでこの辺りを「あたけ」と言ったそうです。

八幡神社(西浅草2丁目)

2014-01-30 06:13:08 | 日記
    

       

 田原町駅の北側、国際通りから一本西の通りに八幡神社があります。由緒書によると「御祭

神は応神天皇なり。元禄13年(1700)8月9日、田島山快楽院誓願寺に於て豊前の国(大分

県)宇佐八幡宮の御霊分神をこの地に御奉還す。爾来、旧浅草田島町の鎮護としてお祭りす。平

成2年氏子総代渡辺留三郎 (百歳)」とあります。  

 続いて、昭和20年3月9日夜戦火に依り灰塵と帰するも、地域住民有志の浄財寄進にて昭

和24年2月再建、更に昭和47年近代的コンクリート造りの社殿、社務所が完成し現在に至

る・・と結んでいます。ここのお祭りは町内の住民が参加しての宮出しなど、家族的雰囲気が

近くの三社祭と違った趣があると伝えられています。

 

芸能紋 (地下鉄田原町駅)

2014-01-29 06:45:03 | 日記
     尾上菊五郎

        沢村田之助

 地下鉄銀座線田原町駅ホームに綺麗な「芸能紋」が掲げてあります。ホーム中央の説明版に

よると、昭和2年(1927)12月30日、浅草~上野間に東洋初の地下鉄が開通した時に掲

げたものです。粋なものですね。  

 これは「浅草の玄関口に趣を添えるため」、当時の花形役者の家紋をホームに掲げたと、そ

の経緯が記されています。浅草行、渋谷行ホームの両方あわせて30以上の家紋と役者名の入

ったプレートが並んでいます。86年の歴史の重みがありますね。

高尾稲荷神社(中央区箱崎町)

2014-01-28 06:17:33 | 日記
     

 昨日の豊海橋の北詰から西に進んだところに「高尾稲荷神社」があります。案内板の由来に

よると、万治2年(1659)の頃吉原の遊女高尾太夫が、仙台伊達綱宗に太夫の目方(体重)だ

けの小判を積んで請け出されましたが、なびかぬとして隅田川の三又舟中で吊るし斬りにされ

河水を紅に染めたと言い伝えられました。  

 後日、遺体が大川端の新堀河岸に漂着し、当時そこに庵を構えていた僧が引き上げて手厚く

葬ったといわれます。世人は自然に高尾の神霊として崇め唱えるようになり、その頃盛んだっ

た稲荷信仰と結びついて高尾稲荷神社となりました。稲荷社としては全国でも珍しい実態の神

霊(実物の頭蓋骨)を祭神として社の中に安置してあるといいます。うーむ高尾太夫の頭蓋骨で

すか・・思わず合掌しました。  

      

 豊海橋の北詰に日本銀行発祥の地の碑がありますが、この碑のあたりに高尾稲荷がありまし

たが、明治の頃銀行発祥とともに現在地に御神体ともども移されたそうです。

白鵬優勝、鶴竜健闘相星決戦

2014-01-27 06:35:01 | 日記
     

        NHKTV

 千秋楽結びの一番で大関鶴竜が白鵬を寄り倒して、優勝決定戦となって満員のお客さんは大

喜びだった。横綱と大関の優勝決定戦で場内は沸いたが、そこは横綱で連敗はなく今度は鶴竜

を寄り切って28度目の賜杯を受けた。  

 横綱候補だった稀勢の里は右足負傷で千秋楽休場、7勝7敗1休となって来場所はカド番と

なってしまいました。話題の遠藤は11勝4敗で敢闘賞、栃煌山は11勝4敗、高安は9勝6

敗、豪栄道、豊ノ島は千秋楽に勝ってきわどく8勝7敗。