散歩の時に見つけた!

東京都内を散策しますが、こんな所にこんなものがと再発見します。写真を添えて紹介します。

下町風俗資料館(上野桜木町)

2016-08-31 05:58:58 | 日記

        旧吉田屋酒店

          店内の様子

 吉田屋酒店は、旧谷中茶屋町(現谷中六丁目)の一角にあった江戸時代以来の老舗で、昭和61年

(1986)まで営業していました。翌62年、台東区により当地に移築され、同年5月より下町風俗資料

館付設展示場として公開しています。平成元年(1989)には、一階店舗部分と二階及び道具・文具

類が台東区の有形民俗文化財に指定されました。    

        

 一階は、酒のほか醤油、塩、砂糖などの商品陳列や販売するスペースと、番頭が商品や金銭の出

し入れを記録する帳場で、二階は主に住み込みの店員の部屋として使われていました。館内には、

吉田屋で使用されていた道具のほか、台東区内外の方々から寄贈された関連資料を展示していま

す。(写真Mr麹町)


岡倉天心記念公園(谷中5丁目)

2016-08-30 05:56:35 | 日記

       

         

 この公園は、横山大観らと日本美術院を創設し、日本の伝統美術の復興に努力した、岡倉天心の

邸宅兼、日本美術院跡にできた公園です。これは台東区がつくり昭和42年(1967)に開園したもの

です。この場所に建てられた美術院は、明治31年9月竣工した木造2階建て、明治39年(1906)に

茨城県五浦に移るまで、ここが活動の拠点となっていました。    

         六角堂

 約700平方メートルの小さな公園です。園内には岡倉天心を記念した六角堂が建ち、堂内には平

櫛田中作の天心坐像が安置されています。(写真Mr麹町)


観音寺の築地塀(谷中5丁目)

2016-08-29 06:02:22 | 日記

        

         

 観音寺は慶長16年(1611)に建てられました。境内の南面に長さ37.6m、高さ2mの塀が

あります。これは「築地塀」と言われるもので、土と瓦を交互に積み重ねてつくられた土塀で、そ

の上には更に屋根瓦が重ねられているという変わった形状になっています。  

       まちかど賞

         築地塀

 この築地塀は、国登録有形文化財に指定されています。平成4年には台東区が、区内の景

観形成に貢献した建造物に贈る「台東区まちかど賞」を受賞しました。お寺が多く風情のある谷

中の中でも、特に雰囲気が素敵な場所として地域の方々にも愛されています。(写真Mr麹町)


谷 中 銀 座

2016-08-28 06:00:57 | 日記

       有名店です

         夕やけだんだん

 谷中銀座商店街は、日暮里駅から歩いて数分のところにあります。御殿坂の通りを直進して

経王寺の向いの「谷中せんべい」をなお進むと、「夕焼けだんだん」と呼ばれる夕日の名所があ

ります。    

       

       死に物狂いのハンコ屋

 ここから眼下に商店街が広がります。東京にも「未だこんな景色があるのか」と古き良き時代

を懐かしむ声が聞かれます。全長約70メートルの通りに立ち並ぶ約70軒の商店街があって、

飾らない接客で下町情緒があふれています。(写真Mr麹町)


谷中のお寺

2016-08-27 05:58:00 | 日記

        本行寺

 谷中にはお寺がいっぱいですが、JR日暮里駅から西側の御殿坂を上がると右側の本行寺を

紹介しましょう。駅から一分の近くです。ここは大永6年(1526)、江戸城内の平河口に建設さ

れましたが、神田を経て現在地に移転したと伝えられます。景勝地であったことから、「月見寺」

とも呼ばれていました。小林一茶の「青い田の 露をさかなや ひとり酒」の句碑があります。ま

た、太田道灌の物見櫓の跡などがあります。      

        経王寺

 その本行寺をそのまま進むと「経王寺」があります。日蓮宗のお寺ですが、山号は大黒山と称

します。明暦元年(1855)、当地の豪農冠勝平が要詮院日慶の為に、寺地を寄進したことに始

まります。このお寺の門扉には、上野戦争で敗北した彰義隊士たちがここで抵抗したために、

新政府軍の攻撃をうけました。その時の銃弾の弾痕が残っています。(写真Mr麹町)