散歩の時に見つけた!

東京都内を散策しますが、こんな所にこんなものがと再発見します。写真を添えて紹介します。

石川島灯台(佃1丁目)

2014-08-31 06:00:06 | 日記
    

        住吉水門

 佃島の中央には公園があって、地域の人々の憩の場となっていますが、ここから西側の隅田

川寄りの高みに灯台があります。すぐ下に住吉水門があって佃堀に水を供給しています。この

石川島灯台は慶応2年(1886)に、当時の石川島人足寄場奉行の清水純崎が、隅田河口、

品川沖航行の船舶のために、寄場の油しぼり益金を割いて築いたといわれます。  

     佃島公園

 灯台は住吉水門の北側になります。石川島の人足寄場といいますと、時代劇大好き人間とい

たしましては、火盗改めの長官長谷川平蔵さんを想起します。盗賊一味を捕える一方で、更生

施設として人足寄場を建言して実行するなど「てえしたお人」でございます、ハイ。

北條秀司の碑(佃1丁目)

2014-08-30 06:03:01 | 日記
    

       

 佃島の石川島灯台から南へ、佃煮の老舗「丸久」の暖簾の間から甘いかおりがします。その

丸久さんの前に、劇作家・北條秀司の「雪降れば 佃は古き 江戸の島」という句碑が建って

います。碑文を呼んでみました。  

 劇作家北條秀司は佃島が好きであった。新派俳優花柳章太郎も佃島が好きであった。二人は

たえず連れ立って佃島をあるき、大川の渡船をたのしんだ。その結晶として「佃の渡し」芝居

づくりを企画した。それが昭和32年12月の新橋演舞場に脚光を浴び、劇団新派の財産を

一つ増やし、北條の代表作をまた一つ世に残すことになった・・と記してあります。

芋酒屋・鷺原の九平

2014-08-29 06:05:05 | 日記
    

       

 米倉斉加年さんが急逝され残念ですね。ユーモラスな脇役が天下逸品でした。男はつらいよ

で寅さんの恋仇き役、とらやの間借人の大学教授、また柴又交番の巡査など。二・二六事件を

題材の「動乱」では、憲兵軍曹役で高倉健・吉永小百合の旅先の鳥取砂丘まで探索、最後は雪

の事件当日、高倉健扮する宮城中佐に切られるシーンが印象にあります。  

 写真は鬼平犯科帳の「芋酒屋の九平」と長谷川平蔵のシーンですが、ひとり働きの老盗役で

すね。平蔵の大ピンチを救ってお目こぼしになり、芋酒屋を続ける役どころです。ご冥福をお

祈りします。(写真はフジTV・鬼平犯科帳)

高円寺阿波踊り

2014-08-28 06:15:02 | 日記
    

       

 ミスター麹町が高円寺阿波踊りの写真を送ってくれました。夏の終わりを告げる阿波踊りで

すね。高円寺の阿波踊りの始まりは昭和32年(1957)といいますから、随分歴史がある

わけです。でも徳島では、天正14年蜂須賀家政の時代から400年の歴史があるとか凄いで

すね。今回の写真を見ると「徳島天水連」の提灯が見えるし、踊る女性群もなんとなくアカ抜

けている様子、本場のカンロクですかね。  

     

 やっぱり本場にはかないませんね。平成7年に徳島である催しがあって参加した時の懇親会

で、阿波踊りの出演がありまして、本場の迫力を体験しましたよ。最近では全国あちらこちら

に呼ばれて出演しているようですね。踊る阿呆に見る阿呆、同じ阿呆なら踊らにゃそんそんで

すね。

情けは人の為ならず・佃の渡し

2014-08-27 06:08:28 | 日記
    

 祭り見物が大好きな次郎兵衛さんが「佃祭」にやって来ました。祭りの賑わいを楽しんで気

がつくと渡し舟の最終便の時刻だ。急いで満員の舟に乗ろうとした時「もしやあの時の・・」

と若い女性に呼びとめられて、まごついているうちに舟は出てしまった。女は「3年前に奉公

先の金を落として身投げをしようとした時に、お金を戴いて助けられた」とのこと。今は佃島

に嫁いでいるがどうしてもお礼が言いたかったと言われました。  

 お礼は分かったが、やきもち焼きの女房の顔を思い浮かべて気もそぞろ。そこへ亭主が飛び

こんで来て、最終便の渡し舟が客を乗せ過ぎて沈没した。殆どの客が犠牲になったとのこと。

 さっき引きとめられなかったらと次郎兵衛さん青くなったが、恩返しを受けて命拾いをした

というお話でした。江戸時代は渡し舟の転覆事故がけっこうあったらしいですよ。後日談があ

りますがまたの機会にします。(東京新聞・落語人生劇場)