散歩の時に見つけた!

東京都内を散策しますが、こんな所にこんなものがと再発見します。写真を添えて紹介します。

高麗川(埼玉・坂戸市)

2016-09-30 06:00:07 | 日記

       

         

 高麗川は埼玉県南西部から中部にかけて流れる、荒川水系の一級河川です。埼玉県坂戸市の

この川のほとりは、自然をそのまま残したビオトープをはじめ、さまざまな植物や生物がたくさん棲

息しています。開拓者高麗王若光(こまのこきしじゃっこう)の霊廟があります。    

       

 奈良時代のはじめには高麗郡が設置されました。朝鮮半島で7世紀まで栄えた高句麗(こうくり)

出身の渡来人高麗人(こまびと)が、戦乱により故国を失った高麗人を集めて設置したのが高麗

郡です。約1800人の人が未開のの地を開拓したといわれています。高麗川には遊歩道もあり、

自然いっぱいのいいところです。(写真Mr麹町)


巾着田・曼珠沙華(埼玉県日高市)

2016-09-29 06:00:55 | 日記

       

        

 清流高麗川(こまがわ)が蛇行した形が「きんちゃく」の形に似ていることから、巾着田と呼ばれ

るようになりました。巾着田近くに聳える日高のシンボル日和田山からは、巾着の形をした見渡す

ことができます。        

       

 昭和40年代後半に、巾着田の用地を当時の日高町が取得し、藪や竹林、あしに覆われててい

た現地を整地したところ、9月頃一斉に曼朱沙華が咲き揃い、多くの人々の関心を呼ぶようにな

りました。河川の増水等により流れてきた漂流物の中に混じってきた球根が漂着し、根付いたも

のと考えられます。      

        

 秋の彼岸には、約500万本の曼珠沙華が、赤いじゅうたんを敷き詰めたように咲きます。まこと

に見事なものですね。驚嘆に値します。(写真Mr麹町)

 


両津勘吉 友情の碑(浅草神社)

2016-09-28 06:00:50 | 日記

         浅草神社境内

 「こちら葛飾区亀有公園前派出所」でお馴染みの「こちかめ」こと、両津巡査長の友情の話、

「浅草物語」です。「友情はいつも宝物」の碑は、人を思いやる気持ちの大切さ、子供たちが夢

や遊び心を忘れず成長してくれることを願って、建てられたものです。    

         亀有駅前

 両さんは浅草生まれの浅草育ち、或る日浅草で一緒に遊んだ同級生と偶然再会。かつての

悪ガキ両津勘吉は警察官に、かつての優等生は逃亡犯になっていました。両津は、子供の頃

にここ浅草神社の神木、槐の木の下に一緒に埋めたベーゴマの話を持ち出して、二人の友情

を確かめ合い、そしてこの逃亡犯は自首することになったお話です。感動的ですね。


井草八幡宮(杉並区善福寺)

2016-09-27 06:01:27 | 日記

      

         

 この神社は下井草村の鎮守とされてきました。御祭神は八幡大神で、明治時代まではこの付

近の古い地名から遅野井八幡宮とも呼ばれていました。境内東側付近からは縄文時代中期約

400年前の住居址が発見されて、多くの土器も発見されました。その中の顔麺把手付釣手形

土器は、国の重要文化財に指定されております。      

        

 このように、周辺は太古の昔から森もあり水も豊かで、生活に適した景勝の地であったと思わ

れます。この八幡宮は900余年の歴史をもつと伝えられ、社前には源頼朝が手植寄進したとい

う天然記念物の大きな松がありましたが、残念ながら昭和48年に枯れてしまったそうです。江

戸時代の慶安2年(1649)徳川家光は、社殿を造営させ朱印領六石を寄進しています。五年

毎に、鎌倉の昔を偲ぶ珍しい流鏑馬の神事が行われています。(写真Mr麹町)


東伏見稲荷神社(西東京市)

2016-09-26 05:59:18 | 日記

       

         

 関東地方の稲荷信仰者たちが、東京にも京都の伏見稲荷大神のご分霊を奉迎して、その

御神徳に浴したいとの熱望が高まり、京都伏見稲荷大社の協力で昭和4年に創建されました。東

伏見という地名は、神社ができてから付いた地名です。    

        

 伏見稲荷大社の祭神の中から、宇迦御魂大神(うかのみたまのおおかみ)、佐田彦大神(さ

だひこのおおかみ)、大宮能売大神(おおみやのめのおかみ)の3柱を勧請し、この3柱を「東

伏見稲荷大社」と総称しています。戦中に中島飛行機の社員研修所があって、その関係で戦

没者の慰霊碑があります。(写真Mr麹町)