清流高麗川(こまがわ)が蛇行した形が「きんちゃく」の形に似ていることから、巾着田と呼ばれ
るようになりました。巾着田近くに聳える日高のシンボル日和田山からは、巾着の形をした見渡す
ことができます。
昭和40年代後半に、巾着田の用地を当時の日高町が取得し、藪や竹林、あしに覆われててい
た現地を整地したところ、9月頃一斉に曼朱沙華が咲き揃い、多くの人々の関心を呼ぶようにな
りました。河川の増水等により流れてきた漂流物の中に混じってきた球根が漂着し、根付いたも
のと考えられます。
秋の彼岸には、約500万本の曼珠沙華が、赤いじゅうたんを敷き詰めたように咲きます。まこと
に見事なものですね。驚嘆に値します。(写真Mr麹町)
この神社は下井草村の鎮守とされてきました。御祭神は八幡大神で、明治時代まではこの付
近の古い地名から遅野井八幡宮とも呼ばれていました。境内東側付近からは縄文時代中期約
400年前の住居址が発見されて、多くの土器も発見されました。その中の顔麺把手付釣手形
土器は、国の重要文化財に指定されております。
このように、周辺は太古の昔から森もあり水も豊かで、生活に適した景勝の地であったと思わ
れます。この八幡宮は900余年の歴史をもつと伝えられ、社前には源頼朝が手植寄進したとい
う天然記念物の大きな松がありましたが、残念ながら昭和48年に枯れてしまったそうです。江
戸時代の慶安2年(1649)徳川家光は、社殿を造営させ朱印領六石を寄進しています。五年
毎に、鎌倉の昔を偲ぶ珍しい流鏑馬の神事が行われています。(写真Mr麹町)