目黒不動の通称で知られる瀧泉寺(りゅうせんじ)は、目黒区下目黒にある天台宗の寺院です。江
戸三大不動の一つで、三十三番札所、関東三十六番不動第十八番。目黒の地名はこの目黒不動
に由来するとの説もあります。寺伝では、大同3年(808)円仁が下野国から比叡山にに赴く途中に
不動明王を安置して創建したといいます。
元和元年(1615)本堂が焼失しましたが、寛永7年(1630)寛永寺の子院・護国院の末寺となり、
徳川家光の庇護を受けて、寛永11年(1634)50棟余に及ぶ伽藍が復興し、文化9年(1812)に
は「江戸の三冨」と呼ばれた「富くじ」が行われました。また、落語の「目黒のさんま」は、この近辺に
あった、参詣者の休息のための茶屋(爺が茶屋)が舞台だといわれます。(写真Mr麹町)
柳橋は神田川が隅田川に流入する河口部に位置する橋梁です。その起源は江戸時代の中
頃で、当時は下柳原同朋町(中央区)と対岸の下平右衛門町(台東区)とは渡し舟で往き来し
ていましたが、不便なので元禄10年(1697)に南町奉行所に架橋を願い出て許可され、翌年
の11年に完成しました。
その頃の柳橋通りには、隅田川の船遊び客の船宿が多く、「柳橋 川へ布団を放り込み」との
川柳に見られるような賑わいぶりでした。明治20年に鋼鉄橋となり、関東大震災で被災して昭
和4年に現在の復興橋が完成しました。完成から80余年の現在、復興橋も少なくなり、柳橋は
貴重な近代の土木遺産として平成3年に整備し、現在は区民有形文化財に登録されていま
す。橋のたもとには船宿もあり、昔の風情が残っています。