散歩の時に見つけた!

東京都内を散策しますが、こんな所にこんなものがと再発見します。写真を添えて紹介します。

除夜の鐘

2016-12-31 06:01:51 | 日記

       

 今年も除夜の鐘を聞く時が来ましたね。鐘の音は108回、、これは人の煩悩の数といいま

す。上野寛永寺の銅鐘は、厳有院殿(四代将軍家綱)の一周忌にあたる延宝九年、厳有院殿

廟前の鐘楼に奉献されたといわれます。明治維新以降に、寛永寺根本中堂の鐘として、その

境内に移されたといわれます。現在は除夜の鐘や重要な法要の際に使用されています。

 煩悩を消すといわれる108回のゴーンも、最近は「騒音だ」と苦情が出て、お寺さんが自粛の

やむなしになることがあるそうです。まあ子供の声も耳触りとされて物議を醸す時代、年の瀬の

風物詩も・・・困った時代になりました。


すずめのお宿緑地公園(目黒碑文谷)

2016-12-30 06:00:30 | 日記

       

          角田さん宅

 この付近は、昭和のはじめで目黒でも有数の竹林で、良い竹の子がとれたそうです。竹林に

は無数のすずめが住みつき、朝早くいづこかえ飛び立ち、夕方には群をなして帰ってくることか

ら人々はここを「すずめのお宿」と呼ぶようになりました。    

        

 土地の所有者の角田セイさんは、長年ここで一人暮らしをしておりましたが「自分の死後はこ

の土地を国に返したい」と言っていたそうです。その遺志が生かされて角田さんの没後、目黒

区が国から借り受けて公園を造り、遊具などを設置して、多くの人々の憩の場として利用され

ています。(写真Mr麹町)

 


目黒不動・瀧泉寺(下目黒)

2016-12-29 06:01:25 | 日記

           

        

 目黒不動の通称で知られる瀧泉寺(りゅうせんじ)は、目黒区下目黒にある天台宗の寺院です。江

戸三大不動の一つで、三十三番札所、関東三十六番不動第十八番。目黒の地名はこの目黒不動

に由来するとの説もあります。寺伝では、大同3年(808)円仁が下野国から比叡山にに赴く途中に

不動明王を安置して創建したといいます。

        

          

 元和元年(1615)本堂が焼失しましたが、寛永7年(1630)寛永寺の子院・護国院の末寺となり、

徳川家光の庇護を受けて、寛永11年(1634)50棟余に及ぶ伽藍が復興し、文化9年(1812)に

は「江戸の三冨」と呼ばれた「富くじ」が行われました。また、落語の「目黒のさんま」は、この近辺に

あった、参詣者の休息のための茶屋(爺が茶屋)が舞台だといわれます。(写真Mr麹町)


柳 橋(中央区ー台東区)

2016-12-28 06:00:34 | 日記

       

  柳橋は神田川が隅田川に流入する河口部に位置する橋梁です。その起源は江戸時代の中

頃で、当時は下柳原同朋町(中央区)と対岸の下平右衛門町(台東区)とは渡し舟で往き来し

ていましたが、不便なので元禄10年(1697)に南町奉行所に架橋を願い出て許可され、翌年

の11年に完成しました。       

       

 その頃の柳橋通りには、隅田川の船遊び客の船宿が多く、「柳橋 川へ布団を放り込み」との

川柳に見られるような賑わいぶりでした。明治20年に鋼鉄橋となり、関東大震災で被災して昭

和4年に現在の復興橋が完成しました。完成から80余年の現在、復興橋も少なくなり、柳橋は

貴重な近代の土木遺産として平成3年に整備し、現在は区民有形文化財に登録されていま

す。橋のたもとには船宿もあり、昔の風情が残っています。


最乗寺の天狗さま

2016-12-27 06:00:06 | 日記

        奥の院

         

 境内には大天狗、小天狗の像があります。小天狗は鳥のようなくちばしをしているカラス天狗と呼

ばれます。大天狗の方が小天狗よりボスっぽいかなと思いますが、元々天狗は翼とくちばしを持った

姿だったものが、後になって大男の山伏のイメージに変化していったようです。    

        

         天狗さまの高下駄

 最乗寺と天狗の関係は、寺の建立の歴史に由来します。1394年、了庵慧明(りょうあんえみょう)

という僧が最乗寺を開山した際に、了庵の弟子の道了が寺を守るために天狗に変身したという伝説

があるそうですよ。(写真Mr麹町)