散歩の時に見つけた!

東京都内を散策しますが、こんな所にこんなものがと再発見します。写真を添えて紹介します。

マーチェキュート神田万世橋

2015-11-30 06:08:02 | 日記

      

          外観

 かつて交通の要衝であった旧万世橋駅。1912年完成した赤レンガ造りの万世橋高架橋が

歴史や記憶を活かしながら、新たに生まれ変わりました。旧万世橋駅があった時代と変わらな

い連続するアーチの美しさと力強さをもち、遺構が蘇った空間の中に知的好奇心を掻き立て、

趣味性、嗜好性の高いショップやカフェが並んで、これまでにない商業施設です。    

        内観

           カフェ

 神田川に架かる個性的な橋めぐりも面白いものです。お茶の水駅の東側にある聖橋は二つ

の聖堂、湯島聖堂とニコライ堂にちなんでつけられた名前です。万世橋も明治の初めには萬世

橋・よろずよばしと呼ばれていました。ここは須田町1丁目、昔から洋服の生地を扱う店が並ん

でいました。(写真Mr麹町)


昌平橋・千代田区神田

2015-11-29 06:08:11 | 日記

       昌平橋の親柱

          ガードは中央線

 昌平橋は神田川に架かる橋で、お茶の水の聖橋の一つ下流に位置します。外堀通り淡路町

を北へこの橋を渡ると今は外神田と言いますが、昔は明神下の同胞町から天神下の三組町と

続き、三味線の音が聞こえた粋な町屋でしたね。北上すると不忍池へ通じる通りです。    

       高架は総武線です

 現在では橋の上流、下流側に歩行者用の橋が増設されて幅は約40m、長さ約30mです。

 最初にここに橋が架けられたのは寛永年間と伝えられています。橋の南西にある淡路坂の

坂上に一口稲荷社(いもあらいいなりしゃ・現在の太田稲荷神社)があったことから「一口橋」や

「芋洗橋」と称しました。1691年(元禄4年)に湯島聖堂が出来たときに、孔子生誕の地昌平

郷にちなんで昌平橋となりました。一つ下流には万世橋があります。(写真Mr麹町)


有形文化財「神田の家」

2015-11-28 06:06:58 | 日記

      

         

 神田明神の西側に隣接する宮本公園内に建っています。公園内の東端に建っており、すな

わち「神田の家」そのものが神田明神に隣接した形になっており、神田明神の境内からも入っ

て行くことができ、案内も設けられています。この「神田の家」は江戸時代から神田鎌倉町で材

木商を営んでいた遠藤家の店舗兼住宅だった建物だか、その遠藤家が神田明神の氏子総代

であったということで、そのために神田明神に隣接して建ち、その付属施設のような位置付け

になっているのでしょう。      

        

          

 2008年(平成20年)に千代田区の有形文化財に指定されています。江戸時代から「井政」

の屋号で材木商を営んできた遠藤家の店舗兼住宅として、関東大震災後の1927年(昭和2

年)、鎌倉河岸(現在の内神田一丁目)に建てられたものといいます。1973年(昭和48年)、

都心の開発に伴い遠藤家が転居、旧家屋は府中市に移築されたということだが、千代田区の

文化財指定に伴って現在地の宮本公園内に移築されたものとされます。(写真Mr麹町)

  一見するとごく普通の古い木造民家という風情ですが、良木、銘木をふんだんに使用し

たという建物は細部までこだわり抜かれた職人の技が光り、、じっと見ていると吸い込まれ

るような魅力があるといいます。     


神田明神・屋上庭園

2015-11-27 06:12:21 | 日記

      

         

 神田明神の境内緑化事業の第一弾としてスタートしたという屋上庭園です。神社の西側駐車

場の屋上を開発して整備したものです。開園時間は10時~16時、もう少し広くてゆっくり腰を

下ろすことが出来たら・・・なんてゼイタクな気持も湧くようでが、これからもっと整備されること

でしょう。     

         

            

 アキバの電気街も近く、周囲がオフィス街だけにこの緑化はいいですね。駐車場の屋上とは

思えぬキレイな庭園らしいですね。庭園中央には、かわいいせせらぎがあって耳を澄ませば

きっと音が楽しめることでしょう。神田明神に参拝したら一度上がってみましょう。そして、名物

の甘酒もどうぞ。(写真Mr麹町)


神田明神(神田神社・千代田区外神田)

2015-11-26 06:12:51 | 日記

        随身門

          拝殿

 一ノ宮に大己貴命(だいこく様)、二ノ宮に少彦名命(えびす様)、三ノ宮に平将門命(まさかど

様)の3柱を祀ります。神田はもと伊勢神宮の御田(おみた・神田)があった土地で、神田の鎮

めのために創建され、神田ノ宮と称しました。江戸時代、江戸城増築に伴い慶長8年に神田台

へ、さらに元和2年に現在地へ遷座したものです。     

        狛犬

 江戸総鎮守として尊崇され、神田祭は江戸三大祭の一つです。山車は将軍上覧のため江戸

城中に入ったので「天下祭」と言われました。大正12年(1923)の関東大震災で焼失し、その

後、当時では珍しい鉄骨鉄筋コンクリート構造で権現造を模して再建され、昭和20年の大空

襲では境内に焼夷弾が落ちたが、本殿・拝殿などは焼失を免れました。(写真Mr麹町)