散歩の時に見つけた!

東京都内を散策しますが、こんな所にこんなものがと再発見します。写真を添えて紹介します。

笠森観音堂(2)

2014-11-30 06:18:06 | 日記
     

        

 笹森観音堂は国指定重要文化財になっています。県立笠森自然公園の中にあり、森に囲まれ

た岩の上に建てられた観音堂で、回廊から見渡す展望は雄大な房総の山並みを見ることが出来

ます。またここは坂東三十三観音巡りの第31番札所です。

    

      

 昔から源頼朝の厚い観音信仰と、多くの武者が西国で見聞した西国三十三観音霊場巡礼への

思いなどが結びつき、鎌倉の初期に坂東三十三観音霊場が開設されたものです。供養や祈願な

どで訪れる人々も多いと聞きます。お寺の山門手前に芭蕉の句碑があり「五月雨に 此笠森を

さしもぐさ」と記されていて安永6年に建立されたものです。(写真・ミスター麹町)

笠森観音堂(千葉県長南町笠森)

2014-11-29 06:25:35 | 日記
    

        上から参道を見る

 案内によると笠森観音は、正式名称を「天台宗・別格大本山笠森寺」と称し、延歴3年(西

暦784年)伝教大師最澄上人が楠の霊木で十一面観世音菩薩を刻み山上に安置し、開基され

たと伝えられています。  

     土台部分

      

 観音堂は長元元年(1028)後一條天皇の勅願により建立され、その建築様式は日本唯一

の「四方懸造」として明治41年(1908)「国宝」に、その後昭和25年(1950)

「文化財保護法」の制定により、「国指定重要文化財」となっています。周辺の山々は「県立

笠森鶴舞自然公園」に指定されており、特に観音山は昭和45年(1970)「国指定天然記

念物笠森寺自然林として保護されています。(写真・ミスター麹町)

久留里城(千葉県君津郡久留里)

2014-11-28 06:13:25 | 日記
    

       

 久留里城は戦国から近世にかけて房総の名城とされます。別名、雨城、霧降城などと呼ばれ

ているようです。戦国時代の初期、安房から進出してきた里見義堯が城を築き、その後里見氏

と小田原北条との間で久留里、国府台、鎌倉等で壮絶な合戦が行われました。江戸時代では、

大須賀氏が三万石の大名として入城。土屋家三代、黒田家九代が城主となり、明治維新を迎え

て、久留里は城下町として栄えました。  

       上総掘り足場

         新井白石像

 明治中期に上総掘り井戸が開発され、2008年に平成の名水百選に選ばれました。上総掘

りの井戸の足場もあります。名水を原料とした酒蔵元があり、数年前から名産として淡水魚の

ホンモロコが養殖されています。この地は、徳川六代将軍家宣の侍講として仕えた新井白石

が、青年期の三年間居住したことで知られ銅像もあります。(写真・ミスター麹町)

マナーポスター(東京メトロ)

2014-11-27 06:19:33 | 日記
      

東京メトロのマナーポスターです。「おなかより ゴミやニオイがいっぱいだよ」とシブー

イ顔していますね。これは馬ではなくワンチャンでしょうね、地下鉄の電車に乗ってるのだか

ら。食べ物を食べ散らかしているのは、しっぽがとら模様だけれど、やっぱり犬の子どもです

かね。  

 困りますね 辺りかまわず食べ散らかして迷惑ですよ。「ミテルちゃん」が ピッピーとホ

イッスルを吹いて、取り合えずイエローカードです。ポスターの下の方には 車内での飲食に

ご配慮ください と書いてありますね。

色づく木々 秋から冬へ

2014-11-26 06:12:51 | 日記
    

        

 近所の公園の木々も色づいて季節の移り変わりを実感しますね。この公園には、箒を持った

小父さんが何時も落ち葉を掃いていますが、今日は姿が見えません。正岡子規の句に「手が縮

み 足も縮んで 冬ごもり」がありますが、小父さんは冬ごもりかも。

     

 比較的暖かい南関東ですが暦は22日が小雪、もう冬ですね。子どもの頃は落ち葉を集めて

積み上げると、子ども好きの小父さんが焚火をしてくれました。そして中には芋が幾つも入っ

ていたもので、今も楽しい想い出です。焼き芋は今も女性にとって「うれしい食べ物」らしい

ですよ。若き友人(女性)の句に「争いの あい間を埋める 焼芋屋」というのがあって、素

人推薦人と致しましては、特別賞を差し上げたいと思いますが。