散歩の時に見つけた!

東京都内を散策しますが、こんな所にこんなものがと再発見します。写真を添えて紹介します。

深まる秋

2013-10-31 06:14:10 | 日記
    

        

 残暑が続き「何時まで暑いのだ」とぼやいていましたが、朝夕めっきり気温が下がってきま

したね。11月7日の立冬まであと1週間ですから当然かも。朝、近所を散歩すると、たわわ

に実った柿が見事に色づいていました。秋も深まったなあと実感です。  



 道端には名も知らぬ植物たちが、それぞれ実を付けて秋の到来を告げていました。厳しい残

暑が続き、次々と台風襲来しましたが、落ち着いた実りの時がきましたね。
 

新大橋(日本橋浜町~江東区)

2013-10-30 06:37:22 | 日記
    

 中央区日本橋浜町から江東区へと架かる斜張橋です。今は明治村に復元保存されている旧新

大橋は、震災のときや戦時中に多くの被災者を救い「お助け橋」とよばれました。現在の橋は

昭和52年(1977)の竣工です。橋長172m。 

 最初に新大橋が架橋されたのは、元禄6年12月(1694)です。これは隅田川3番目の

橋で、「大橋」と呼ばれた両国橋に続く橋として「新大橋」と名づけられました。五代将軍徳

川綱吉の生母・桂昌院が、橋が少なく不便を強いられていた江戸市民のために、架橋を将軍に

勧めた伝えられています。当時東岸に庵を構えていた松尾芭蕉は「ありがたや いただいて踏

む はしの霜」と詠んでいます。下を走るのは水上バス「ひみこ」です。

大相撲九州場所の番付

2013-10-29 08:48:19 | 日記
     大砂嵐

 今朝の新聞のスポーツ欄は大相撲の大砂嵐のニュースが大きく出ていいました。11月10

日初日の九州場所では、アフリカ大陸から初の力士エジプト出身の大砂嵐が新入幕を果たした

というものです。スピード出世ですが、これからが見ものですね。  

 相撲ファンとしては、関脇、小結の顔ぶれに期待が持てます。10場所連続関脇の豪栄道と

関脇へ返り咲きの栃煌山、涙の金星・松鳳山と隠岐の海が小結復帰と、相撲ファンにとっては

こたえられない布陣ですね。妙義龍、高安も前頭上位で実力は五分ですから面白い。大関陣に

ついては「やってみなければ分からない」から期待しませんデス。

言問橋と言問団子

2013-10-28 06:15:01 | 日記
     

 上流に待乳山聖天(まっちやましょうでん)と対岸の三囲神社(みめぐりじんじゃ)を結ぶ

「竹屋の渡し」、下流には向島と浅草寺を結ぶ「山宿の渡し」がありました。関東大震災の復

興橋として昭和3年2月に完成、長さ239m、幅22mです。「言問」という名は在原業平

の詠んだ 名にし負わば いざこと問わむ都鳥・・の詩にちなんだものと言われます。  

    

        

 橋の墨田区側には「言問団子」があり、この店は明治の初めの創業です。従って橋が出来る

以前からありました。その昔からこの近辺は「言問が岡」とよばれていました。創業者は隅田

川にちなむ在原業平と、この地名を引用して「言問団子」と名付けたのでは思われます。黙っ

て座れば団子とお茶が、これ美味しい600円。

柳橋・神田川

2013-10-27 06:08:38 | 日記
    

       

 柳橋は神田川が隅田川に流入する河口部に位置する第一橋梁です。墨田区側から見ると小さ

く見えますが中央区と台東区をつなぐ便利な橋です。その起源は江戸時代の中頃で、当時は渡

し船で往き来していましたが、不便なので元禄10年(1697)に南町奉行所に架橋を願い

出て許可され、翌11年に完成しました。  

    

 その頃の柳橋通りには舟宿もあって隅田川の船遊び客が多く、「柳橋 川へ布団を 放りこ

み」と川柳に見られるような賑わいぶりと伝えられます。明治20年に鋼鉄橋となり関東大震

災で被災して昭和4年に現在の復興橋が完成しました。完成から80年、現在では復興橋梁も

少なくなり、柳橋は貴重な近代の土木遺産として平成3年に整備し、現在は区民有形文化財に

登録されています。