散歩の時に見つけた!

東京都内を散策しますが、こんな所にこんなものがと再発見します。写真を添えて紹介します。

馬 車 道 (横浜市)

2017-01-31 06:00:55 | 日記

       

         

 馬車道は、横浜市中区にある道路名(地域名)です。横浜の馬車道の名は地元民に定着し

た、伝統的な通称としての地域名称であり、商店街の名ですが、行政上の町名ではありませ

ん。2004年、横浜高速鉄道みなとみらい線が設置されました。    

       

 関内の桜木町寄りに位置するこの道路は、幕末に開港したころから始まります。国道133号

(本町通り)を過ぎると万国橋通り、伊勢佐木町通りで、また、馬車道の周辺地域も馬車道と呼

ばれています。煉瓦で舗装された通り、ガス灯の街路灯などで、当時の面影を感じさせる物が

設置されて、観光客も訪れています。(写真Mr麹町)


横浜三渓園(2)

2017-01-30 06:00:06 | 日記

        

         

 原三渓は、芸術家や文学者などの文化人たちと広く交流したことでも知られ、三渓園は美術・文学・

茶の湯など近代日本文化の一端を育んだ場所でもあります。学術上・芸術上、そして観賞上優れてい

ることから、平成19年(2007)には国の名勝に指定され、文化財として位置づけられました。    

              三重塔

         

 旧燈明寺三重塔(重要文化財)は、室町時代の康生3年(1457)に京都木津川市の燈明寺(廃寺)

で建設されたものですが、大正3年(1914)に移築されました。また、聴秋閣は江戸時代元和9年

(1623)京都二条城内で建てられたもので、大正11(1922)移築されたものといわれています。(写

真Mr麹町)


横浜三渓園(中区本牧)

2017-01-29 06:00:06 | 日記

         

            鶴翔閣

 三渓園は、明治から大正にかけて製糸、生糸貿易で財をなした原三渓(本名・富太郎)が、こ

の地に造り上げた、広さ5万3千坪の日本庭園です。明治39年(1906)に一般公開された外

苑と、原三渓が私庭としていた内苑の二つからなっています。京都や鎌倉などから集められた

17棟の歴史的建造物と、四季折々の自然とが調和した景観が見どころです。    

         御門

 鶴翔閣は旧原家住宅で、明治35年(1902)に建てられたものです。広さ290坪に及び、こ

の建物は上空から見ると、鶴が飛翔している姿を思わせることから鶴翔閣と名付けられまし

た。内苑の御門は、江戸時代の宝永5年(1708)ごろ京都東山の西方寺で建てられた薬医門

で、大正年間に移築されたものです。(写真Mr麹町)

 


牛込橋(千代田区富士見)

2017-01-28 06:00:53 | 日記

       

           

 富士見町2丁目から、新宿区の神楽坂に通じる早稲田通りにある橋で、江戸城外郭門の一つの

牛込門のあった所です。今でも橋の手前(千代田区側)の左側に枡形の石垣の一部が残っていま

す。橋のたもとの飯田橋駅前交番きわに、枡形に使用された石に「阿波守」と書かれた文字が刻

まれたものがあります。     

        

 橋の右手、飯田橋との間はセントラルプラザがあります。ですから、外濠の水はいったんここで

堰き止められ、姿を消します。そのためこの橋は、陸橋のように見えます。橋は平成8年に架け替

えられています。(写真Mr麹町)


東京大神宮(千代田区富士見)

2017-01-27 06:00:55 | 日記

       

         

 江戸時代、伊勢神宮への参拝は人々の生涯かけての願いであったといいますね。明治13

年に、東京における伊勢神宮の遥拝所として創建された東京大神宮は、最初は日比谷の地に

鎮座していたことから「日比谷大神宮」と称されていました。    

       

 関東大震災後の昭和3年(1928)現在地に移ってから「飯田橋大神宮」と呼ばれ、戦後は

「東京大神宮」と改めて今日に至っています。縁結びに御利益のある神社としても知られてい

て、良縁を願う人たちの参拝が年々多くなっています。私の印象では、何時も若い女性群が

いっぱいという感じがしていますが。(写真Mr麹町)