マチンガのノート

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「内省型の精神病理」 湯沢千尋

2015-08-10 10:08:25 | 日記
この著作の中では、陽性症状のあまりない、
治療者と話し合えるが、過度に内省的な症例が取り上げられるが、
その様な患者さんは、土居健郎や小林隆児の取り上げるような、
「甘えられない」「甘えられなかった」生育歴で、
とにかく周囲から叩かれないようにしよう、将来のため試験で点をとって
少しでもいい学校に行こう、生きて行くために収入を得るため働こう、など
自分で何かを考えたり、選んだりする余裕がない状態できた
人たちなのではないだろうか?
自分で考える余裕さえなかったので、「運命共感的態度」な湯沢千尋氏
の前に来ると、「当たり前のことがわからない」などの、
普段から解らないことを、話す余裕が出来るのではないのだろうか?
このような「甘えられなかった」人たちにとっては、世界は
強制収容所のような物ではないだろうか?
治療者としての対処で望ましいのは、余裕を持たせる、
休む環境を設定する、甘えさせる、などだろうが、
「甘える」という言葉自体、日本語以外では「受身的対象愛」などの
表現になるので、海外の文献をみても、参考になる物は
少ないのではないだろうか?
映画「頭文字D」に出てくる主人公の父親のように、子供のころ悪かったが
その後は自営業(地方の町の豆腐屋さん)としてそれなりにやっていける、
というような余裕が社会から失われるのと並行して、
この著作に出てくるような、発達障害のような症例は増えて行っているのだろう。
畑中千紘氏の言う、社会が受け手とて機能しなくなってきたという
ところだろう。
心理臨床や精神医学が、受け手となるか、治療技術の切り売りをして
主体を無くしていくか、というのが、これからの大きな課題だろう。


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