元都知事の石原慎太郎氏が死去しました。
大学生の頃に芥川賞を受賞していますが、受賞作品『太陽の季節』は読んでいません。
注目は政治家になってから、青嵐会で”若々しく”活動していたころを覚えています。
私たち都民にとっては都知事の石原さんが印象深いです。
性格上なのか、隠しもしない放言が目を引きました。
いろいろ批判もありましたが、私はそういうところが好きでしたね。
中国嫌いで「パンダが欲しい」の声に「そんなにパンダが見たいですか?」という姿に
「ほんとにそうだよな」と思いました。
中国からくるパンダには飼育係が高給で来日し、育ったら中国に返さなきゃならない、
こんな無法な要求を呑んでまでいらない、白浜に行けばパンダはいる、と思っています。
また、東日本大震災が起きた時「これは天罰です」と言い切りました。
いつものようにセンセーショナルな文言を切り貼りして大騒ぎするマスコミによって
大きく批判され撤回をしましたが、これは言われているような意味ではありません。
原発という文明と科学の危険性を小さく扱い、”利器”としてだけ活用してきたことに対して
「天罰だ」と言ったのです。
東日本に住んでいる人たちに「天罰が下った」と言ったのではないのです。
また『開発』の名のもとに住んではいけない場所を”開発して”人が住み始めた・・
そういう自然からの「天罰だ」と言ったと思います。
テレビで空から見ると「こんなところに!」と驚くような場所まで家が立ち並んでいます。
津波の被害は大昔もあったのです。
だからこそ先人が「これから先に住むな」という石碑を建ててくれています。
これを無視して開発する開発業者と許可する国の行政に対して「天罰がくだった」と
石原氏は言ったのだと思います。
東日本大震災では、いち早くJRがシャッターを下ろして交通の遮断を行いました。
危険だからという理由はわかる気もしますが、もっと他に方法があったのではないかと
今でも思います。
帰宅難民が翌朝まで道路を歩きました。
ウチの娘も仕事先から7時間も歩いて帰りました。
日付が変わり、電話も通じない、さぞかし心細かっただろうと思います。
家で両親を待っていた子供たちもいたでしょう。
後日、それに対してJR上層部が石原知事に報告書を手渡すとき
「ご迷惑をおかけしました」と頭を下げた時に
「僕に頭下げてどうするの。都民に誤りなさいよ」とひと言言ったときは
胸がスカーっとしました。
ご子息の話では最後まで執筆をしていたとか、政治家というより
作家としての『石原慎太郎』を全うしたかったのではないでしょうか。
ご冥福をお祈りします。
日向ぼっこのKUU
お気に入りのジュート麻のラグと爪とぎに寄りかかり何を思うのか。
最近の写真は逆光ばかりですみません。
こんなとき逆光でも美しく撮れる装置を作動させている間に逃げられるので
私は必死でシャッターを押します(下手な写真の言い訳)