みっく・じゃがの「ひとりごと日記」

日々思うこと、考えること、時には写真も

憧れのアイルランド旅行 ⑥

2018-09-10 14:02:06 | 日記

 

8月22日 

ゴールウェイ散策

この朝の朝食は少し変わりました。

連日ホテルの朝食はアメリカンビュッフェスタイルでしたが、

このホテルでは朝食からオーダーをとってくれます。

もちろん、旅行費に組み込まれているので、私たちは払いません。

しかもビュッフェの食事も並んでいます。

連泊なので昨日からそうだったのですが、終わってから添乗員さんが

慌ててやって来て「連絡を忘れていました」と仰る。 もう遅いです!

なので、今朝はオーダーしようとレストラン開始時間と同時に

レストランへ行ったら、こんなとき大抵は「まだです」と言われるんですが、

このホテルはそんな野暮は言いません。

にこやかに出てきて「ハロー!ハウアーユウ?」と仰います。

おまけに「景色が見える良い席をどうぞ」と案内されて、メニューを持ってこられて

・・・私は見つけたのです。

『アイルランド・ブレックファスト』という文字を!

これを食べたかったのですよ。

で、私はこれを注文、夫は「こんな濃いもの、朝から食べられないよ」

と言うので『エッグマフィン』を注文しました。

 

これがアイルランド・ブレックファスト

上の方に半分写っているのは1㎝幅に切ってある焼いたトースト(8枚あります)

「トーストを食べますか?」と聞かれて「イエス」と応えたら2人分でこんなに

焼いて来てくれました。

アイルランド・ブレックファストは焼いたベーコンの薄切り、右はウインナー、

目玉焼き、マッシュルームのバター炒め、丸いのは左はホワイト・プリン、右はブラック・プリン

ホワイト&ブラックのプリンとはイギリス式ウインナーのことで、

ブラックは豚の血だけが詰め込んでいて、ホワイトは小麦粉だけが詰め込んであるウインナー

のことです。

飲み物はいつものようにミルクティーです。

この旅行では毎朝にミルクティーを飲みました。

私は日本に居ても毎朝ミルクティーですが、夫はコーヒーです。

この旅行では夫もミルクティーを飲み「落ち着くねぇ」と言っておりました。

アイルランド・ブレックファストは娘にも見せたかったので、注文して

写真に撮ることができて良かったです。

 

夫はエッグマフィンを食べましたが、食べきれなくて半分しか食べませんでした。

イングリッシュマフィンを半分に切り、上にホウレンソウのバター炒めを乗せ、

目玉焼きを1個ずつ乗せたものです。(右側の玉子は運んできた時にウエイトレスさんが倒しました)

 

こんな濃い朝食を食べて、今日はコマネラ国立公園へ向かいます。

バスで1時間45分、曇り空の景色です。

 

ゴールウェイの家並みです

 

 

見えてきたカイルモア修道院

今日、一番はここへ行きます

 

 

 

 

 

 

 

絵のように美しい修道院は、イギリスの富豪が夫人のために建てさせた別荘だそうです。

妻や子に先立たれた富豪は建物を修道院に売却、現在も修道院です。

美しい建物と豪華な調度品を見せてもらいました。

 

その後、昼食

ここで私は飲み物にアイルランド・コーヒーを頼んでみました。

これはコーヒーの中にアイリッシュウィスキーが入っていて上にホイップクリームが

乗っていると聞いていましたが、まさにその通りのものが出てきました。

ウィスキーが沈殿していて、飲むほどに胸がドキドキしてきました。

この体験は、後日 アイリッシュパブで再び、です。

 

スライゴーへ

畑に積んである黒いものはピート(泥炭)です。

こうやって乾燥させて暖房に使うのです。

 

 

詩人・イエーツのお墓

イエーツはノーベル文学賞を受賞した詩人です。

日本の民話にも興味を示し、それはケルトの心にも通じると言っていたそうです。

1939年、フランスで亡くなりましたが、遺言により、1948年スライゴーに

埋葬されました。

お墓は新しい感じでした。

 

埋葬されているドラムクリフ教会

 

 

更にバスは進み、いよいよアイルランド共和国にサヨナラして北アイルランドへ入ります。

またね、という感じの景色

 

間もなく国境です。と言っても入管はありません。

と言うか、突然の標識!

ここに「Welcom to Northern Ireland」と書いてあるのですが、

”Northern”を消してあります。

アイルランド共和国としては

「”北アイルランド”は認めない、すべてアイルランドだ」と言いたいのでしょう。

ここから車のスピードはメーターからマイルに変わります。

 

ロンドンデリーへ

”ロンドンデリー”と言うのは北アイルランド、アイルランドでは”デリー”と呼びます。

実際の当地では「ロンドンデリー」と言わなければ否定されました。

「デリーはインドだろう」と言われた人もいたようです。

ということで、ここではロンドンデリーと呼びます。

ちなみにゲール語ではデリーとは樫の木という意味です。

常にプロテスタントとカソリックの紛争の地となり、たくさんの血が流されました。

イギリス・プロテスタントは北に残ったカソリックを差別し就職や住む場所まで限定し

選挙権も与えず、迫害をしたということです。

中でも1972年の『血の日曜日』事件はカソリックの平和デモにイギリス軍が発砲し

子供も含む市民13人が死亡したのは有名な事件です。

ロックバンドのU2が『Bloody Sunday Bloody』(タイトルが違うかもしれません)という

歌をうたっています。U2はアイルランドの人たちです。

私がよく知るのはカソリックのIRAという過激派がロンドンなど本国でも

テロ行為を続けた状態です。

それらが好転して1998年に”ベルファスト合意”によって和平が訪れたのは

記憶に新しいです。

1998年ですからね。ほんの少し前のことですもの。

それが、この度のイギリスのEU離脱で、またぞろアイルランド共和国と北アイルランドが

どうなるのか、不安を醸し出しています。

だからこその今回の「アイルランド島の旅行を今のうちに」という私の気持ちです。

 

これは”血の日曜日”で亡くなった人々の慰霊碑です。亡くなった人々の名前が彫られています。

 

 

読んで字のごとしのモニュメントです

 

聖コロンバ大聖堂

プロテスタント教会

5時過ぎていたので入館はできませんでした

 

方向を替えて

 

大聖堂のモニュメント

 

 

住宅の旗は大英帝国の旗と北アイルランドの旗です

 

 

北アイルランドの旗

 

大英帝国の旗

 

 

ギルドホール

城壁のすぐ外にあります

現在は市の公共建物です。

催し物のホールもあります

 

永遠に忘れてはいけないメモリアル・モニュメント

 

今夜はロンドンデリーに宿泊です。

 

 

 

 

 

 

 

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする