みっく・じゃがの「ひとりごと日記」

日々思うこと、考えること、時には写真も

KUUが8歳になりました

2024-03-20 19:11:59 | 日記

    (アニコム損害保険から送られてきたカードです)

 

本日我が家のお姫様KUU(猫 ベンガル種)が8歳になりました。

今から8年前、埼玉県吉川町のブリーダーさん宅から我が家にやって来たときは

6月20日でした。

まだ私の手のひらに乗るくらい小さくて、びっくりした顔をして家の中を歩き回っていました。

夜中に起きて家の中を探したらテレビの陰に隠れてうずくまって声も立てずに

口だけが開いて「ニャァ」と言いました。

私は「おいで」と言って抱き上げ膝に載せてソファに座るとスヤスヤと眠り

朝までそのまま寝たのです。

今でもその時の様子を思い出します。

産んでくれたママと弟と別れてたった一人で我が家にやって来て、

驚くことばかりだったと思いますが、翌朝にはちゃんとトイレを使ってオシッコをし、

ウンチの時は出る前に「出るよー」と言わんばかりに声を上げ、きちんと砂かけまで

しました。

ママから”しつけ”をされてきたのです。

ベンガルと言われるからには、さぞかし”やんちゃ姫”だと思っていましたが

本当にやんちゃです。

ずっと8年間、高いところを跳び回っています。

人には慣れず、家族の私たちにも抱かれることを嫌います。

それでも、最近、私が倒れて救急搬送されたころから、変化が見られます。

私の姿がないと今まで聞いたこともない声を出して私を探します。

ゆっくりトイレにも行けません(苦笑)

見つけると走り寄ってきて顔を寄せてくるのです。

ソファに座ってテレビを観ていると、前にあるテーブルに腰をおろし

私の顔を見て細々とした声で囁くので、何を言っているのかわかりませんが、

「あら、そうだったの!よかったわね」と言ってやると

安心したように走り去ります。

これには夫も感心しています。

たかが猫 と言っても、『たかが』ではないのです。

 

先月でしたか 毎朝4時になると吐く状態が続き、病院へ連れて行くと

初めてレントゲンや血液検査の結果、「消化器が弱っている」という検査結果が出て

エサを替えました。

『避妊手術を受けた雌用エサ』から『消化を助けるエサ』と『腎臓に優しいエサ』に替えました。

症状は落ち着いていますが、もう8歳なので、これからは健康に気を付けてやらねばなりません。

淡白な成分のエサですが、本人は本当は脂ものが好きなようなんです。

私たちが食べる鶏の手羽中を油で焼いたものが好きで、匂いがすると「頂戴!」と

迫ってきます。

自然と私たちも脂っこくないものを食べるようになり、KUUを刺激しないようにしています。

それでも、誕生日くらいはいいでしょうと言う事になりました。

今夜は『味付けなしの鶏の手羽中』を2本作り、お皿に乗せました。

 

じっと待つ8歳のKUUです。

 

お誕生日おめでとう!はいどうぞ!

 

細かく裂いた鶏肉を美味しそうに食べましたが、半分しか食べませんでした。

それでちょうどいいでしょう。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

KUUの異変

2024-03-03 16:07:48 | 日記

弱っていた私の体が本調子に近くなり

普段の生活をしようと気力を絞り出しています。

ところが猫のKUUの調子が今いちです。

私が救急病院から帰った翌日、なかなか近寄って来ず

ビックリさせたんだなぁと申し訳なく思っていたのです。

そのせいだと思うのですが、KUUが朝吐きました。

そういう時は騒がず何気なく始末するのですが、その神経の細かさに驚きます。

それからは私が少しでも家を空けると、帰ったときにおかしな声で玄関に

駆けつけるようになりました。

夫によると少しの物音にも反応して大騒ぎで玄関に駆け付けていたとのこと。

何度目かにいよいよ私が帰ると「ギャギャギャ」と鳴いて私に飛びつきました。

「どうしたの?」と私が抱き上げると顔を寄せてくるのです。

今まで顔を寄せることなどなく、ツンレデの猫です。

 

今でもちょっと別の部屋に行っていると「ギャギャギャ」と大騒ぎで探します。

何事か!と思うくらい騒ぎ立てるKUUを見ると、今回の私の救急車騒ぎは

KUUに大きな心の傷を与えたのだと思います。

今日はひな祭りで、夫が「外食しようか」と言いましたが

こんなKUUを見ていると、ひとりで留守番などさせられないのでやめてもらいました。

 

先日、夫がPC作業をしていて、KUUが邪魔をしたようです。

夫が叱っても止めないところ、私がひと言「KUUちゃぁん!」と大きな声を出すと

私を見上げたKUUの悲しそうな顔を思い出します。

見たこともない悲しそうな寂しそうな顔でした。

”愛するお母ちゃま”に叱られることが、今のKUUにはどれほど大きな悲しいことなのか、

とハッと胸を突かれるような想いでした。

 

猫に”人間のような想い”などない、と言う人がいるでしょうが、違います。

今までは朝起きた私の一番最初の仕事は「自分のごはんの準備だ」と思って

うるさく鳴くKUUでしたが、今は黙って待ちます。

私の動作をジッと見ていて、「さぁいよいよ自分のご飯の番だな」と思うと

キッチンの入り口で正座して黙って待つKUUを見ると愛しくてたまりません。

KUUに信頼されるような”お母ちゃま”でいなければ自分が許せない私です。

 

夫がいない日「二人でショパン聴こうね」とCDをかけるとスピーカーにかぶりつきで

聴いています。

KUUはショパンが好きで特に激しい曲調が気に入っていることを知っているので

選んで流してやりました。

猫は周波数に敏感だと聞きます。

私にはほとんど聞こえないくらいボリュームを下げて聴いてもらいました。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

鬼の攪乱?

2024-02-21 12:47:53 | 日記

本当にいろいろありました。

楽しい尾鷲・熊野の旅から帰って、その余韻に浸る毎日、

その後の生活は知らず知らずのうちに、私の心と体を蝕んでいたらしく、

17日の夜に激しい吐き気と呼吸困難で、またまた救急車のお世話になってしまいました。

恥ずかしい限りです。

 

その前に2月11日は結婚記念日で、先にそのお話を。

大学を卒業してたった2年経って結婚してしまいましたので、

今年は結婚54年になります。自分でもビックリ!

結婚50年の金婚式には記念にスイス鉄道に乗る旅をしようと思っていたところ

コロナ旋風で中止となり、今更ねぇ、と思っています。

もうこんなに長く結婚生活をしていると、お互い病気もして、いろいろあっても

何も感じなくなるものです。

夫はこの頃は自分のことしか考えなくなり、「私の誕生日よ」とか「結婚記念日よ」とか言っても

「それがどうしたんだ」と言う態度でした。

それでも”よくできた妻”の私は結婚記念日のパーティーをしようとささやかながら料理をして

お気に入りのスペインの発泡酒CAVAを用意しました。

 

料理が出たら出たで、満足そうに食べる我が夫を見て、ため息が出ます。

私もそうですが、歳は取りたくないとしみじみ思います。

そういうことが私のストレスとなり疲労になるんではないでしょうか?

私の体の具合を診てくれているかかりつけ医は「疲れをためないように」と言いますが、

朝6時に起床するリズムで生活したい私と、朝4時に起床し生活を始めたい夫にとって

私はグズグズした妻なのだと思います。

何も言われませんが、そう思うだけで私は疲れてしまいます。

そして、最近は時々眩暈をして倒れていたのです。

 

そして、ついに17日の深夜、激しく嘔吐を繰り返し、呼吸困難になってしまいました。

苦しみの中で「ついに死ぬのね」と思いました。

その時に考えたのは「明日のKUUのエサはどうしよう?」だったのですから

人間とは面白いものです。

 

救急車要請をする夫には区の消防から「今、救急車が1台もない」と言ったそうです。

夫は「妻は顔が青白く呼吸苦しそうで死にそうです」と言うと「それでは他区の救急車を呼びます」

と言い「その前に消防が出動します」と言ったとかで、

「死ぬわ」と言う私にオロオロしていました。

後から聞くと、まさに「妻が死ぬ」と思ったそうです。

やがて激しく男たちの足音が私を取り囲み、「救急車が来ますよ、元気出して」と言います。

そして救急隊員が到着したようで、そのあたりは私は全く知らないのです。

「生ものを食べましたか?」とか「胃が痛いですか?」とか「腹痛は?」とか

首を振るのが精いっぱいでした。

消防車と救急車とが来て大騒ぎだったでしょう。

ストレッチャーに乗せられて救急車に乗せられたようですが、それから後が大変でした。

どこの医院も私を受け入れてくれないのです。

時間にしてどれだけ経ったかわかりませんが、やっと受け入れ先が決まり救急車は

救急医療センターに到着し、少し落ち着いた私は問診に応えられるようにりました。

血液検査と点滴、全身のCTスキャンをとられたようです。

あれこれ医師たちの会話があったようですが、わかりません。

「どうですか?立ち上がって帰れますか?」と聞かれ、「はい、大丈夫です」と

言って、待合室で待つ夫に迎えられてタクシーで自宅へ帰りました。

処置台から起き上がって「ここはどこですか?」と尋ねると、なんと二つ先の区にある

大学病院でした。

「ご自宅まで遠そうですね」とほほ笑む研修医らしき医師に照れ笑いをしましたが、

正直言って、まだ都内でよかったと思いました。

神奈川や埼玉だったら大変です。

夫に「○○区ですって」と言うと

夫は「来るとき山を見たからどこへ行くんだと思ったけど、良かった」ですって。

日付はとっくに変わっていました。

 

その翌日は1日中激しい胃の痛みで参りましたが、処方してもらった薬を飲んで

やっと4日目の今日は落ち着きました。

まだ食欲が全くなく、体重が2キロ落ち、フラフラしますが、いずれ回復するでしょう。

 

そして「死ぬかもしれない」と思ったときに「明日のKUUのエサは?」と思っただけあって

KUUはどれほど心配してくれたのか、調子が良くなっていた胃の調子が乱れたらしく

翌日は吐きました。

最初は遠巻きに私を見ていましたが、すぐに甘えて顔を寄せてきました。

今はソファでお眠りで、私が立ち上がると、自分も急いで立ち上がるのです。

ごめんね、ねんねの邪魔をして。ゆっくり寝てね。

コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

なぜに尾鷲?

2024-02-05 20:03:02 | 日記

2月2日、3日 仲良しの友人と二人旅をしました。

数年前に計画した旅行、それは『クエを食べる旅行』でした。

それがコロナのせいで幻になりました。

そして今回、”決行”の運びとなりました。

日本全国のおいしいものを求めての旅を二人でしてきましたが、今回は1泊2日です。

”クエ”と言えば三重県の尾鷲でしょう!

私の情報を元に相棒が詳しいプランを立ててくれました。

 

新幹線で名古屋まで名古屋から特急南紀(JR)で尾鷲着

尾鷲から紀勢本線で賀田(かた)着。

なんと無人駅で、駅にはホテルの自動車が迎えに来てくれていました。

 

どんなホテルか行くまでわからないのがいいのです。

でも、行ってすぐにそれがわかりました。

尾鷲シーサイドホテルはとても居心地がいいホテルでした。

シーサイドホテルと言うだけあって部屋の窓からは美しい海が一望です

 

さて、いよいよ待ちに待った”クエ”です。

クエ鍋

 

うまい魚と言えば”クエ”というだけあって、これが美味しいのです。

私は東京の料理屋で食べたことがありますが、相棒は初めてで、

感激していました。

私も養殖ではない海からの新鮮な”クエ”を堪能しました。

鍋のほかに鱗やヒレの唐揚げ、煮込み、なども抜群のおいしさでした。

”クエ”だけではなく、地元の魚たちの活き造りも絶品でした。

地酒もおいしくて二人で4合いきましたよ。

 

 

 

朝の尾鷲

 

翌日、さぁ帰るだけと思っていたら、ホテルのお薦めで熊野方面へ行ってみました。

 

世界遺産となっている鬼ケ城は激しい崖の続きで、よく歩いたと思います。

というより熊野灘の美しい海を横目で見ながら「きれい、きれい」の歓声でした。

 

タクシーに乗り継いだりして世界遺産の『花の窟神社』を詣でました。

 

熊野市駅から帰途につきます。

ただ、驚いたことに特急南紀号に乗って窓から景色をノンビリ観ていたら

突如「沿線火災のためにこの列車は次の駅で止まります。近鉄にのりかえてください」

との車内アナウンスがあったんです!

私たちは何のサポートもなく電車を降りて津で近鉄に乗り換えました。

お蔭で予定していた新幹線に間に合いませんでした。

どうするか・・・

そこは社会で活躍するキャリアウーマンの私の相棒の鮮やかな手腕で

スムーズに新たな新幹線に乗ることが出来、最初とは1時間遅れでしたが

無事に東京に帰れました。

 

翌2月4日は私の”嬉しい”誕生日です!

朝には昨日までの旅行の友からお祝いの花束が届きました。

気持ちが行き届いているなぁと涙がこぼれました。

KUUが花から離れません。

猫ながら美しいものは解っている子なのです。

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2024年の始まり

2024-01-09 10:41:53 | 日記

新年になったばかりに輪島で大地震が襲来したり、

羽田でJALの旅客機と海保の飛行機の衝突したり

散々な年の始まりになりましたね。

能登は息子が金沢単身赴任の地で私も訪れたことがあるので

風景を思い出して心が痛みました。

あの活気ある朝市が火災で焼失したニュースを映像で観て

世の中何が起こるのかわからないものだとため息が出ました。

何年か過ごした息子はきっとご当地の方々を思い出して

心を痛めていることだと思いました。

私にできることは義援金で協力することだけです。

 

羽田の事故のことも驚くばかりです。

2024年は心穏やかではなく、引き締めて始まりました。

 

今年は1月3日に初釜を開きました。

 

 

出石焼の器→夫に

 

 

信楽焼の器→私に

 

お茶を始めた時に戌年の私のために母が用意してくれた袱紗を今も使っています。

茶杓はこれも古く母から譲ってもらったものです。

これらを出すとき、懐かしく母の顔を思い出す私です。

和菓子は毎年娘がお年賀に届けてくれるので、今年もそれを使いました。

家の行事は、何かしら家族の顔を思い出す時でもあるのです。

焼き物は私たちそれぞれの好みが出て、性格がわかりますね。

夫は白磁が好きで私は釉薬がゴツく出たものが好きです。

 

そして、初釜の準備を開いているときはKUUが興奮するときでもあります。

何も関係ないのに、「何が起こるの?!」と目を輝かせて見つめています。

KUUも言うまでもなく我が家の家族の一員です。

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

明けましておめでとうございます

2024-01-03 10:08:23 | 日記

毎年同じですが、我が家から眺める初日の出です

新年あけましておめでとうございます。

2024年の始まりです。

今年はいいことがたくさんありますように、と願っています。

皆様 どのようなお正月でしょうか。

私宅は夫婦二人と愛猫KUUの静かな新年を迎えました。

年末に不注意にも風邪をひいてしまった私は苦しい毎日でした。

このところの寝不足がたたってか喉が痛く咳が出て体中が痛み、

ちょっとのことでは医者にかからない私は、うがいとニュージーランド産の

マヌカハニーを喉に流し込んでいましたが、ついに29日に市販薬を飲みました。

お正月にはお酒を飲まなければならず(?)「それまでに薬は止めたい」と思い

30日は薬をやめ、うがいとマヌカハニーに切り替えました。

それ以前は例の持病『突発性めまい症候』で数日苦しんでいたのと、KUUが

”毎朝4時に吐く”という症状で初めて病気でペット病院へ連れて行きました。

その上、家の内装を替えるという業者との打ち合わせもあり、とんだ年末でした。

KUUは血液検査や全身のレントゲン、腹部の超音波など初めての経験とか

2週間後には尿検査もあり、すっかり病人(病猫?)でした。

お陰様で初めての薬治療や消化を助けるエサへの変更などで今は元気です。

最近、家の空中を跳ぶ事がなくなり、「大人になったか」と思っていたら、

実は具合が悪かったということらしく、治療が進むにつれてまた元にように

2つあるキャットタワーからキャットタワーへと空中を跳んでおります。

私の体調が悪くても、我が家は何も進まず、年末の大掃除からガラス磨きまで

私の仕事でした。

今朝の目覚めで、初めて体調の復活を感じました。

そんなわけで、子供たちも来ないしお正月の料理は何も準備しないと決めて

デパートに頼んだのが幸いして、体を休めることが出来ました。

 

高島屋おせち料理

 

 

お酒は新潟の越後鶴亀  金箔入りです

 

吟醸酒で、私の感想は「かる~いなぁ」というお酒でした。縁起物という感じです。

 

1月中にお風呂を新しくして、リビング&ダイニングのホテル仕様のような豪華なカーテンを

普通の家庭のような物に交換するという工事があります。

まだまだ元気で頑張らなければなりません。

皆様にもどうぞ良いお年でありますように。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

年末のご挨拶

2023-12-25 15:13:56 | 日記

今年も残りも少なくなりました。

12月は実に忙しい日々でした。

今年はマンション理事に当たってしまい、不運なことにいろいろなことが起こりました。

まだ、何一つ解決をしていません。

年が明けてからの解決になります。

家の中ではお風呂の改装、リビングとダイニングのカーテンの取り換え工事が

1月に控えています。

12月は私の人間ドックの精検と猫のKUUの体調の悪さが重なり、人間も猫も

病院通いでした。

私は毎年のことに検査センターの過剰診察で精検では「あなたは健康です」と言われ、

KUUは先週末に”まずまず健康です”と出ました。

ただし、年明け3月に8歳になるので、「これからは年1回の健康診断などは

受けてください」と言われています。

私は昔の猫のように、猫は猫らしく自然に生きるのがいいと思っているので、

健康診断など止めてきたのですが、「毎朝4時に吐きます」などと受診に行くとなると

そうは行かないのかもしれません。

昼寝中のKUU

最近は私によく甘えます。

それでも抱っこを嫌い、一緒に寝ようとしないので、私はニコニコと

笑顔を向けるだけです。

私が1日用事があって朝から出かけると玄関にずっとうずくまっているそうです。

夫が「寒いだろ」と抱いてリビングに連れてきても、すぐに走って玄関に行き

私が帰るまでうずくまっていた話を聞くと、胸が熱くなります。

私がいると昼寝もよくします。安心なのでしょうか?

この寝顔を見ると私は健康でいてKUUを看取るまで死ねないと思います。

子供は自立して家から出ていきますが、猫は違います。

と、こんなことを考える年末です。

明ける年はどうぞ良いお年でありますように。

ありがとうございました。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

遅い秋の色

2023-12-15 14:59:53 | 日記

リビングから見る今年の秋です。

秋には程遠くいつまでも暑い日々がやっと行ったと思ったら

気象予報士によると、まだ20度を超える日があるようです。

気が付くと我が家に秋の色が現れました。

ベランダのイチジクの葉が黄色になり、秋がやって来ています。

今年もいっぱいの実を成らせてくれてありがとう!

とは言え、間もなく今年も終わろうとしています。

年の最後までいろいろあるようです。

 

先週、猫のKUUを病院へ連れて行きました。

2週間近く毎朝4時に吐き声が聞こえ、吐いているのです。

前日のフードを形のまま吐いていることもあり、さすがに普通ではないなと思いました。

と、思ったときは大抵ペット病院は休診です。

翌朝開院と同時に電話をして、予約もなしでいつもの主治医に懇願しました。

触診の後、全身のレントゲンとお腹の超音波と血液検査を受けました。

初めての経験でKUUは暴れたようでした。

疲れた顔の看護師さんはそれでも笑顔で「KUUちゃん頑張りましたよ」と仰ってくれました。

結果は「腸の動きが悪いようです」と「胃の調子も悪いですね」でした。

それぞれの薬とこの体調に良いと言われているキャットフードのサンプルをいただいて帰りました。

薬が効いたのか、翌朝から、もう元気いっぱいでビックリです。跳んで走っています。

最近おとなしくなり「この子も大人になって静かになった」と思っていましたが、

実は体調がすぐれなくて静かだったようです。

こちらの言うことは何でも判ると思っていても、人間の言葉で「あたち苦ちいの」と言えず、

解ってやれなくて、申し訳なかったです。

キャットフードは”消化を助けるキャットフード”で、治療のキャットフードではなく、

普通に食べ物として与えても良いと言われましたので、食べ物の変更を考えています。

実は本日、診断から1週間経ったので検診日だったのですが、

獣医さんの事情でお休みしていると電話があり検査は来週に持ち越されました。

この1週間の状態もお話したいし、獣医さんもKUUの腎臓を心配して「おしっこを採りたい」

とお話していらっしゃったとのこと。

猫の採尿は難しいらしいので、またKUUは暴れると思います。

「はい、おしっこしなさい」と言って「はい」とはいきませんから。

年内に決着するといいのですが・・・

 

今日は寒く、明日は暑いとか、こんな気候じゃ人間の体も参ります。

 

コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

正月の本

2023-12-09 08:53:33 | 日記

今年は嫁の重病が1年間を占め、気が重くなるばかりの1年でした。

というわけで、年末も正月も息子一家や娘夫婦も集まらないことにしました。

それぞれの家で過ごす正月にして、我が家老夫婦もおせち料理を簡略化することにしました。

正月はテレビがつまらないので、こうなると読書しかありません。

 

私は中学時代に川端康成の文章が好きで生家の書斎にこもって読み漁りました。

私の家には亡き父が残した書籍が書斎にいっぱいあり、「勉強します」と言っては

ひとり書斎にこもって陽が落ちるころまでいろいろな本を読みました。

大人になった私はそのころの読書が私の人間を形成したと思っています。

だから私だけ家族のみんなと人間が違うのだと思っているのです。

川端の文はゾクゾクするような色気があり、一人情景を描いては心を揺れさせていました。

そのころの癖が残っているのか、その後好きになった山本周五郎の文では”行間を読む”ようになり、

文に表していないのに行間から溢れる情景を想像して心を熱くしていました。

 

高校生になってからは三島由紀夫の文で多すぎる表現に戸惑いながら読み続けました。

その三島は忘れもしない1970年冬、率いる『楯の会』の青年たちと市ヶ谷の自衛隊駐屯地に突入し、

自衛官を集合させ「立ち上がれ!」と演説をしました。

その様子はテレビ中継され、全国民をテレビの前に釘付けにしました。

立ち上がるどころか三島演説にヤジを飛ばす自衛官たちを見て「そうか、その気にならないのか」と

力なくつぶやいた三島はバルコニーから総監室に戻り、切腹をして楯の会幹部が介錯しました。

テレビでは、そのすべてを見ていた当時の総監の記者会見もありました。

自分の演説が自衛官に受け入れられ、クーデターが起こるとは思っていなかったと思っています。

自宅に運ばれた遺体を訪問する川端康成氏の顔は歪んで見えました。

なぜ、そんな行動をしたのか、知識のない私には創作に行き詰った末に、

死に場所を探した”三島の美学”ではないかと思えるのですが・・・どうでしょうか。

 

あれから50年余が過ぎ、私は三島の本をこの正月はもう1度読もうと購入しました。

3カ月前くらいに北大路欣也さんの映画『八甲田山』を観たくて初めてアマゾンを利用しました。

アマゾン会員になったので、今回も古い三島文学を購入しました。

図書館とか電子図書とか利用するのは苦手なので本を注文しましたが、

届いた本4冊は新品そのもので大満足です。

 

『豊饒の海』4巻

今年のお正月は三島文学一色です。

 

ベンガル猫のKUUです。

珍しく病の中にいます。

ここ2週間ほど毎朝食べたものを吐いているので様子見でしたが、

昨日はとうとう病院へ連れて行きました。

とにかく食べ物には好き嫌いがあり、ちょっと慣れると「もう飽きたわ」と食べないので、

食べ物はいろいろ替えてきましたが、中にはオヤツ感覚で『グルメ』というものも加えていました。

その一種を小さいからか10gほどを丸のみしていて、消化せずに硬いまま吐いていたのです。

さすがに、これでは病院へ行くしかないでしょう。

動物病院でありながら予約せねばならず、「それでは困る」と

予約と予約の間に横滑りさせてもらいました。

みんな主治医持ちです。

ウチのKUUにも主治医がいます。

触診ではわからず、血液を採ったりレントゲンを撮ったりしました。

慣れない初めての”仕打ち”だったせいか、暴れたようです。

検査室から出てきたKUUは、私に向かって恨めし気な顔をして見せました。

結果は「腸の動きが悪い」ということと「胃の動きがよくない」ということで、

薬が出てそれを飲んでから1週間後にまた検査です。

キャットフードも”試し食い”と称して、2種類もらいましたが、

これは新しいモノだからか、喜んで食べています。

 

もうひとつ、明け方の寒さで吐くこともあると言われたんです。

猫は家の中で自分が一番過ごしやすい場所を見つけて過ごすと思います。

家族の布団では絶対寝ないKUUは、毎日リビングのソファのムートンの上で

気持ちよく寝てるはずです。

信じられないのですが、指摘を受けて昨夜は夜通しエアコンをつけてみましたが、

今夜からは明け方つくように、リモコンで入力しようと思っています。

KUUは野生のベンガル猫の子孫で、雄々しいはずなのに・・・

 

昨日は帰っても大きな声でギャーギャー鳴くばかりで、きっと怖かったのでしょう。

夜になってやっと落ち着いて寝ましたが、私たちが移動するとすぐに走ってきて

「どこにも行かないでぇ」と甘えていました。

 

お食事中

 

ムートンの上は気持ち良いのだ!と眠りに入ります

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

今年の人

2023-12-04 14:39:48 | 日記

今年もあと1カ月に満たなくなりました。

そこで私の中で今年特に気になった人を記してみたいと思います。

まずは直木賞作家の伊集院静さん。

その昔、女優・の故夏目雅子さんと結婚したときにはじめて知った名前なのですが

彼の文を読むにつれて惹かれていきました。

特にエッセイには珠玉のものがあります。

毎年成人式に書かれる新成人に向けた文章には心打たれています。

確かサントリーの新成人に向けたお酒の宣伝に使われていると思います。

これは数年前の文章ですが

「成人になった君たちへ。

人間は生まれるときも死ぬ時もたった一人です。

その間にどれだけ有意義な道を歩き

たくさんの知己を生むことが出来たのか

それこそが大事なのです。」(正確ではありません。要約です。)

というものがありました。

この文章はいまだに私の心を残っています。

その後の文章も、何が生きる上で正しいことなのか考えさせられてきました。

つい先だって、伊集院さんが亡くなり、もう新しい文章を読むことができないのです。

伊集院さんの仰るように悲しいことですが、人は誰でもいつか亡くなります。

 

もう一人の方は、まだまだお元気です。

今年御年80歳、傘寿を迎えられました。

俳優の北大路欣也さんです。

今年の文化功労者となられました。

朝起きると、夫が「あなたの好きなナントカちゃんが文化功労者になったよ」

と新聞を読んで言うのです。

いつも『欣也ちゃん』と呼んでいるものですから。

私は国が授ける章のようなものは好きではありませんが、

この夫からの情報にはパジャマ姿で心から喜びました。

夫が言うのは

「今まで事件も起こさず、これからも穏便に過ごしそうな俳優の代表だな」だそうです。

 

私はこの方を小学生のころから存知上げています。

お父様は東映時代劇の市川歌右衛門さん、欣也さんは時代劇のサラブレットとして

中学1年生の時『父子鷹』という映画で若い時の勝海舟としてデビューしました。

私が生まれ育ったところは北海道のまあまあ都会です。

映画館が2つあり、ひとつは洋画専門館、もうひとつは邦画専門館でした。

何も娯楽のない時代に映画だけが娯楽で、祖父に手を引かれて映画三昧の日々でした。

また前にも書いたことがありますが、その当時の東映時代劇重鎮の脇役が

我が街の出身で、ご実家がありました。

東映時代劇に出演されている俳優さんたちは、私たち映画好きにとってはヒーローです。

欣也さんはデビューのときからハンサムでスラーっとして、声がよく通り、

大好きな俳優さんでした。

高校時代でしょうか、家康が人質のときから信長に対するまでの長い時間を演じ、

馬は中学時代に乗馬指導員の資格を持つほど上手でしたし、長セリフを朗々と吟じ、素晴らしかった。

私の生活の中でなくてはならない存在でした。

その人と会うことが出来たのです!

大学生活のために東京に来て、あらゆる新劇の舞台を観ました。

忘れもしない『オンディーヌ』というフランス戯曲の舞台で

前列から3列目にいた私の真ん前に立ち、ジッと私を見つめてくれたのです!

誰かのセリフの間それは続き、私は恥ずかしくてどうかなりそうでした。

新聞劇評には「北大路が圧巻、しかもこんなにタイツが似合う俳優がいるとは!」

というのもはっきりと覚えています。

”ジッと見つめてくれた”とは私の勘違いであることは知っていますよ。

でもファンとは勘違いして喜ぶものなんです!

 

今、時代劇はテレビでやっています。

CSには時代劇専門チャンネルもあります。

欣也さんは昔から実年齢より若く見え、40代でも20代の若殿を十分演じられます。

現在、若い時の時代劇を放映していますが、剣士の欣也ちゃんは素敵です。

柳生十兵衛役で新陰流の立ち回りの素晴らしいこと!

剣士だけに背筋がピンッとしていて、現代の服を着ても姿勢の良さは驚くほどです。

今は80歳ですが、まだまだ立ち回りをこなしています。

一番新しい作品は『三屋清左衛門残日録』の7作目なのですが、まだ放映されていません。

楽しみにしています。

年を重ねて温厚な大人の顔を見せてくれ、それはそれで素晴らしいのです。

良い役者になったと思います。

とかく私のすることにチャチャをいれて揶揄う夫ですが、欣也ちゃんに関しては

「こんな役者はそうはいないよね。」と褒めています。

今年 文化功労者に選ばれていい年になったでしょうが、まだまだお元気でいて
私のようなファンを楽しませてほしいです。

写真を何枚か用意しました。

 

柳生新六郎 (時代劇専門チャンネルテレビからお借りしました)

42歳の欣也ちゃんです。

 

三屋清左衛門(時代劇専門チャンネル・マガジンからお借りしました)
80歳の欣也ちゃんです。

 

素顔の欣也ちゃん 80歳です(カタログハウス・マガジンからお借りしました)

赤字のサインはご自身のサインです。書も上手なんです。

 

これらを見てにんまりしている私は・・・平和だよね

 

 

 

 

 

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする