島根県邑智郡美郷町浜原は、(広島県)三次と(島根県)江津のほぼ中間に位置することから、(江の川)川舟の中継地として栄えたそうです。
また、石見銀山街道がここ浜原を通っていました。
街道沿いのお地蔵さま、と
小さな社(お祀りの神様はわかりませんでしたが)
(裕編集の)浜原のまち
また、石見銀山街道がここ浜原を通っていました。
街道沿いのお地蔵さま、と
小さな社(お祀りの神様はわかりませんでしたが)
(裕編集の)浜原のまち
9月22日(安芸区のわが家付近)天候:くもり
9月22日(安芸区のわが家付近)天候:くもり
コメントをいただいた中にリンク。
そこをたどり地吸川の記事へと行っ
てみました。面白い地名があるもの
です。紹介されていたのは橋の名で
したけど、川の名なのですよね。
さて、川舟の中継地。
内陸の地に水上交通の要所というのが
気になりますね。昔は川が交通路とな
ることは全国各地で見られること。
こちら信濃川なんかもそうでした。
いまのようにダムがないので水量が多かったからと道路網が整備されていなかったからでしょうね。
江の川は、日本海へ、太田川は瀬戸内海へ安藝国(広島県)は舟運が発達していたようです。
地名の由来とその読み、何かなと考えていたら悩むものですね。
先日訪ねた旧賀茂郡河内(こうち)町いまは東広島市に編入されているのですが。
河内町になる前、大河村だったのです。
大河村=河内村+上河内村+中河内村+河戸村で、さて大河村はどう読むのだろうと思ったのです。
こうち地区が大同団結で発足した村、だいごう村、だいこう村かなと思ったのですが、広島県地名辞典を引いてもないのです。
いやいや、おおこう村、おおごう村かな、引いてみましたがありません・・・・
素直というべきか、おおかわ村だったのです。