今朝(2016年9月8日)中國新聞の記事で次のことを知りました。
『福蔵寺は、3年前(2013年)から無住寺となり、維持管理していた地元住民が建物(鐘楼、庫裏)の倒壊などを危ぶみ先月(8月)中旬解体した。今後、小さな庫裏を新設その中で鐘楼の柱の装飾の一部を保存公開する予定』だそうです。
被爆した建物もことし71年目、経年劣化で解体を余儀なくされ一つ一つ消えていくのでしょう。
2014年(被爆した)三戸商店倉庫が解体された時に書きましたが、
「現存する被爆建物の何をどういう方法でこれからも残し(遺し)、平和学習などにどう活用していくのか、広島市としての基本方針を確立しなくては、道路計画内にあり民間の建屋なのだから解体やもなしとする今回のこの現在三戸商店倉庫が消滅した例を出すまでもなく被爆建物は一つ一消えていくことでしょう。
原爆ドームだけ保存して行けばいいのだと云うことでは決してないとわたしは思うのです。」
(被爆した)庫裏2010年撮影
(裕編集の)消滅福蔵寺(鐘楼・庫裏)
広島ぶらり散歩「被爆した建物・構築物」編
9月8日(安芸区のわが家付近)天候:(昨夜・雷雨上がりの)くもり
予算のこともありましょう。被爆遺産をどのようにして
残すか。地元住民との関係も含めて良い形で、
極力持続可能な道を模索してほしいものです。
町をあること自体が平和学習になるようでしたら、
意義深いと思うのですが。
市内のそこここに被爆した建物があった時代は原爆の惨禍を思い出させるものだから保存をするという考えは多数ではなかったのでは、
広島県産業会館(原爆ドーム)の例を出すまでもなく壊そうという意見もあったそうです。
未来の広島市民になぜ残さなかったと云われないようにするのが、今を生きる広島市民の責任ではとわたしは思うのですが。