和歌山県東牟婁郡串本町潮岬にある‘潮風の休憩所’前に整備されている「下村海南コーナー」です。
※このコーナーには下村海南説明碑、下村海南胸像、下村海南歌碑が建立されています。
※潮風の休憩所は、(旧休憩舎北側に)2014年7月に新築、その時下村コーナーも整備されたそうです。
下村 海南(しもむら かいなん:1875-1957)
官僚、新聞経営者、政治家、歌人。和歌山県出身。本名は宏。
本州最南端碑を撮影して、展望台で太平洋を見て、
ツアーバスに戻ろうとしたときに“潮風の休憩所”があり中に入って少しばかりの休憩とという時間もなかったので、ツアーバスに戻ろうとしたときに、「胸像」をみたので立ち止まったのです。
説明碑がありみると下村海南とありましたので、まったく知らない人物でしたが、歌碑も建立されていましたので歌人だなと思って撮影したのです。
(裕編集の)下村海南胸像と歌碑
※このコーナーには下村海南説明碑、下村海南胸像、下村海南歌碑が建立されています。
※潮風の休憩所は、(旧休憩舎北側に)2014年7月に新築、その時下村コーナーも整備されたそうです。
下村 海南(しもむら かいなん:1875-1957)
官僚、新聞経営者、政治家、歌人。和歌山県出身。本名は宏。
本州最南端碑を撮影して、展望台で太平洋を見て、
ツアーバスに戻ろうとしたときに“潮風の休憩所”があり中に入って少しばかりの休憩とという時間もなかったので、ツアーバスに戻ろうとしたときに、「胸像」をみたので立ち止まったのです。
説明碑がありみると下村海南とありましたので、まったく知らない人物でしたが、歌碑も建立されていましたので歌人だなと思って撮影したのです。
(裕編集の)下村海南胸像と歌碑
4月20日(安芸区のわが家付近)天候:くもり
下村海南さんの句碑、とても難しいです。
「春寒み」の「み」がとっても違和感があって、「はるさみ」「しゅんかんみ」もしっくりきません。
「み」の文字を「能(の)」と読めればしっくりくるのに、私には「み」としか読めないです。
あと、難しいのは「野」の異体字で「田」「予」の下に「土」で「野」と読みます。
「に」は「尓」、最後の「り」は「里(り)」のくずし字です。
あと2行目の地面すれすれに「宏」の文字があります。
下村海南氏の本名が「宏」さんなので、揮毫もご本人なのでしょう。
ご本人の書を見つけて見比べたら、もう少し楽に読めそうです(苦笑)
読み下したNETの頁がなかったら紹介できなかったと思っています。
勉強されたmakotoさんが難解だと云われるくらいですからわたしには解読されたどの文字も××でしたから。
ただ、画像を大きく編集したのは、いまとは違っていても新型ウィルス流行で外出を控えておられるかなと思ったからでもあったのです。
その点、胸像の作者に関する頁をNETで探せなかったのです。
和歌山県出身の彫刻家を調べてはみたのですが。
胸像の作者は私も読みにくくて、興、與、輿あたりのくずし字かな?と思ったのですが、ハッキリせずでした。
結果、全然分かりませんでした。
そこで東京文化財研究の美術家・美術関係者検索物故者記事データベースで名前に「市」がつく方を探しましたが、見つからず。
そこで富山県高岡市の鋳物工場の中には自社作成の銅像を紹介しているので、そちらも探しましたが該当なし。
日本美術院や南紀美術会の会員さんからも該当しそうな方が見当たりませんでした。
思い当たる限りネット検索しましたが、これは地元の文化施設に問い合わせて分かるかどうか、という感じがしました。
良いところがあるのですね。いつか行きたい
潮岬。今はどうにもなりませんが、今年で
とりあえず一区切り。来年から仕事をどう
続けるかを思案中です。フルタイムはたぶん
なくなると思いますので..
>興、與、輿あたりのくずし字かな?
これがわからずじまいで、芳、琴など違った字ばかりを当たりました、
下が市の字だなと思いましたが。
>地元の文化施設に問い合わせて分かるかどうか、という感じがしました。
同じことを考え、
コロナがひと段落したら役場に尋ねてみようと思っていますが。
ありがとうございました。
潮風の休憩所・・・
ツアーバスへの集合時間ばかりを気にしていて、中を覗かなかったのは大失敗でした。
中には
『串本町の人々が白蝶貝に夢を求めてオーストラリアに渡った歴史を紹介』などの紹介資料があったのです。
ツアーは安直に観光地を回れますが、
時間をかけたいところは人それぞれですから・・・
しかし、南紀を旅できたのはよかったです。
思い出しながら頁を編集しました。
まだ熊野関連の神社の頁は手が付かずですが。