広島市中区大手町の平和記念公園の原爆ドーム南側に設置されている「原爆ドーム説明板」です。
説明板には、
・「広島県物産陳列館の建設」
・「原爆ドームへ」
・「保存への取り組み」
・「世界遺産への登録」について簡潔に説明・解説しています。
(裕編集の)原爆ドーム説明板
「広島県物産陳列館の建設」の説明板には、
『チェコ人の建築家ヤン・レツル(1880-1925)※1の設計により
1915(大正4)年4月に広島県物産陳列館として完工し、
特徴のある緑色※2のドームによって市民に親しまれていました。・・・・』
※1:設計者ヤン・レツルは、竣工式に招待されなかったのです。
なぜだか、考えてみてください。
*ヒント:20世紀は戦争の世紀とも云われていますよね。
(裕編集の)ヤン・レツルの略歴
※2:銅板葺きでしたので、竣工時は銅板色だったのです。
銅板が年を経るごとに緑青(ろくしょう)が出てきて緑色になったのです。
国土地理院の地図を使用し加筆しています
7月31日(安芸区のわが家付近)天候:曇り気味(はれ)
28.3℃、73%
本安川を挟んで対岸から眺めましたので設置されていても読まなかったでしょう。
団体旅行でしたの個人の行動に制限があるのはやむを得ませんが。
和服を着た写真を見ますと日本が好きだったのかと思ってしまいますが
ただ敵国と言うだけで受け入れられなかった当時の時代背景が影響していたのでしょうね。
人間の気持ちまで分断してしまう戦争は二度とすべきで無いと強く思います。
この説明板がなかった時代には、
3で紹介した説明碑がその役割をしていたのでしょうが、
もう少し知りたい人たちようにこの説明板が設置されたようですね。
宮島でも宮島ホテルを設計していますが、ほとんどの設計が戦災などで無くなっているようです。
設計者としての誇らしき竣工式典に出席できなかったのは無念だったでしょうね。
われに正義ありとプーチンさんのような人物が続かないようにと、いかに止めるかが、国際社会に突き付けられた問題なのでしょうね。
次に習近平さん、金正恩さんと続いてとならないようにと。