
現在、中区中島町の広島平和記念資料館・本館に展示されている「人影の石」です。
屋内展示ですが経年劣化が進んでいるようで説明板にある松重美人さん撮影の写真のように黒い影は、はっきりとわからなくなっています。
人影の石
『この石は、1945年8月6日8時15分爆心地から≒260mの住友銀行広島支店の入口の(被爆した)階段の一部です。
強烈な熱線のため、石段の表面は白っぽく変化し、人が腰掛けていたと思われる中央の部分だけが影のように黒くなって残りました。
石段に座って、開店を待っていた人は、原爆の熱線を正面から受け、逃げることもできないまま、その場で亡くなったと考えられます。』
今年になりましたが、現在三井住友銀行広島支店に建立されている「住友銀行原爆物故者慰霊碑」を巡り頭を垂れているとき、
通称・原爆資料館に展示のこの被爆し亡くなった方の影が階段石に残った「人影の石」のことを思い出し、「住友銀行原爆物故者慰霊碑」を編集するときこの「人影の石」のことも記述しました。
しかし、それまで撮影し頁を編集していませんでしたので、改めて入館しフラッシュを焚かずに撮影し、頁を編集しました。
以前みた印象からこれほど薄くなっていたのかと思いましたが、(わたしの)記憶は写真の印象が強烈だったからかもしれないと思ったりしましたが。
(裕編集の)平和記念資料館展示:人影の石
屋内展示ですが経年劣化が進んでいるようで説明板にある松重美人さん撮影の写真のように黒い影は、はっきりとわからなくなっています。
人影の石

『この石は、1945年8月6日8時15分爆心地から≒260mの住友銀行広島支店の入口の(被爆した)階段の一部です。
強烈な熱線のため、石段の表面は白っぽく変化し、人が腰掛けていたと思われる中央の部分だけが影のように黒くなって残りました。
石段に座って、開店を待っていた人は、原爆の熱線を正面から受け、逃げることもできないまま、その場で亡くなったと考えられます。』
今年になりましたが、現在三井住友銀行広島支店に建立されている「住友銀行原爆物故者慰霊碑」を巡り頭を垂れているとき、
通称・原爆資料館に展示のこの被爆し亡くなった方の影が階段石に残った「人影の石」のことを思い出し、「住友銀行原爆物故者慰霊碑」を編集するときこの「人影の石」のことも記述しました。
しかし、それまで撮影し頁を編集していませんでしたので、改めて入館しフラッシュを焚かずに撮影し、頁を編集しました。
以前みた印象からこれほど薄くなっていたのかと思いましたが、(わたしの)記憶は写真の印象が強烈だったからかもしれないと思ったりしましたが。
(裕編集の)平和記念資料館展示:人影の石
10月6日(安芸区のわが家付近)天候:はれ(久しぶりのように思います)
「アルミのお弁当箱」も・・
影が薄れていくということがあるのですか・・
戦後70年も経っていますから・・
とても残念です。
見学された時の記憶がありますか。
この住友銀行の階段に残る原爆による人の影、
そして、萬代橋に残っていたという原爆による人影・・・
萬代橋は、画像でしか記録がありませんので、2003年資料館の許可をもらってHPに掲載しました。
http://masuda901.web.fc2.com/page2g1c.html
階段の方は、当時まだ資料館の展示資料は撮影禁止でしたので撮影していませんでしたが、資料館に行けばみられると思っていましたので。
云われるように被爆71年ですので、人の影が薄れていくように、原爆の惨禍が忘れられてはならないと思っています。