今回(5月11日)まちづくり交流ウォークの立寄り先のひとつであった陸軍中国憲兵隊司令部跡は現在ビルが立ち並びその跡を示すものはほとんどありません、唯一『原爆犠牲米軍人慰霊銘板』がビルの外壁に設置されています。
戦艦榛名を攻撃中に撃墜され捕虜になった米軍爆撃機の機長が戦後広島の地に再び立寄った時の言葉が残っています。「私は原爆で親しい者を失った数少ない米国人の一人。
広島の痛みは私の痛みでもある。
戦争は破壊と憎しみを、平和は繁栄と幸福をもたらすことを私たちは学んだ。
この事実を次世代に伝えたい」
原爆犠牲米軍人慰霊銘板
戦艦榛名を攻撃中に撃墜され捕虜になった米軍爆撃機の機長が戦後広島の地に再び立寄った時の言葉が残っています。
広島の痛みは私の痛みでもある。
戦争は破壊と憎しみを、平和は繁栄と幸福をもたらすことを私たちは学んだ。
この事実を次世代に伝えたい」
原爆犠牲米軍人慰霊銘板