<遊去の話>

「遊去の部屋」「遊来遊去の雑記帳」に掲載した記事と過去の出来事についての話です。「遊去のブログ」は現在進行形で記します。

横断歩道

2019-04-30 17:17:45 | 「雑録」

 駅前の広い道路の横に小さな信号がある.そこは時々バスが通ったり,駅前で客待ちするタクシーが通るくらいで,一般車は殆ど通らない.それでもその信号は横の本通りの信号と同期しているらしく,歩行者用信号も一人前に青になったり赤になったりしていた.駅前のバスターミナルでバスを降りた客は,その信号を無視して,7mほどの横断歩道を渡り駅に急ぐのが普通になっているのだが,その日はその横断歩道の横に一台のパトカーが止まっていた.ぴったりと横断歩道に横付けし,正面をバスターミナルの方に向けている.前の座席には制服を着た2人の警察官が前を向いて座っていた.バスを降りて横断歩道を渡る客はその2人の警察官と正面から向き合うことになるわけだ.

 ターミナルに入ってきた1台のバスのドアが開いて,中から5人の乗客が降りてきた.そのうちの2人は年配の婦人で,年の頃は60くらいか,内側に服を着込んで,その上に上着を着,さらに上から外套を羽織っている.丸く着膨れした襟元からはスカーフがはみ出して,見るからに田舎まる出しの格好だった.両腕には,いっぱいに押し込められて今にも破れそうになった買い物袋が片手に2つずつ下げられている.2,3歩遅れて,2人の後ろから,黒っぽい地味なコートを着てほっそりとした初老の男性が3人,タバコを吹かして小声で何か話し合いながら付いていく.田舎から何かの用事で町に出てきて,そのついでにごっそりと買い物をして帰るところらしかった.

 私は自転車で,その一団のすぐ後ろにいた.すぐに私はパトカーに気づいた.横断歩道までは10mとない.信号は赤だった.いつもなら無視する信号を,今日はパトカーと向き合って青になるのを待つのかと思うと,もうそれだけで不愉快な気分がした.警官も仕事でそこにいるのだろう.それはよく分かっている.仕方のないことだ.しかし,パトカーが居るだけでも効果の上がる場所なら他にいくらもありそうだ.このようにして信号を守らされるというのには多少の屈辱感さえ伴う.あえて守りたくないという気持ちにもなる.警官はこちらを見ていた.前の一団はオバチャン2人を先頭にどんどん前へ進んでいく.大声で話に夢中になっていてパトカーには全く気づいていない.いや,それよりはパトカーの存在を無視していると言った方がふさわしい.このオバチャンたちにはパトカーもただの車でしかないようだ.『邪魔なところに止めて!』というくらいにしか思っていないのだろう.

 警察官というのは一つの職業である.が,ちょっと特殊な職業である.昔,ある友人から聞いた話であるが,彼は色々な事情から警察官を嫌っていた.それは彼の父親が警察官であり,その私生活の波紋が家族に落とした影によるものだった.実際には,それは父親個人のものであったのだろうけど,たまたま父親が警察官だったものだから彼は警察のような制服組を馬鹿にした.彼は母親を慕う一方,子供ながらに父親を疎ましく感じていく.彼は父親の庇護を抜け出して,というよりは振り捨てるようにして都会生活を始め,大学に進学をすることを考えながらも生活費を稼ぐためにいろんなアルバイトをしていく.そして数年が過ぎてしまい,とうとう将来の方針を決めなくてはならない時が来てしまった.いろいろ考えた末,彼は警察官になろうかと思ったのだ.それで父親の知り合いであった警察官のところにその相談をしに行ったのである.その警察官は彼に質問をした.もし,お前が警察官になって,自分の父親が何か犯罪を犯していることに気づいたら,そのときお前はどうするか.そのことを知っているのはお前だけで,黙っていれば誰にも知られないで済むとしよう.彼が何と答えたかは覚えていない.もしかすると言わなかったのかも知れない.「お前ならどうする」と彼は矛先を変えて,こちらに切り込んできた.私は少し考えたが,結局,もし自分なら黙っているだろうと答えた.その警察官の話では,昔,志願者の面接のときにこの質問をしたらしい.当然,最終的な答は2つである.逮捕するかしないか.これはなかなか厳しい質問だ.試験官の前でどちらかを答えねばならない.犯罪を見逃すことは警察官としての義務を怠ることである.自分の父親を逮捕するのは,いくら犯罪を犯したとはいえ道義上問題がある.つまり,これは何を尋ねているかというと,あなたは義務の遂行に当たっては自分の情緒的な感情を抹殺することができますかと聞かれているのである.

 1960年~1970年代にかけては,安保闘争をはじめ学生運動の燃え上がった時期であった.これは日本全体を巻き込む政治状況であったように言われるが,私はそうは思わない.この時期,日本はちょうど高度成長のさなかにあり,大多数の国民は自分の生活を確保して新しいものを手に入れることに躍起になっていた.テレビ,洗濯機,冷蔵庫,そして一家に一台自家用車‥‥.生活は随分楽になりつつあったが,それでも大学に行くというのはまだ少数である.ただ,今とは事情が違っていて行きたいと思えば充分に自分の力で行くことはできたのだが,それよりも早く働いて家の暮らしを助けるというのが普通であった.だから働いているものにとっては,大学生というのはどこかチャラチャラした若者に映ったろうし,実際そういうものも多かったと思う.学生運動はだんだんとエスカレートして,デモ隊は次第に機動隊と衝突を繰り返すようになっていく.それは戦後生まれの世代に,警察は誰のためにあるのかという疑問を浮かび上がらせることになった.警察は社会の秩序維持のために働く.社会体勢が逆転すれば今度は逆転した側のいう秩序維持のために働くのだ.個人の信条で行動することを許されない職業ということになる.それに比べて学生は自らの信条で行動していると,少なくとも自分では思っているだろう.そしてその信条こそが正義であるからそれに対立する物は悪だという論理で何をしてもいいという方向に発展していく傾向がある.だが,彼らの行動には自分の鬱憤のはけ口をそこに見い出したとしか思えない場合もかなりある.実際,学生も警察も相当にひどい.だが,衝突というのはそういうことなのだ.学生は警察を口汚く罵倒する.そして何を言われても表情を変えない機動隊員の顔がテレビ画面に映し出される.マスコミはコントラストを濃くして事件をメディアに流していた.

 友人は私に,お前は合格だと言った.時代が時代であっただけに私はちょっと複雑な気持ちだった.その警察官の話では,『父親を逮捕します』と答えるものは警察官として最も不適格だと言っていたそうだ.道義的な問題でつまずきそうな人間でなければ,なかなかこの仕事はやれるものではないとまるで反対のことを言うのだ.では義務を怠りますと答えたものが正しいかというとそれはもちろんそうではない.つまり,警察官としての資質を供えているかどうかを見ているということなのだろう.では正解はないのかと私は尋ねた.そして模範解答を聞き,唖然とした.父親の犯罪を見つけたら,それを見逃すことは義務違反である.だから,それは絶対にいけない(実際はどうか知らないが…).そこで警察に事実を報告に行く.『父親がこういうことをしました.』そして誰かを逮捕に差し向けてもらう.それから自分は辞表を提出する.これが正解らしいのだ.この話は人によって幾通りにも読み解けるだろうが,警察官の世界の一面を象徴的に窺わせるものを持っている.これを聞いて,私は『20年後』という0.ヘンリーの短編を思い出した. ‥‥‥‥‥.

 二人のオバチャンたちはあたりの様子など一切気に掛けるふうもなく,大声でしゃべったり笑ったりしながら信号に向かって歩いていく.暮らしのひとつひとつを切り盛りしてきた母親の逞しさが窺われた.この人たちにも若い娘時代があったことは間違いないのだが,きっと生まれたときからこうだったのだと思ってしまいそうになる.一体,何人の子供を育て上げたのか,毎日毎日せっせと家事をこなして合間合間に畑仕事をする.手間仕事で稼ぐわずかなお金はその日のうちに消えてしまう.子供がよその子に石をぶつけたといっては頭を下げて謝りに行き,また肥え溜に嵌ったときには汚物を洗い流してやりながら,自分の苦労が大成することはなさそうだとうすうす感じないではいられなかった.まあ,しかし,この子も自分の子供では,それも仕方のないことかと思いながら40年も田舎でこういう暮らしを続けると人間は芯から強くなる.

 私は一団のすぐ後ろにいた.これはまずいぞ.どうなるだろう.正面にはパトカーがいる.白と黒とのデザインは何処にいても一目でわかるほど,あたりと不調和に異質な光を放っている.制服の警官は座席に座ったまま表情を変えない.あと5歩くらいか.私は急に気が重くなった.「おいおい,おばやん,あんたら前をよう見やんかいな.赤やで!」そう言って止めようかと思ってパトカーの方を見た.ところが,ちょっと様子が違うのだ.運転席の警官がややうつむいている.私はおかしいなと思った.あの警官は確かに眼鏡を掛けていたが,今は帽子の陰に顔が隠れて口あたりから下しか見えてない.居眠りをしているような,何か手元で手帳でも見ているようなそんな様子で,ずっと前からそうしていたようにしか見えないのだ.あと3歩で足が横断歩道に掛かろうとするとき,助手席の警官の顔がゆっくりと動き始め,横断歩道とは反対の方に回っていった.実に自然な動きであった.視線の先には駅前に停車しているタクシーや駅に出入りする人々の姿がある.それは退屈な日常の風景であった.その雑踏をただ何ということもなく眺めている横顔は,この退屈さこそが平和ということの証なのさとでも言いたげであった.そうしてパトカーも風景の一つになっていた.一団の人たちは全く速さを落とすこともなく横断歩道に踏み込んだ.続いて私も横断歩道に入っていった.渡り終えてから私は信号を見たが,それはやはり赤のままだった.駅前では何一つ変わりなく人の流れが続いていた.


★コメント
 日付がないのでいつ書いたのかわかりませんが、98年頃だと思います。ワープロで書くのを楽しんでいた時代で、友人に見せたりして遊んでいたのでしょう。といっても、せいぜい2,3人です。
 先日、知り合いと話しているときにこの出来事が話題になり、そういえば何か書いたなと思い出したわけです。捜してみると出てきたのですが、改行が殆どなく、詰まっていて読みにくい。手を入れたくなりますが、それをすると切りがないし、自分に於ける「ワープロ初期」の時代のレトロな雰囲気が変わってしまうのでそのままにしておくことに決めました。
2019年4月30日

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