New Yorkとブロードウエイ・ミュージカルとの出会い
今から50年前の1961年、私がちょうど20才の時にハリウッド映画「ウエストサイドストーリー」が公開されました。
アメリカンポップスの全盛だった当時、このミュージカル映画をシネマスコープの大画面で見た時の驚きと迫力は今でも鮮明に憶えています。
この「ウエストサイド・ストーリー」は1949年にジェームス・ロビンスがロミオとジュリエットを下敷きに、設定を現代のNYに置き換えて、ユダヤ教とカトリック教徒との対立を盛り込んだミュージカルを仕立てたいと提案したことが発端になっているそうです。
そしてその物語は50年代に設定をアメリカ人不良グループとヒスパニック系不良グループに変更され、音楽をレナード・バーンスタイン、詩をスティーブン・ソンドハイムに依頼して、舞台はロサンジェルスからニューヨークへと移されて「イーストサイド・ストーリー」に変わりました。
やがて、イーストサイドのスラム街が取り壊されて、不良グループが東から西へ移動した為、「ウエストサイド・ストーリー」と変更されました。
そして1957年8月、ワシントンで初演を迎え、同年9月からブロードウエイのWinter Garden劇場で上演が引き継がれました。
憎しみや醜い争いに満ちた話をミュージカルにするなど「自殺行為」と当初は成功を危ぶまれましたが、結果は大成功。
この作品はブロードウエイ・ミュージカルのレベルをぐんと引き上げ、ミュージカルの最高傑作として”古典”の殿堂入りをしています。
そして余りにも有名なこの名作が映画化されてスクリーンに登場したのが冒頭に書いた1961年のことでした。
「Tonight」、「Maria」、「America」、「Cool」などの名曲の数々、そして何よりも衝撃を受けたのがダイナミックな<ダンス・シーン>の素晴らしさでした。
私はこの映画を有楽町にあった「ピカデリー劇場」に何度も足を運んで見に行ったことを憶えています。
そして、『いつか機会を作って本場のブロードウエイ・ミュージカルを見に行きたい!』という<夢>がその時に大きく膨らんでいました。
初めてのNew York
そんな「20歳の夢」が実現したのが1991年、が私50歳の時でした。
メキシコ・シテイに赴任していた当時、50年来の<夢>が実現して初めてのNew York旅行をすることが出来たのです。
当時は残念ながら「ウエストサイド・ストーリー」は上演されていませんでしたが、人気絶頂の「Cat’s」と「オペラ座の怪人」をブロードウエイで観ることが出来、大満足でした。
初めて訪れたNYでは毎日のように観光バスに乗ったり地下鉄に乗って市内観光をしながらNYの街の探索を続けていました。
1991年に初めてNYを訪れて以来、計3回NYを訪問しましたが、2回目、3回目の目的は「ミュージカル観劇」一筋で、「ミス・サイゴン」、「クレイジー・フォー・ユー」、「42nd Street」、「フットルース」、「オペラ座の怪人」などを観ることが出来ました。
そして3度目のNY訪問をしてから7年が過ぎた2006年11月、急に<NYのその後>を見に行きたくなって、旅行準備をスタートさせました。
ワールド・トレード・センターのその後
<NYのその後>と言うのは2001年9月11日に衝撃的な同時多発テロで崩壊したワールド・トレード・センター跡地の様子を直接この目で見たくなったのです。
あの日の朝、NHKの「おはよう日本」の画面に映し出されたNYのワールド・トレード・センタービルに2機目の飛行機が激突するシーンをリアルタイムで見てから4年以上が経過していました。
この同時多発テロ事件での犠牲者の数は3,000人にも及び、アメリカ合衆国がアフガニスタンに侵攻する契機となった事件でもあります。
滞在したBelvedere Hotelから徒歩5分足らずにある<49St駅>から地下鉄に乗って、みぞれまじりの寒い朝、一路「ワールド・トレード・センター駅」に向かいました。
約15分程で到着した場所には8年前に聳え建っていた巨大なツインタワーの姿はありません・・・。
ニュース映像などで何度も見ていたその場所に実際に立って見て、改めてテロの恐怖を実感させられました。
ツインタワーのあった周辺はすっかり整理されていて、テロ事件の痕跡などは全く残ってはいません。
周りが「柵」で囲まれているものの、柵の間から中の様子は簡単に確認出来て、ブルドーザーやダンプカーの行き交う姿が確認出来ました。(上写真、右)
駅のコンコースだったところにはメモリアル壁画が設えてあって、テロ事件で犠牲になった方々の遺児たちの「絵」が展示されていました。
このワールド・トレード・センター跡地をどうするのかということで、政府関係者を中心に建築家、地元の住民、テロ被害者の家族の間で何度も話し合いが持たれたそうで、その結果「不屈の精神」を持って、元のワールド・トレード・センター以上の建築物を作ることで意見が一致したそうです。
新たに建設するビルの名前は<フリーダム・タワー>。
建築家のダニエル・ルベスキンド氏によるとテロからの脅威に負けない、「自由」と「民主主義」の象徴的意味を持った建物になるそうで、予算15億ドルという壮大な計画です。
フリーダム・タワーは高さ1776フィート(約540m)の高層ビルで、完成の暁には世界一高いビルになる予定で、2008年に完成することになっていましたが、その後種々の変更などがあり、2009年には名称の変更<ワールド・トレード・センター>(英語名:One World Trade Center)が決まって、完成予定も最終的に2013年になりました。
今回の「ミュージカル観劇」は・・・。
今回のNY滞在中に観たミュージカルは二つ。
<Mamma Mia!>と<The Lion King>です。
<Mamma Mia!>はあの「アバ」のヒット曲が20曲以上も劇中で歌われるブロードウエイ人気の作品です。
ロンドン生まれのポップミュージカルで、母親の昔仲間の3人の熟女がレトロで派手な衣装で「マネー・マネー・マネー」や「チキチータ」などの懐かしいヒット曲を歌いまくり、カーテンコールの「ダンシング・クイーン」では満員の観客総立ちで盛り上がりました。
ラッキーなことにネットで手配してあった「座席」が最前列の中央、キーボードを兼ねた指揮者の隣で、舞台と「オーケストラ・ピット」が見える場所でこのミュージカルを満喫しました。
<The Lion King>は1998年に行った時にはチケットが<2000年>まで完売で果たせなかったので、そのリベンジが実現しました。
98年の時には日本に戻ってから「劇団四季」バージョンの「ライオン・キング」を観てお茶を濁した感じでしたが、今回ブロードウエイ版を観ることが出来て改めてこのミュージカルの素晴らしさを再発見出来満足でした。
この「The Lion King」の初演は1997年11月で、今でも満席状態が続いていて人気の高さが伺えます。
『CATS』、観ましたよー(^0^)。
本場ブロードウェイのミュージカル、さすがに素晴らしく感動しました。
『ウエスト・サイド・ストーリー』初演は、そんなに前だったんですね。(僕はまだ生まれてない…^^;)。
メトロポリタン美術館でのG.クリムト、メトロポリタン歌劇場でのヴェルディの『アイーダ』も…。
でも、自分にとってのベストは、セントラル・パークの「ストロベリー・フィールズ」だったのではないかと思います。ジョン・レノンとヨーコ・オノが住んでいたダゴダ・アパートメントへも…。ジーンとしました。
ワールド・トレード・センターにも…。10年前のあの映像は、大変ショッキング、衝撃でした。今建設中という「フリーダム・タワー」の高さ、1776フィートと、アメリカの独立記念の年の高さに設定されたことに、国としての威信を感じます。
ストロベリーフィールドのイマジンのモザイクの周りにはベンチが囲むように置かれていて、ベンチに腰をかけて、無言で碑を見つめて感慨深そうな人たちが沢山居たのを思い出します。
それとウエストサイドの町で見学に行った、映画「Westside Story」の撮影場所として使われたバスケットボールのコートを見た時の感動も、つい先日だったような気がします。
私にとり「本場のブロードウェイにミュージカルを観に行きたい!」との夢は、まだ夢です。
観衆を魅了するミュージカルは、人間の英知を集めた総合芸術なのでしょうか?
反面、宗教の違いから生まれる争いは、人間のおごり、支配欲で固まった「悲劇の舞台」です。
NYで同時多発テロ事件が起こってからもう10年になりますね・・・。
あれから10年、今度は中東の各国で反政府デモが勃発しています。
しかし今回の反政府デモは独立運動でも無ければ、経済的権益を列強から取り戻すための運動でもなければ、精神・文化・宗教面での運動ですらなく、デモの矛先が向けられているのは欧米ではなく、自分達の為政者に対してだという点が注目され、今後の動きにも目が離せません。
管理人さんとは、同じ時代を生きてきたんだなと思いながら、読みました
私も「ウエストサイドストーリー」は、見ました
映画、アメリカのホームドラマが好きで、「映画の友」と「スクリーン」を毎月見ていて、ウエストサイドは絶対みたい映画でしたから
ワールドトレードセンターは、空港からバスで街に入るときド~ンと目に入ってきて、NYに来たという
実感がしましたね
何だか、昔のことを少し思い出しました
つい先日今年のアカデミー賞の発表があって作品賞に「英国王のスピーチ」が決まりましたが、「ウエストサイドストーリー」はアカデミー賞で作品賞をはじめ、ノミネートされた11部門中10部門を受賞しました。
また日本では丸の内ピカデリー劇場系列で19611年12月23日に封切られて、1963年5月17日まで509日にわたってロングラン上映されました。
私のお気に入りはアニタ役のリタ・モレノで、風刺の効いた歌詞の「アメリカ」のダンスシーンが好きです。