「ゆきんこブログ」を開設以来、まだ数日なのにアクセス数が急増中。
ありがとうございます。
今年の灯油マーケットがヒート気味である事が一番の追い風となっているようです。土曜日なのでたまには、くつろいだ話題を。
史上空前の積雪で大変な地域もあるのに、関東平野は乾燥状態でカラカラの状態です。こんな気候状況なので相変わらず風邪気味です。喉の調子もよくありません。部屋の中では空気清浄機と加湿器が全開で稼動中。「上州はかかあ天下と空っ風」です。
ところで、こんな冬の夜には、「おきりこみ」が一番。上州(群馬)では「お切り込み」、甲州(山梨)では「ほうとう」、信州では「おほと」とか、やはり「ほうとう」と呼ばれます。
野菜などを一杯いれた「煮込みうどん」の事です。麺は平麺で打ってから茹でずにそのまま鍋に煮込んで食べる無骨なうどん鍋です。「おきりこみ」も「ほうとう」もほとんど同じものですが「ほうとう」にはカボチャが入っているのが特徴でしょうか。でも、ほとんど同じもののようです。
翌日の朝には、汁がなくなるくらいに麺が溶けてしまいベタベタの状態になってしまいます。しかし、「通」はその状態が最高にうまいといいます。私もドロドロ状態が大好きです。
「おきりこみ」は家々で味が違います。「味噌味」、や「しょうゆ味」、なのですがダシの取り方も手の込んだものは「地どり」などを使ったりします。油揚げ、サトイモ、にんじん、ネギなどが必須アイテムです。非常に簡単に短時間でできる郷土の家庭料理です。昔は、囲炉裏に大きな鍋をつるして作っていたものでしょう。
麺は普通の「地粉」で打って包丁で切るのですが太さや幅もまちまちです。私は、厚くて一センチ五ミリくらいの幅のものが大好きです。食べるときにバターを一切れ入れるのが「私流」。
上州では、福田、中曽根、小渕と3人の総理大臣が生まれましたが、みんな「おきりこみ」が大好きのようです。特に福田先生などは「おきりこみ好き」で有名でした。地元へ帰るとよく支持者の家へ寄りこみ「おきりこみ」を食べては庶民性をアピールしていたものです。「カアチャンの作ったのが一番うんめぇや・・」なんていいながら票を稼いでは、それぞれの家で「おきりこみ」を食べます。するとその家の奥さんが大変喜んで「先生、もう一杯食べてきなよ!」なんて勧められます。どこの家でも福田先生が来るといえば「おきりこみ」を準備して味を競うように出していました。
さすがの福田先生も車に乗ってから、足をシートの上にかけたり前に投げ出したりしては「フゥー・・」と大きなため息とも満腹感ともいえない苦しそうな声を出していたのを思い出します。私の肩のあたりまで足がでていて、狭くなった助手席で私はゲラゲラ笑ってしまいました。なんとも行儀の悪いスタイルですが、代議士先生も大変だと思ったものです。若い私だってご相伴に預かりさすがに「おきりこみ」には食傷気味でした。福田先生の生家も農家でしたから「おきりこみ」が大好きだったのでしょうか。しかし、どこの家に寄ってもあれだけだされたら、いくら好物でも食べるのは大変なはずです。
なぜ、私がこんな事を書くかというと、実はこれが石油業界の昔話とも関係があるのです。
福田先生のご子息の福田康夫さんは当時「丸善石油」の社員でした。あの、「赤字のツバメが左前に飛んでいく」なんて悪口を言われていた現在の「コスモ石油」の社員だったのです。
私の父は、当時「ツバメ会」という丸善石油の販売店会の役員で選挙のたびに駆り出されては遊説カーに乗ったり地域の有力者の家の巡回などにも同行させられていました。私も選挙活動に駆り出されていました。当時エリートでスマートなサラリーマンだった康夫さんは選挙区で数少ない私の家の「丸善石油」のスタンドへ寄りこんでは父とああでもない、こうでもないと選挙談義や石油の話で持ちきり。当時田舎の「丸善石油」のスタンドはまるで選挙事務所のようでした。
福田康夫さんもその頃から「おきりこみ」を食べるようになったのです。
昭和48年のオイルショックの時、群馬県特産の「こんにゃく」乾燥用のA重油が不足して、こんにゃく玉が腐ってしまうという農家にとっては大変な死活問題の緊急事態が発生。
当時、丸善石油の社員であった福田康夫さんは、「こんな時しか役立つときはない」と必死でA重油を探しました。ようやく調達したA重油をローリー数台に積み込んで農家へ均等に配分する事になりました。相談の結果、私の会社のSSへ農家がドラム缶を持ち込み、ローリーからドラム缶に一本ずつ移してフォークリフトで車に積み込んでは農家の方に一本ずつ渡す作業はまる一日かかったのです。当社の売上になるのかなと思って期待していたら、特定の業者がたとえ少しでもこんな時に利益を出すのはよろしくないと「農家の生産組合」と直接取引きにすることになりました。まことに、潔癖な方です。
当時は同じ「丸善石油」の販売店だった。清水石油さん(そうです。あの群馬の清水石油さんです)も協力してA重油を提供するということになりトラックで持ちに行きました。榛名山の中腹の畑に麦わらをかぶせてA重油のドラムが隠されていたのには本当にビックリしました。彼は本当に男気のある「国士」だと思いましたよ。赤城山の国定忠治ならぬ、榛名山の国士です。
彼は、現在独立系SSのリーダーとして活躍しています。
みんな「おきりこみ」が大好きな上州人です。
ありがとうございます。
今年の灯油マーケットがヒート気味である事が一番の追い風となっているようです。土曜日なのでたまには、くつろいだ話題を。
史上空前の積雪で大変な地域もあるのに、関東平野は乾燥状態でカラカラの状態です。こんな気候状況なので相変わらず風邪気味です。喉の調子もよくありません。部屋の中では空気清浄機と加湿器が全開で稼動中。「上州はかかあ天下と空っ風」です。
ところで、こんな冬の夜には、「おきりこみ」が一番。上州(群馬)では「お切り込み」、甲州(山梨)では「ほうとう」、信州では「おほと」とか、やはり「ほうとう」と呼ばれます。
野菜などを一杯いれた「煮込みうどん」の事です。麺は平麺で打ってから茹でずにそのまま鍋に煮込んで食べる無骨なうどん鍋です。「おきりこみ」も「ほうとう」もほとんど同じものですが「ほうとう」にはカボチャが入っているのが特徴でしょうか。でも、ほとんど同じもののようです。
翌日の朝には、汁がなくなるくらいに麺が溶けてしまいベタベタの状態になってしまいます。しかし、「通」はその状態が最高にうまいといいます。私もドロドロ状態が大好きです。
「おきりこみ」は家々で味が違います。「味噌味」、や「しょうゆ味」、なのですがダシの取り方も手の込んだものは「地どり」などを使ったりします。油揚げ、サトイモ、にんじん、ネギなどが必須アイテムです。非常に簡単に短時間でできる郷土の家庭料理です。昔は、囲炉裏に大きな鍋をつるして作っていたものでしょう。
麺は普通の「地粉」で打って包丁で切るのですが太さや幅もまちまちです。私は、厚くて一センチ五ミリくらいの幅のものが大好きです。食べるときにバターを一切れ入れるのが「私流」。
上州では、福田、中曽根、小渕と3人の総理大臣が生まれましたが、みんな「おきりこみ」が大好きのようです。特に福田先生などは「おきりこみ好き」で有名でした。地元へ帰るとよく支持者の家へ寄りこみ「おきりこみ」を食べては庶民性をアピールしていたものです。「カアチャンの作ったのが一番うんめぇや・・」なんていいながら票を稼いでは、それぞれの家で「おきりこみ」を食べます。するとその家の奥さんが大変喜んで「先生、もう一杯食べてきなよ!」なんて勧められます。どこの家でも福田先生が来るといえば「おきりこみ」を準備して味を競うように出していました。
さすがの福田先生も車に乗ってから、足をシートの上にかけたり前に投げ出したりしては「フゥー・・」と大きなため息とも満腹感ともいえない苦しそうな声を出していたのを思い出します。私の肩のあたりまで足がでていて、狭くなった助手席で私はゲラゲラ笑ってしまいました。なんとも行儀の悪いスタイルですが、代議士先生も大変だと思ったものです。若い私だってご相伴に預かりさすがに「おきりこみ」には食傷気味でした。福田先生の生家も農家でしたから「おきりこみ」が大好きだったのでしょうか。しかし、どこの家に寄ってもあれだけだされたら、いくら好物でも食べるのは大変なはずです。
なぜ、私がこんな事を書くかというと、実はこれが石油業界の昔話とも関係があるのです。
福田先生のご子息の福田康夫さんは当時「丸善石油」の社員でした。あの、「赤字のツバメが左前に飛んでいく」なんて悪口を言われていた現在の「コスモ石油」の社員だったのです。
私の父は、当時「ツバメ会」という丸善石油の販売店会の役員で選挙のたびに駆り出されては遊説カーに乗ったり地域の有力者の家の巡回などにも同行させられていました。私も選挙活動に駆り出されていました。当時エリートでスマートなサラリーマンだった康夫さんは選挙区で数少ない私の家の「丸善石油」のスタンドへ寄りこんでは父とああでもない、こうでもないと選挙談義や石油の話で持ちきり。当時田舎の「丸善石油」のスタンドはまるで選挙事務所のようでした。
福田康夫さんもその頃から「おきりこみ」を食べるようになったのです。
昭和48年のオイルショックの時、群馬県特産の「こんにゃく」乾燥用のA重油が不足して、こんにゃく玉が腐ってしまうという農家にとっては大変な死活問題の緊急事態が発生。
当時、丸善石油の社員であった福田康夫さんは、「こんな時しか役立つときはない」と必死でA重油を探しました。ようやく調達したA重油をローリー数台に積み込んで農家へ均等に配分する事になりました。相談の結果、私の会社のSSへ農家がドラム缶を持ち込み、ローリーからドラム缶に一本ずつ移してフォークリフトで車に積み込んでは農家の方に一本ずつ渡す作業はまる一日かかったのです。当社の売上になるのかなと思って期待していたら、特定の業者がたとえ少しでもこんな時に利益を出すのはよろしくないと「農家の生産組合」と直接取引きにすることになりました。まことに、潔癖な方です。
当時は同じ「丸善石油」の販売店だった。清水石油さん(そうです。あの群馬の清水石油さんです)も協力してA重油を提供するということになりトラックで持ちに行きました。榛名山の中腹の畑に麦わらをかぶせてA重油のドラムが隠されていたのには本当にビックリしました。彼は本当に男気のある「国士」だと思いましたよ。赤城山の国定忠治ならぬ、榛名山の国士です。
彼は、現在独立系SSのリーダーとして活躍しています。
みんな「おきりこみ」が大好きな上州人です。