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☆名越(なごや)左源太時敏の玄孫が綴る日々のあれこれや家族の歴史. 
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『電信創業之地』碑!

2019-01-11 07:38:21 | 曾祖父・轟のこと
皆様、
 明けましておめでとうございます
   本年もどうぞよろしくお願い致します


‥‥‥って、もう11日、鏡開きの日になってしまいましたが
  昔で言う「松の内」ということでお許し下さい〜
  (※ 昔は1月15日までを「松の内」と言いましたが、今では7日までらしい ← 広辞苑による)

さて、前回の投稿から半年近くになりますが、昨日あるテレビ番組を見ていると、
いやいや、平泉成さんはおいといて‥‥なぎら健壱さんの「B面の旅写真館」とか何とかのコーナーです
「電信創業之地」というものが紹介されていました
横浜が有名らしいのですが、昨日紹介されてたのは
東京築地の明石町にあるものでした。

検索かけてみたら、色々なページがありました。

「電信創業の地 - ビバ!江戸」

『電信操業之地』のクチコミ
  「電信創業之地の碑は、築地の明石町にあります。運上所跡の碑の傍です。」


電信創業之地
   
この「電話局の写真館」さんのサイトより
電信創業之地
東京傳信局跡 明治二年十二月廿五日開始 紀元二千六百年 逓信省
電信 創業記念碑の由来 「明治2年9月19日(太陽暦10月23日)横浜裁判所と東京築地運上所に設けられた「傳信機役所」を結ぶ約32キロメートルの電信線架設工事が開始され、同12月25日に業務を開始した。これが、我が国における公衆電気通信の最初である。
この記念碑は、先駆者の業務を後世に伝えるため、昭和15年に建立されたもので、
昭和53年、南南東 約40メートルの地点から当地へ移設されたものである。」
※ 碑は、公営住宅の角地にひっそりとありました。 参考リンク:
横浜側創業の地

以上、前回投稿の『「電信」の仕事?』と関連ある出来事でした。
もしかしたら「轟じいさん※」も明治23年上京時にここを訪れていたかも??
と思ったのでした
※ 「轟じいさん」は私の曾祖父=ひいじいさまです。父が「轟じいさん」というので私もそう言います(笑)

そうそう、「電信創業の地」で検索したら、画像一覧に見慣れたものがありましたよ

「鹿児島県観光サイト/かごしまの旅」より
電信の碑実際は「電信使用ノ地」となっています
  島津斉彬が取り組んだ電信実験の成功を伝える記念碑 

1857年、蘭学者の松木弘安(寺島宗則)、中原猶介は、鶴丸城本丸と二ノ丸庭園探勝園の間に電線を引き、電信実験に成功しました。実験成功後は、地雷や水雷の起爆装置に電気技術を応用。市来四郎は仙巌園で地雷の爆破実験をしたときの様子を「電気装置で通電したところ、(爆薬が)激しく爆発し振動で山々が揺れた」と書き残しています。また、電信実験に携わった寺島宗則は、電信の重要さを感じて、維新後に国内の電信網の整備や万国電信条約への加盟に尽力しました。現在探勝園は公園として整備され、電信碑が建てられています。

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