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☆名越(なごや)左源太時敏の玄孫が綴る日々のあれこれや家族の歴史. 
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今和泉島津家と永吉島津家と

2019-01-15 00:45:07 | 曾祖父・轟のこと

なんだか、うっかり忘れていた記事や写真が
ここへ来て繋がり始めている感じです。

「知覧のぼっけもん」さんから頂いたコメントをじっくり読んでいて、
一方で以前のフォトチャンネルで関連する画像を何となく眺めていたのです。

それが、こちら


去年の今頃の記事『島津對馬の長女・スガ』にあるように、曾祖父・轟の養母・スガは「島津對馬」の長女

今和泉島津家を継いだ「島津安藝 忠敬(ただゆき)」や、永吉島津家を(一時期)継いだ「島津久敬(ひさたか)」
それに、名越左源太の妻・タネの弟・島津久籌(ひさとし)が継いでいることなども書いています。

また、2017年3月9日の『島津 登について』では、「忠敬の兄・島津久敬(ひさたか)は永吉島津家の養子に入ったけれども、のちに島津 登(藩家老)の息子、島津久籌(ひさとし)を養嗣子としている」と書いています。

最後には「あと、欲を言えば「島津對馬」についても分かるといいのですが。(戸籍によると、曾祖父・轟の養母は「島津對馬」の長女)ご存知の方は、ぜひご一報お願い致します。」と書いていますが、
前述の『島津對馬の長女・スガ』(2018年1月11日の記事)にあるように、黎明館の前・調査史料室長(現・学芸課長 )内倉氏にご教示いただいた史料には「和泉家の流れを継ぐ今和泉島津家に「島津對馬 忠喬」」とありました。

しかし、内容を確認した時期も違うため、それぞれの情報を結びつけてまとめるまでは行かず、今になって自分の頭の中でようやく繋がって来た感じです。


また更にそれとは別に、2017年5月26日には西郷南洲顕彰館へ行き、以前から気になっていた南洲墓地内にある「栗川久澄」の墓石に関することを訊きに行ったところ、戦没年月日と亡くなった場所以外の詳しいことは分からずじまいでした。
《 栗川久澄 鹿児島出身 明治10年4月24日 肥後国 木山にて戦死 》


ただ、曾祖父・轟が西南戦争で政府側へ投降し、市ヶ谷監獄に収監された際に記した「上申書」というものがあるということで以前内倉昭文氏からご教示いただいた『鹿児島県史料 西南戦争 第四巻』で再度確認してみたところ、4月20日以降の内容に「栗川」戦死の表記を見つけました。

これは「栗川久澄」に違いないと思われます。
更なる事実が出て来ることを期待しているところです。


 


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3 コメント

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Unknown (PT)
2020-11-05 13:45:18
先ほどツイートしたものです。
こちらでコメントできると知らず失礼致しました。
永吉島津家について知りたく、島津家臣団系図集を国会図書館で遠方複写したいのですが、該当ページがわからないと申請できないようなのです。もしよろしければで構いません。上下巻どちらのどのページに記載があるか教えていただけないでしょうか?
PTさんへ (ゆき)
2020-11-05 16:47:12
なるほどそういう事でしたか。
「永吉島津家」は下巻のp.146~148の3頁に載っています。
これでお役に立てたなら幸いです。
Unknown (PT)
2020-11-05 19:16:44
大変助かりました。厚かましいお願いにこたえていただき感謝感謝です。本当にありがとうございました!

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