
☆こちら→「ブログに込めた想い-2」からの続きです。
☆☆画像は、左源太が晩年暮らしたという野屋敷跡へ続く
「名越どん(殿)坂」と案内板
そしてこの頃から、
「ここにも、左源太の子孫がいるのになぁ。。。」という想いが浮かぶようになったのでした。
「せめて一目、納められる前にその寄贈された史料を見てみたかったなぁ。。」と。
*この寄贈された史料に関しては、つい最近こんな記事を見つけました。
『奄美情報誌ホライゾン』という雑誌の編集長日記だそうです。
2001年4月10日「南島雑話の下書原稿、名瀬市に戻る」のところに写真付きで紹介されていました。
(画面を下方にスクロールして4月10日の記事にあります)
4年ほど前まではPCではほんの数人の身内とメールでやり取りしているだけで、ほとんどインターネットの活用をしていない状態だったのですが、そんな私がひょんなことからmixiを始めることになり、この頃からインターネットの利用頻度が高まり、思いつくままに検索サイトで調べてみたり、mixiの日記でも左源太に関することや家族のこと、遡って祖先のこと(お須磨さん)や島津吉貴・継豊親子のことなども書いてみたりしました。
(一度mixiをやめたので、現在日記は残っていません。)
*島津吉貴・継豊親子とお須磨さんについてはこちらに→「これまでの経緯-1」
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