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☆名越(なごや)左源太時敏の玄孫が綴る日々のあれこれや家族の歴史. 
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町田家の人々と名越家

2020-06-02 08:52:42 | 町田家の人々

最近になって思うこと

「名越家」のこともよく分からない状態ですが、名越左源太時敏の父・盛胤(町田實明)も祖父・盛尚も町田家から養子に入っているんですよね。

ということは、私たちにしても、元をたどれば町田家の人間ということではないかと、思うのです。

 名越盛胤:実は町田(主馬)久輔二男、町田實明 → 名越盛尚養子となり、名越左源太盛胤と改める

 名越盛尚:右膳 実は町田源左衛門久亮二男 → 名越恒当養子 左源太

  ※ 盛尚は盛胤の父・町田久輔の弟であり、盛胤の叔父にあたる

 

備忘録として

 名越氏(左源太家)享保年中樹家 ( = は養子)

初代・恒渡(つねただ) ‥‥ 浅右衛門右膳 妹於須磨ノ方ハ継豊公ノ御母堂也、享保五年家老

  恒渡 ー 恒索(平八 右源太) ー 恒次(当)(※恒篤) = 盛尚 =盛胤 ー 時敏 ー 時成 

※名越恒次(恒当、恒篤)の表記が度々違うのに戸惑いますが、恒篤のこと。

《関連記事》→ 『 寺山用央と名越恒篤と二階堂省行與右衛門 』(2019-10-13 

 

 

 以前たまたま見つけた石谷町「町田家」の墓地で撮った写真を再度上げておこうと思います。

(確認したら、初めて見たのは2013年5月22日の事でした。 → 『 町田家墓地(石谷) 』)

☆昔の携帯で撮ったので、画像が小さいのはご容赦下さい。

   

ここ(画像3)には↓「町田實用」という名前も刻まれていますが、まだよく把握出来ていません。

「町田郷九郎 久儔」の刻銘もありました。(画像4)

 例の『島津家家臣団系図集』によれば、「町田久儔」は町田氏本家「忠時公七男忠経流」(監物家) 町田久居を嗣ぐ

町田久倍 ー 忠綱 = 久幸(実は忠綱の弟) = 忠尚(家久公六男) ー 久東(兄・久孝,江戸にて病死15才) ー久居 =久儔

  

どの石塔に刻まれていたかは覚えていませんが、「町田久長」「町田久成」「小松清廉」「町田實用」「町田藤七郎」などの名前があります。「町田實用」って?「町田實明」とは違いますよね? 「仙壽院」とはどなた?

  

いろいろ気になるのでもう一度確認してみたいです。  

 

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