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Releaseとは“放す”ことである、放して神に委せて御業を成さしめることであるのだ。

2021-07-27 11:05:59 | 日記
つかみを放して
神に委せて
御業を成さしめる、
この心境になると、
全托が可能となり、
神の力が流入するのである。
(奇蹟の時は今 アディントン著)
【キリストの悟りは次の如きものであったのである・・・「わが言葉は、われみずから語るに非ず、天の父われに在(いま)して御業を為さしめ給うのである」と。Releaseとは“放す”ことである、放して神に委せて御業を成さしめることであるのだ。まだ現象的には功徳があらわれていない時でさえも、それに先だって、すべての事は成就しつつあるのだと確く信じて神に感謝を献げる信をもつことなのである。】
 

「この類(たぐい)は祈りと断食とに由らざれば、如何にすとも出でざるなり」

2021-07-27 10:52:57 | 日記
イエスの弟子が病気を治す指導に失敗したときに、
イエスは乞われて治してあげたのであった。
実相を祈ることができるかできないかが、
神癒の結果に影響をもたらすのである。
神の力を呼び出だすのは、
「実相を観ること」によるしかないからだ。
イエスは常に祈る人であったから、
神と一体の自覚を明確にもっていて
その自覚が
神癒につながっていたのである。
(奇蹟の時は今 アディントン著)
【イエスの弟子たちは、群衆から離れて、家の中へ這入ると直ぐ待ちきれないで子弟間のプライヴェートな質問をして、イエスに何故自分たちの神癒力が効を奏しなかったかその原因を親しく訊くのだった。そのときイエスは答え給うた。「この類(たぐい)は祈りと断食とに由らざれば、如何にすとも出でざるなり」(マルコ伝第9章29節)】
 
 

イエスは、この世界は神の創造であるから、その真相を見れば“聖なる完全さ”が至るところに存在するということを知っていられたのだった。

2021-07-27 10:40:07 | 日記
イエスは、この世界は神の創造であるから、その真相を見れば“聖なる完全さ”が至るところに存在するということを知っていられたのだった。
「われと神とは一体なり」という実相の自覚を明確にもっていられたのである。
病者がてんかんを現わしていても、
イエスは
実相は“神の子”つまり神であるのだから、
祈りによって実相を観ればよいのであると、
教えられたのである。
(奇蹟の時は今 アディントン著)
【弟子たちはこの状態を実在と受け取っていたのだった。このてんかん的現象はあまりにも強烈な病的印象を与えるものであったから、とても癒すことのできない「実在する何者か」の仕業である・・・現代語で言えば不治の難病である・・・と受け取っていたのであった。イエスはそんな悲観的な信念から絶縁しなければならぬと認めていられたのである。彼はもうこの種の症状から一転して実相の方向に振り向くように魂の修練を重ねて来ていられた。すなわち「われと神とは一体なり」という実相の自覚を明確にもっていられたのである。換言すれば、この世界は神の創造であるから、その真相を見れば“聖なる完全さ”が至るところに存在するということを知っていられたのだった。】