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神の全能に対する「信」が神癒の力なのです

2021-07-07 11:34:25 | 日記
神の全能に対する「信」が神癒の力なのです
 
神に対する「信」が
神癒の決めてです。
実相世界にたいする「信」が
癒しをもたらすのです。
(奇蹟の時は今 アディントン著)
【然り、神癒の力は聖木の切片の中にあるのでもなく、エスキュラピアスの神像の中にあるのでもなく、“人間イエス”の中に在るのでもなく、また況んや、人間が服用する薬剤の中にあるのでもないのである。すべての力は“神”に属するのである。神の全能の力のみが唯一の“力”である。そのほかに“力”はないのである。イエスは次の如く言っているのである。
「汝の信仰、汝を癒せり・・・われみずからにては何事を成し得ず、天の父、われに在(いま)して御業を為さしめ給うのである」
 このごとく“神の力”がわれわれに来臨して、われわれを通して自己表現せんとし給うているのが神癒であるのである。患者の心の扉をひらいて、神癒を可能ならしめるところのものは、その人の神癒を受けんとする“願い”と“信”なのである。患者の“信”が、常に到るところに存在して癒しの力を施そうと待ち設けている神の“癒し”を素直に受けとるには、患者自身が閉鎖している疑念という扉を打ち破らなければならないのである。神の癒しが顕現して来る通路は多数あるけれども、癒し給う力は唯ひとつ“神”なのである。医師は傷口を繃帯する、しかし癒しの力は何処から来るかというと、本来の人間の実相の霊的完全さに立ち帰らそうとする”生命”自体の常住の″願い”を通して、大生命の自然良能が癒しのはたらきをしてくれるのである。】
 
神を求めずして現象がよくなることを望むのは、
無理があるのであります。
 

アディントンは神癒をもたらす祈りの急所を、読者に伝えている。・・・イエスの奇蹟の秘密である。

2021-07-07 10:32:04 | 日記
アディントンは神癒をもたらす祈りの急所を、読者に伝えている。・・・イエスの奇蹟の秘密である。
 
イエスの奇蹟の秘密は
「父の許に往く」ことである、
と自ら伝えている。
これがニュー・ソートのキリスト教伝道者が
多数の神癒を行った根本理由である。
アディントンはこの神癒をもたらす祈りの急所を、
読者に伝えている。
 
(奇蹟の時は今 アディントン著・谷口雅春訳)
【人間が自己を受容すべく心の門戸を開いた程度だけ、“祝福の体験”を自己の生活に受けとることができるのである。イエスは自己の心の扉を完全にひらいて神の祝福を体験として最も完全に受容したので、イエスといえば救世主(キリスト)いう語と同意語だとされ、神が人格化して人間となったと認められるようになったのである。イエスは「我を信ずる者は我がなす業をなさん。かつ之よりも大いなる業を為すべし。われ父の家に行けばなり」(ヨハネ伝第14章12節)と言って、彼は自分の行った奇蹟の秘密をわれわれに伝えて、父の許に至るといっているのである。】
 
イエスが「父の許に行く」と言っているのは、
内なる創造の神の許に行き、
「自分は神様の肖像(にすがた)」だから、
つまり見えない「神自体」なのだと
認める、自覚することなのである。
神の子という「信」を
絶対的にもつことなのだ。
 
神の子と自覚せよ、自覚せよ。
神の子円満完全に「信」を与えよ。
神の子を観じてそれを現象にあらわせ!