神の全能に対する「信」が神癒の力なのです
神に対する「信」が
神癒の決めてです。
実相世界にたいする「信」が
癒しをもたらすのです。
(奇蹟の時は今 アディントン著)
【然り、神癒の力は聖木の切片の中にあるのでもなく、エスキュラピアスの神像の中にあるのでもなく、“人間イエス”の中に在るのでもなく、また況んや、人間が服用する薬剤の中にあるのでもないのである。すべての力は“神”に属するのである。神の全能の力のみが唯一の“力”である。そのほかに“力”はないのである。イエスは次の如く言っているのである。
「汝の信仰、汝を癒せり・・・われみずからにては何事を成し得ず、天の父、われに在(いま)して御業を為さしめ給うのである」
このごとく“神の力”がわれわれに来臨して、われわれを通して自己表現せんとし給うているのが神癒であるのである。患者の心の扉をひらいて、神癒を可能ならしめるところのものは、その人の神癒を受けんとする“願い”と“信”なのである。患者の“信”が、常に到るところに存在して癒しの力を施そうと待ち設けている神の“癒し”を素直に受けとるには、患者自身が閉鎖している疑念という扉を打ち破らなければならないのである。神の癒しが顕現して来る通路は多数あるけれども、癒し給う力は唯ひとつ“神”なのである。医師は傷口を繃帯する、しかし癒しの力は何処から来るかというと、本来の人間の実相の霊的完全さに立ち帰らそうとする”生命”自体の常住の″願い”を通して、大生命の自然良能が癒しのはたらきをしてくれるのである。】
神を求めずして現象がよくなることを望むのは、
無理があるのであります。