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「神癒が生ずるあらゆる場合に於いて、心の内に“神の完全さ”が今此処にあると、その実相の完全さを直視して、それをそのままに承認し給うたのであった。」

2021-07-20 11:29:44 | 日記
実相はis  at handである。
神の完全さは
たった今ここにあるのだった。
「神癒が生ずるあらゆる場合に於いて、心の内に“神の完全さ”が今此処にあると、その実相の完全さを直視して、それをそのままに承認し給うたのであった。」
ではどうしたら
この自覚が生まれるのか?
それは信仰の深まりと共に、である。
イエスの説く「科学的祈り」が深まっていくと、
このイエスの説く「神と一体の自覚」が
自然と生ずることになるのである。
(奇蹟の時は今 アディントン著)
【イエスは「神の国は今此処にある」と教えられたのであった。今此処にある(is at and)と説かれたのであった。また「われは“道”である、“真理である”、“生命”である」と現在形の語でいわれたのであって「あるであろう(will be)というような言葉は使われなかったのである。
 神癒が生ずるあらゆる場合に於いて、心の内に“神の完全さ”が今此処にあると、その実相の完全さを直視して、それをそのままに承認し給うたのであった。そして“心”に承認せられたものが即座に実現したのであった。そして癩(らい)は即座に潔められて癒え、盲者は即座に眼ひらきて見え、而して即座に発熱は彼女から逃げ去りて癒え、また久しく病の床にありし者は、即座に起きて寝床をとりかたづけて群衆の前に姿をあらわし、さらに、跛者の娘は直ちに起ちて歩みだし、生まれつき視力なき者は即座に視力を与えられた。またある男は完全に健康を回復した・・・等々。あなたはこのような神癒が即座に起ることがあるのを疑問に思ったことがありましたか?】
 
 
 
 
 
 
神はわが生命に

神はわが生命に内在する唯一の力である

2021-07-20 11:11:15 | 日記
神はわが生命に内在する唯一の力である。
だが、吾々の多くは、
その神の力を使う方法を
知らないだけなのだ。
しかし、イエスは、
「内なる神の許に往く」ということと
「神と一体の自覚」を持つ必要性を、
“神の力”を使える状態になる方法論として
みごとに説教してきた。
それを説き続けた人なのである。
しかもその処方箋まで
提示してくれた。
吾らは
“神の力”を使うことが可能となるまで、
“科学的祈り”(神想観)を
間断なく続ければよいのである。
イエスはまさに方向を
示してくれているではないか。
アディントンはそれを
かみ砕いて示している。
(奇蹟の時は今 アディントン著)
【神はわが生命の内に存する唯一の力であるのである。内に宿る神の完全な生命は、外からする如何なるものも触れることはできないのである。過去に何があったにせよ、過去の経験の何ものも、私に対して支配権をもたないのである。私は神の子であり完全であり、何人が何を為そうとも、何を言おうとも、神の世継ぎとしてのわが完全さに干渉することはできないのである。わが生命の内に宿る神の力は、如何なる環境の影響力にも打ち勝つところの偉大なる力をもっているのである。神の力は神の世継ぎたる私の力であり、いつでも使うことができるのである。】
一言でいえば
「内に宿る神の完全な力」を
観で引き出せばよいだけなのだ。