実相はis at handである。
神の完全さは
たった今ここにあるのだった。
「神癒が生ずるあらゆる場合に於いて、心の内に“神の完全さ”が今此処にあると、その実相の完全さを直視して、それをそのままに承認し給うたのであった。」
ではどうしたら
この自覚が生まれるのか?
それは信仰の深まりと共に、である。
イエスの説く「科学的祈り」が深まっていくと、
このイエスの説く「神と一体の自覚」が
自然と生ずることになるのである。
(奇蹟の時は今 アディントン著)
【イエスは「神の国は今此処にある」と教えられたのであった。今此処にある(is at and)と説かれたのであった。また「われは“道”である、“真理である”、“生命”である」と現在形の語でいわれたのであって「あるであろう(will be)というような言葉は使われなかったのである。
神癒が生ずるあらゆる場合に於いて、心の内に“神の完全さ”が今此処にあると、その実相の完全さを直視して、それをそのままに承認し給うたのであった。そして“心”に承認せられたものが即座に実現したのであった。そして癩(らい)は即座に潔められて癒え、盲者は即座に眼ひらきて見え、而して即座に発熱は彼女から逃げ去りて癒え、また久しく病の床にありし者は、即座に起きて寝床をとりかたづけて群衆の前に姿をあらわし、さらに、跛者の娘は直ちに起ちて歩みだし、生まれつき視力なき者は即座に視力を与えられた。またある男は完全に健康を回復した・・・等々。あなたはこのような神癒が即座に起ることがあるのを疑問に思ったことがありましたか?】
神はわが生命に