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イエスは、人里はなれて、唯、神と霊交することによって自己の意識を高めたのであった。「神わが内に今在(いま)す」という自覚の内に生きたのである。

2021-07-16 14:16:02 | 日記
実相が顕われる本当の要因は
神との人格的交流である。
つまり神の許に往き、
実相を祈ることだ。
この奥深い真理の奥義は
そこまで行こうとする人は少ないのだが、
ここに到れば神癒は起こるし、
現象に不思議によいことが
起こり始めるのは事実である。
実相を求め始めた人は、
ここまで行かないといけない。
私はまだまだだけれども・・・。
(奇蹟の時は今 アディントン著)
【イエスは弟子から祈ることを教えてくれと求められたとき、祈りの言葉を唱えたことはあるけれども、彼は神癒伝道に出かけて行った時、普通は、決して一定の“のりと”のような祈りの言葉を用いなかった。読者もお気づきのことであろうが、イエスはひとり、人のいない処で深く祈ったのであった。彼は、人里はなれて、唯、神と霊交することによって自己の意識を高めたのであった。「神わが内に今在(いま)す」という自覚の内に生きることによって、彼は間断なく“祈り”の状態にあったのである。だからイエスをただ目のあたり見ることによって癒されたり、イエスの衣に触れるだけのことによって癒されたのであった。私はイエス様を、常に祈りの愛念に溢れていられる方で、神癒の祈りに満たされている意識の体現者であると観たいのである。それゆえに、必要に応じて神癒が成就するのであった。】
 

アディントンの祈りが神癒治療の奇蹟を起こした実例

2021-07-16 12:46:49 | 日記
アディントンの祈りが神癒治療の奇蹟を起こした実例・・・本人が篤い信仰心の持ち主であったことも神癒の強い要因であった。

私は創造の神と“神の子”イエスに対するアディントンの
篤い信仰がこの神癒の奇蹟を起こしたと信じるのである。
でも欠かせないのは
当人の「信」なのである。
(奇蹟の時は今 アディントン著)
【前述した此の男には類似の体験があったのである。彼は、また激しい頭痛に苦しめられつつあったので、各科にわたって広汎な医学的テストを経た結果、脳腫瘍であると診断されたのであった。しかしこの症例に於いては、その容態が少しく異なっているのであった。彼はものが二重に視えるというようなことはない代りに、動作に平衡感覚が失われていて、平地を歩いているのに、丘の斜面を歩いているような感じがするというのであった。時々しかも屡々、アルコールに酔っているかの如く足がもつれるのであった。彼の言うところによると、このような症候は脳腫瘍だと診断される症候群中の顕著な特徴であった。医学上の色々のテストがこの診断を確実に裏書きしたのであった。彼がわたしに面会を求めて来たときは、既に外科手術をする日程がきまっていた。
 彼に会ったとき、またしても私には、“霊の囁き”があって、「神はあなたを癒し得ると、あなたは信じますか」と“彼に問え”とその“囁き”がいうのであった。
 一瞬の躊躇もなく、
「はい、信じます」と彼は答えた。
 患者が此の問に対して、素直に約語の肯定的言葉をもって判事をしたとき、神癒は始まったと私は常に信じているのである。
われわれは一緒に神想観の祈りをした。
「もう大変よくなったような気がします」とこの男は、わたしの事務所を去って行くときいうのだった。
 数週間ののち、わたしは彼に電話して、その後どうしているかを訊ねた。
「オー、わたしは全然手術の必要がありませんでした」と彼はいった。「医者どもは、“われわれは、誤診をしとったにちがいない”と言いました。頭痛は全然なくなり、もう全然足のもつれもなくなりました。実際、わたしは生まれてから、こんな爽快な健康感をおぼえたことは初めてです」
受話器をハンガーに懸けながら、わたしは、あの“二人心を合わせて祈れば”のイエスの約束を思い出した。
「誠に汝らに告ぐ、もし汝らのうち二人、何にても求むる事につき地にて心を一つにせば、天にいます我が父は之を成し給うべし」(マタイ伝代18章19節)が再びわたしの心のうちに鳴りひびくように感じたのであった。】