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相伝されたものとそうでないものを取るかという時は、相伝された正統のものを信受し、護持しなければならない。

2021-07-13 13:54:33 | 日記
われわれは
相伝されたものと
そうでないものを取るかの
選択をせまられることがある。
これが真理の選択ということになると、
生易しいことではなくなってくる。
神を信じるか信じないか、
の問題となるからだ。


(正法眼蔵を読む 伝衣の巻  谷口清超)
<供養の福徳>
 昔から袈裟のことを“除熱悩服”(じょねつのうぷく)といい、一名“解脱服”(げだつぷく)ともいった。この功徳は、まことに甚大にして、測り知ることができないくらいである。竜麟の三熱といわれる竜のひどい苦しみも、この袈裟の功徳で解消するといわれている。諸仏成道のときも、必ずこの袈裟を用いた。吾々は辺地に生れ、末法の世のものであるが、相伝されたものとそうでないものを取るかという時は、相伝された正統のものを信受し、護持しなければならない。

潜在意識の浄化法

2021-07-13 12:38:49 | 日記
潜在意識の抵抗を納得させ、
「信」の形成に役立つならば、
その媒介物は何でも可いと
アディントンは書いている。
ここで潜在意識の抵抗というのは、
「物質は実在する」の観念が根深いことによる。
潜在意識の説得には「真理の理解」が
根底となる。
それと実相を祈ることである。
この二つの方法で
潜在意識は浄化できる。
簡便法を期待しない方がよい。
(奇蹟の時は今 アディントン著)
【それ故に、実相に於いて貴下が既にあるところの円満完全な姿を、受容し得るに足るほどに、その媒介となる聖物が契機となって、あなたの心の窓がひらかれるならば、たといあなたが神癒の媒介物として、どんな通路を信じようが、あなたは“既にある実相”の開顕に関して道を開いたことになるのである・・・実相は斯く宣まうのである・・・「見よ、われ戸の外にありて叩く、戸を開くものあらば直ちに入らん」(黙示録第3章20節)その媒介となる種々の聖物は、祈りを籠めた聖衣であるとか、ギリシャ神話の神像であるとか、それはどちらでもよい訳で、唯それが大生命の創造力を動かし自然良能に彼を癒し得る機会を与えるような高い感受状態にまで患者自身の心境を高めるのに役立ちさえすればそれで可(よ)い訳なのである。】
 
 

イエスの教えた癒し方が素晴らしいことは、誰にも否定できない。

2021-07-13 11:29:44 | 日記
私はまさにイエスの教えた癒し方を
神想観に取り込んで
祈りの骨組みとした。
谷口雅春先生が『神癒への道』で紹介している、
まさにその方法である。
私の場合はそうだが、
それぞれ自分の信じている宗教を取り入れて
よいはずである。
生長の家は万教帰一だから、
むしろそういうものなのだとも思う。
でもイエスの科学的祈りについていえば、
これは
人を癒し得る完璧な祈り方だと感じる。
全世界的至宝である。
(奇蹟の時は今 アディントン著)
【どのようにしてイエスは人を癒したのであるか? 彼は科学的な祈りを用いた。彼は患者の悩んでいる症状から心を一転して“父の御許に往った”のである・・・即ち“内に宿り給う神の大生命の許に往った”のである。われわれも亦、イエスが使ったところの力を用いることが出来るか? 出来るのである。今日われわれは奇蹟が行われる方法であるところの“科学的祈り”を理解して、それを利用することが出来るのである。あらゆる迷信を投げ棄て、誤った信仰や偏見をかなぐり棄て、心の扉をひらいてイエスの教えを素直に受け容れる心境になった人ならば誰でも神癒の力の通路となることができるのである。“科学的祈り”によるところの神癒・・・その原理は、時の流れを通じて廃(すた)ることなく今日にも厳存していて、19世紀に於いてそれが再発見せられて今日に至っているのである。】