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イエスは、人里はなれて、唯、神と霊交することによって自己の意識を高めたのであった。「神わが内に今在(いま)す」という自覚の内に生きたのである。

2021-07-16 14:16:02 | 日記
実相が顕われる本当の要因は
神との人格的交流である。
つまり神の許に往き、
実相を祈ることだ。
この奥深い真理の奥義は
そこまで行こうとする人は少ないのだが、
ここに到れば神癒は起こるし、
現象に不思議によいことが
起こり始めるのは事実である。
実相を求め始めた人は、
ここまで行かないといけない。
私はまだまだだけれども・・・。
(奇蹟の時は今 アディントン著)
【イエスは弟子から祈ることを教えてくれと求められたとき、祈りの言葉を唱えたことはあるけれども、彼は神癒伝道に出かけて行った時、普通は、決して一定の“のりと”のような祈りの言葉を用いなかった。読者もお気づきのことであろうが、イエスはひとり、人のいない処で深く祈ったのであった。彼は、人里はなれて、唯、神と霊交することによって自己の意識を高めたのであった。「神わが内に今在(いま)す」という自覚の内に生きることによって、彼は間断なく“祈り”の状態にあったのである。だからイエスをただ目のあたり見ることによって癒されたり、イエスの衣に触れるだけのことによって癒されたのであった。私はイエス様を、常に祈りの愛念に溢れていられる方で、神癒の祈りに満たされている意識の体現者であると観たいのである。それゆえに、必要に応じて神癒が成就するのであった。】
 

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