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人様を祈る時は「その人を表現している“見えない神”」を言葉で観じます。

2021-06-27 21:11:57 | 日記
人様の実相を祈って差し上げるやり方を
進化させました。
例えば神想観でAさんの円満完全を観じる際は、
内なる神の許に往き
Aさんを瞼に描き、
「Aさんは神の子です。円満完全。有難うございます」と
観じるのですが、
現象のAさんの姿を観じないで、
透明人間みたいな「Aさんを演じている神」を
観じるのです。
現象のAさんは存在せず、
そこには「Aさんを現わしている見えない神の子」が
実際にはいるわけなので、
“それ”を観じるのです。
このやり方はいままでの神想観より
格段のレベルアップであり、
効果も大きいです。
神想観の方法は
自分が真理を知るにつれ、
それに呼応して
向上するのであり、
実相が現れる度合いも
真理把握、観法の向上に呼応して
増えてくるものです。
 

「生死の世界に流転する人間も、本来は真実の仏そのものである」

2021-06-27 11:34:44 | 日記
現象人間は“神の子(神)”であり“仏”である。
自分が肉体の人間だと思っていることが、
間違いなのだ。
本当は神(仏)である。
“神の子”が時間・空間舞台において
或いは教師を
或いは土方を
あるいは女性を、
或いは野球選手を
演じているのだ。

(正法眼蔵を読む 諸悪莫作の巻  谷口清超)
<三歳の獅子吠>
 三歳の幼児が仏法を知らないと思ったり、あるいは又三歳の幼児のいうことは分り切ったことだと思うのは極めて愚かな考えである。その理由は、生を明らめ死を明らめるのが仏教に志すものの一大事であり、その生なるものが三歳の孩児であり、その生命の実相は、仏そのものだからである。
 古徳もこう言っておられる。「汝がはじめてこの世に生れた時、もう既に真理を獅子吠するすばらしい仏性を持っている。獅子吠の分がある。つまり如来の真理を伝える功徳があり、転法輪の力がある」と古仏圜悟禅師はこう言っておられる。「生死の世界に流転する人間も、本来は真実の仏そのものである」と。

自分を導く内なる“神”の存在あり

2021-06-27 10:37:39 | 日記
<自分を導く内なる“神”の存在あり>
 
はっきりした自分の考えがない人は
何をやっても
うまく行かないと思います。
自分の考えが個性となり、生き方となり、
人生を引っ張っていきます。
でも自分の考えを導く内にある大いなる存在を信じていない人は、
我の考えに執着して、
良い方向を示すものが多くあっても
それらを受け入れることをしません。
素直であること、
内からのそして外からの啓示に(声に)
耳を傾けることができるかどうかが、
進歩できるか、できないかの鍵であります。
ですから
自分の内に
自分を導く「超」的存在があると
気がつかないといけないのです。
自分の「内」に神がいて
自分をいつも導こうとしているという真実に、
気がつくべきです。