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人間は神の肖像(にすがた)、つまり“神なるものの理念”である。

2021-06-14 11:17:07 | 日記
<人間は神の肖像(にすがた)、つまり“神なるものの理念”である。>

 旧約聖書『創世記』に【神は自分のかたちに人を創造された。すなわち、神のかたちに創造し、男と女とに創造された。】と書かれている。
 新約聖書ヨハネ伝には【初めに言があった。言は神であった。】【そして言は肉体となり、わたしたちのうちに宿った。】と書かれている。

 これらの記述から読み取ると、
人間は神の肖像(にすがた)、
つまり“神なるものの理念”である。
現象身そのもののが
理念実現のための相(すがた)である。
現象は実相世界の時間空間世界への反映であるから
現象として見えてはいても
現象身そのものが“見えない神”(実相世界)の表現体であり
人間そして現象世界は「神の見える化」したものである。
つまり「超」の世界にいる神が現象化し、
「神とはいかなる存在であるか」の理念を
目に見え、五感で判るために現象世界は展開されている。
吾らは肉体身を“今・ここ”に持つて存在しているということは、
完全なる実相があるってことなんだから
その現象化を司(つかさ)どっている“いのち”(神)の完全さを信じて、
安らかな気持ちになることが
できるのである。
現象が存在しているということは、
完全なるいのち(神)がそこに厳然として存在していると
いうことである。
現象は実相の反映であるから
実際は実相の「心」(神の言)のみが存在している。


このブログで書きたかったことは、
人間は神の肖像(にすがた)つまり「神の理念」である、
ということである。
だから円満完全だと言えるわけだが、
ここでは
人間が「神の理念」だということは、
「神なるものの見える化」した存在だってことを
特に言いたいのである。
しかし物質として見えるものを物質じゃないと物質存在を否定しないと、
神は見えて来ない。