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新約聖書「ヨハネによる福音書」新共同訳

2021-06-06 12:44:24 | 日記
新約聖書「ヨハネによる福音書」新共同訳
第4章 イエスとサマリヤの女
1 さて、イエスがヨハネよりも多くの弟子をつくり、洗礼を授けておられるということが、ファリサイ派の人々の耳に入った。イエスはそれを知ると、
2 ―洗礼を授けていたのは、イエス御自身ではなく、弟子たちである―
3 ユダヤを去り、再びガリラヤへ行かれた。
4 しかし、サマリヤを通らねばならなかった。
5 それで、ヤコブがその子ヨセフに与えた土地の近くにある、シカルというサマリヤの町に来られた。
6 そこにはヤコブの井戸があった。イエスは旅に疲れて、そのまま井戸のそばに座っておられた。正午ごろのことである。
7 サマリヤの女が水をくみに来た。イエスは、「水を飲ませてください」と言われた。
8 弟子たちは食べ物を買うために町に行っていた。
9 するとサマリヤの女は、「ユダヤ人のあなたがサマリヤの女のわたしに、どうして水を飲ませてほしいと頼むのですか」と言った。ユダヤ人はサマリヤ人とは交際しないからである。
10 イエスは答えて言われた。「もしあなたが、神の賜物を知っており、また、『水を飲ませてください』と言ったのがだれであるかを知っていたならば、あなたの方からその人に頼み、その人はあなたに生きた水を与えたことであろう。」
11 女は言った。「主よ、あなたはくむ物をお持ちでないし、井戸は深いのです。どこからその生きた水を手にお入れになるのですか。
12 あなたは、わたしたちの父ヤコブよりも偉いのですか。ヤコブがこの井戸をわたしたちに与え、彼自身も、その子供や家畜も、この井戸から水を飲んだのです。」
13 イエスは答えて言われた。「この水を飲む物はだれでもまた渇く。
14 しかし、わたしが与える水を飲む者は決して渇かない。わたしが与える水はその人の内で泉となり、永遠の命に至る水がわき出る。」
15 女は言った。「主よ、渇くことがないように、また、ここにくみに来なくてもいいように、その水をください。」
16 イエスが、「行って、あなたの夫をここに呼んで来なさいと」言われると、
17 女は答えて、「わたしには夫はいません」と言った。イエスは言われた。「『夫はいません』とは、まさにその通りだ。
18 あなたには5人の夫がいたが、今連れ添っているのは夫ではない。あなたは、ありのままを言ったわけだ。」
19 女は言った。「主よ、あなたは預言者だとお見受けします。
20 わたしどもの先祖はこの山で礼拝しましたが、あなたがたは、礼拝すべき場所はエルサレムにあると言っています。」
21 イエスは言われた。「婦人よ、わたしを信じなさい。あなたがたが、この山でもエルサレムでもない所で、父を礼拝する時が来る。
22 あなたがたは知らないものを礼拝しているが、わたしたちは知っているものを礼拝している。救いはユダヤ人から来るからだ。
23 しかし、まことの礼拝をする者たちが、霊と真理をもって父を礼拝する時が来る。今がその時である。なぜなら、父はこのように礼拝する者を求めておられるからだ。
24 神は霊である。だから、神を礼拝する者は、霊と真理をもって礼拝しなければならない。」
25 女が言った。「わたしは、キリストと呼ばれるメシアが来られることは知っています。その方が来られるとき、わたしたちに一切のことを知らせてくださいます。」
26 イエスは言われた。「それは、あなたと話をしているこのわたしである。」
27 ちょうどそのとき、弟子たちが帰って来て、イエスが女の人と話をしておられるのに驚いた。しかし、「何か御用ですか」とか、「何をこの人と話しておられるのですか」と言う者はいなかった。
28 女は、水がめをそこに置いたまま町に行き、人々に言った。
29 「さあ、見て来てください。わたしが行ったことをすべて、言い当てた人がいます。もしかしたら、この方がメシアかもしれません。」
30 人々は町を出て、イエスのもとへやって来た。
31 その間に、弟子たちが「ラビ、食事をどうぞ」と勧めると、
32 イエスは、「わたしにはあなたがたの知らない食べ物がある」と言われた。
33 弟子たちは、「だれかが食べ物を持って来たのだろうか」と互いに言った。
34 イエスは言われた。「わたしの食べ物とは、わたしをお遣わしになった方の御心を行い、その業を成し遂げることである。
35 あなたがたは、「刈り入れまで四か月もある」と言っているではないか。わたしは言っておく。目を上げて畑を見るがよい。色づいて刈り入れを待っている。既に、
36 刈り入れる人は報酬を受け、永遠の命に至る実を集めている。こうして、種を蒔く人も刈る人も、共に喜ぶのである。
37 そこで、『一人が種を蒔き、別の人が刈り入れる』ということわざのとおりになる。
38 あなたがたが自分では労苦しなかったものを刈り入れるために、わたしはあなたがたを遣わした。
39 さて、その町の多くのサマリヤ人は、「この方が、わたしの行ったことをすべて言い当てました」と証言した女の言葉によって、イエスを信じた。
40 そこで、このサマリヤ人たちはイエスのもとにやって来て、自分たちのところにとどまるようにと頼んだ。イエスは2日間そこに滞在された。
41 そして、更に多くの人々が、イエスの言葉を聞いて信じた。
42 彼らは女に言った。「わたしたちが信じるのは、もうあなたが話してくれたからではない。わたしたちは自分で聞いて、この方が本当に世の救い主であると分かったからです。」


成仏とは本来の面目が現れることである

2021-06-06 12:26:40 | 日記
<成仏とは本来の面目が現れることである>
 人間はもともと仏であるから、
実相が現れ出ようとしている時には
単純にそれを出させてやればよいのである。
「実相が実相する」わけだから
大いなる力に任せて
自分が「本来の面目」なる「仏」(神の子)であることを
言葉で観じ続ければよいのである。

(正法眼蔵を読む 諸悪莫作の巻  谷口清超)
<諸仏を罫礙せず>(その3)
 衆生が仏祖となろうとして修行する時、それはもうすでに自己の中に仏祖がいるからである。それが現成しようとしているのであるから、その力を礙(さまた)げさえしなければよいのである。この力が又本来の自己であり、それが作仏させるのであるという道理を、平生の行住坐臥において、よくよく思量しなければならぬ。これがよく判れば、衆生が仏となるのは、衆生の姿が変化するのでなく、何一つ失われず、奪われもせず、そのままで仏となり、身心脱落するということが判るであろう。

奇蹟は真理が現象化した証しであり、その人の真理が本物である実証である

2021-06-06 11:35:01 | 日記
<奇蹟は真理が現象化した証しであり、その人の真理が本物である実証である>
イエスは奇蹟をたくさん起した。
奇蹟が続々起こることでその宗教がおのずと広まる。
 イエスの教えが広まるためには
奇蹟が必要であった。
奇蹟が多く出ているときその宗教はさかんになり、
さっぱり出なくなると衰えがちだ。
奇蹟は真理が現象化した証しであり、
その人の真理が本物である実証である。
雅春先生が伝道していた頃は
続々と奇蹟がでた。
藤原敏之先生の場合も
藤原先生が奇蹟を起こす真理の人だったから
信仰者も多く出た。
結局自分が実相をどれほど顕わせるかが、
自分の周囲の人たちを真理でどれほど
救えるかという結論に
なってしまう。
奇蹟というのは真理の証しだ。
奇蹟を起こせない信仰は本物とはいえない。
奇蹟が続々起こることでその宗教がおのずと広まる。
 

神聖隠蔽の生活から脱け出そう

2021-06-06 10:38:25 | 日記
<神聖神聖隠蔽の生活から脱け出そう>
間違いの真理に
ホイホイと追随する人たちが多い。
もともと真理の追及をしていなかった人たちで、
自分の実際生活に役立つと思う信条を
自己の生活に取り込むために
宗教から教えてもらえればそれでいいのであり、
自分の内に神の子が存在していて、
神という神秘な実在が実際に存在しているということを
分らないし分ろうとしない人たちだ。
現象を物質ととらえており、
内に隠れている神には気がつかないし、気がつきたくない。
神とか信仰が自分の実際生活のための手段となっており、
「中心帰一」という大義名分があると、
真理の内容などお構いなしに
与えられたものを考慮せず受け入れ、
安心をはかろうとする。
本当の真理つまり「神」に向き合うことを畏れているから
潜在意識は分っていても、
現象的には、
自己保存を考え、
真理を深く考えることを避け、
聞いてもっともと思ったことだけで観念形成を行う。
初めから、
本当の自己をもとめるという宗教の本道から
外れてしまっている。
神から逃げよう逃げようとする神性隠蔽の生活となる。
このような信仰者って
実際にはかなり多い。
これって信仰? と思いたくなる。
真の宗教的態度とは
自分の過去及び過去世から保持してきた神性隠蔽に気付き、
それのヴェールを剥いでいくことで
内なる神性を輝かすことにあるのだ。