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神の理念振動は、すべての人において常時行われている。すべの人の現象世界はその理念振動である。

2021-06-15 10:55:08 | 日記
<神の理念振動は、すべての人において常時行われている。すべの人の現象世界はその理念振動である。>
 
神の理念自体が
「超」の世界(不生不滅の世界)において
振動している。
その理念振動を
一人一人の人間が受けて作動しているのが
現象世界だ。
ゆえにこの世は「自分の国」だ。
自由な心を使って
自分の意識と観念によって
現象世界の創造を行う。
すべての人の現象世界は
彼の内なる理念振動である。
ゆえに吾らは、
現象展開の焦点である実相世界(神の理念)に心で的あてをし、
実相の正観により、
真象を心のレンズに写し出し
迷いのシミが心のレンズにかかることを
防止すべきである。
あらゆる人生苦から逃れる方法はこれだ。
だが実相の鳴り響き自体は
万人の「内」において
今も行われている。
神想観において
無我になることである。
そして幼な児の心で実相を受け入れることだ。
そうすれば実相の正観により
神なる本来の面目が顕われる。
実相が現象に顕われる。
 

現象はナイんだからアルとしてしがみつく縛りを外せ。

2021-06-15 10:12:56 | 日記
<現象はナイんだからアルとしてしがみつく縛りを外せ。>
 
現象はナイんだから
アルとしてしがみつく縛りを外せ。
そしてこの世は「神のコトバ世界」(実相世界)であるとして、
見えざる実相(神の力)に自己を委ねよ。
実際に「現象ナシ」であり「実相あるのみ」なのだから。
さすれば
本当に無我になった時においては
神の力が流入する。
本当に実在しているものが、
姿を現わす。
 
(参考 奇蹟の時は今 アディントン著谷口雅春訳)
<アディントンの詩>
【わたしは光である
神はその光を通して輝き給う。
それは神と私とは‟二”にあらず
一体であるからである。
わが居るところ、そして常に
神はわれを通して意志し給う。
わたしは恐れることも
みずから意志することも
計らうことも必要ではないのである。
されど、もしわたしが
絶対他力の無我全托の
力みなく、そのままの心になれば
神は、神みずからの‟はからい”を
私を通じて実現し給うのである。】