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自分の周囲が自然に光明化してくる。

2021-06-16 12:34:17 | 日記
<自分の周囲が自然に光明化してくる。>

自分の実相が顕われ始めると
自分の環境が全体として光明化してくる。
特別自分が個々の現象に働きかけなくても、
自然に善が現われてくる。
楽しいものである。

(正法眼蔵を読む如し 諸悪莫作の巻  谷口清超
<活眼晴の測度>
 そもそも「衆善」なるものは、因縁で生じたり滅したりするのではない。衆善は普通現象だと思われているが、現象はそのまま衆善ではない。因縁と生滅と衆善とは、いずれも現象の展開であるから、始めもあれば、終りもある。この衆善を奉行するのであるが、それは実は自分がやったとか、他人がやったというようなものではなく、自分が知った、他人が知ったというものでもない。よく自他の知覚を問題にするとき、自分が知る、他人が知るというが、実は知覚の中に自があり他が出てくる。見方によって、自と他とが現れる。それ故、実相の活眼晴は、、太陽にも月にもある。そしてそこに本来の「衆善奉行」があるのだ。この実相の「衆善奉行」の真理が現成して、いろいろの善が行われるが、そこで初めて真理が始まるのではない。又真理が現象に固着していて、それが永久不変というわけでもない。それ故これを奉行するというのも、少し変なものである。

創造の神の創造の目的を生きなさい。人間創造の神の目的を生きなさい。

2021-06-16 11:58:57 | 日記
創造の神の創造の目的を生きなさい。人間創造の神の目的を生きなさい。

イエスは
「わたしは真理(神の言)である」
と教えた。
「私が父(神)の許にいることを信じなさい」
と教えた。
‟神の子”は神と共に常に居るからである。
イエスは十字架に掛けられることで
時間空間を超えたところに(ナシとしたところに)
神の国に往ける(神の国にいるとさとる)ことを
教えたのであった。
イエスの十字架は
いのちの復活につながる。
イエスが弟子たちの足を洗ったのは、
人間は皆真理(神の子)であるから
いのちの兄弟であるとことを
教えたのである。
人間は自分が「神の子」つまり神であることを
さとる必要は絶対にあるのである。
人間は神の肖像(にすがた)つまり理念(神であることの理念)である。
キリスト教はそれを伝えている。
谷口雅春先生もそのことを伝えた。
自分が神なのだと知りなさい。
実際に神なのだから
神を生きなさい。
これがイエスのメッセージだ。
雅春先生のメッセージだ。
ただ一つの真理は
「人間は神の子である」
ということである。
創造の神の創造の目的を生きなさい。
人間創造の神の目的を生きなさい。
知るだけでなく実際に神を生きなさい。
 
神って「見えない存在」なのです。
人間は「神なるものの肖像」(理念)です。

現象世界の中に「見えない神が存在していて現象を貫いている」実感を得た

2021-06-16 11:01:49 | 日記
<現象世界の中に「見えない神が存在していて現象を貫いている」実感を得た>
 
 
現象世界の中に「見えない神が存在していて現象を貫いている」
ということを実感できるようになってくると、
非常に強力である。
これは同様の記述が
たしか『生命の実相』の中にもあったはずだ。
戦時中に行進中の兵隊さんが、
自分の肉体を超えたところに「生命」があると感じ、
肉体の苦痛を超越できたという記事では
なかっただろうか。
間違っていたらご容赦あれ。
現象は影でありその本体の神の力の自覚であるから、
やはり強力な安心感を得られるのだ。