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(実相の)愛行の現成

2021-06-18 13:32:36 | 日記
愛行の現成は
真理の実現する過程である。
‟真理の実現”そのものは、
三正行の結果であるが、
実相実現への本人の強い希求の賜物である。
この希求なしには
実相実現など有り得ない。

(正法眼蔵を読む如し 諸悪莫作の巻  谷口清超
<生滅因縁にあらず>
 「衆善」は有・無・色・空などの現象ではない。それはただ「奉行」あるのみの実相の現成なのである。このような現成であるから、いかなる時、処においても、かならず奉行するということになる。
すると必ず衆善が現成するのである。かくの如く「衆善奉行」の現成は、真理の実現する過程であるから、現象的な生滅でもなく、因縁でもなく、それを超えたものである。
 衆善奉行に入る、それを持続する、又それを了るなどについても、同じことがいえるのである。そこで衆善の中の一善が奉行されると、全ての現象がことごとく整うということになるのも、そこに「衆善奉行」なるものが展開してくるからである。

神様抜きの神想観

2021-06-18 09:53:21 | 日記
<神様抜きの神想観>
神を言葉で説明しても
神は伝わらない。
神は感じることで伝わる。
音叉みたいなものだ。
だから自分が神を感じる人になることで神は伝わる。
どうすれば神を感じる人になれるかというと、
方法的には
神と親子になることだ。
この関係を作るには
実相を祈るしかない。
実相を祈るようになれば、
自然に神と父と子の親子関係に入る。
祈りにおいて根本的に大事なのは、
神に対座して(対して)祈るということである。
はっきリ言えば多くの人はこのことをしない。
何度言ってもしようとしない。
要するに神様抜きの祈りをやっているのだ。