愛行の現成は
真理の実現する過程である。
‟真理の実現”そのものは、
三正行の結果であるが、
実相実現への本人の強い希求の賜物である。
この希求なしには
実相実現など有り得ない。
(正法眼蔵を読む如し 諸悪莫作の巻 谷口清超
真理の実現する過程である。
‟真理の実現”そのものは、
三正行の結果であるが、
実相実現への本人の強い希求の賜物である。
この希求なしには
実相実現など有り得ない。
(正法眼蔵を読む如し 諸悪莫作の巻 谷口清超
<生滅因縁にあらず>
「衆善」は有・無・色・空などの現象ではない。それはただ「奉行」あるのみの実相の現成なのである。このような現成であるから、いかなる時、処においても、かならず奉行するということになる。
すると必ず衆善が現成するのである。かくの如く「衆善奉行」の現成は、真理の実現する過程であるから、現象的な生滅でもなく、因縁でもなく、それを超えたものである。
衆善奉行に入る、それを持続する、又それを了るなどについても、同じことがいえるのである。そこで衆善の中の一善が奉行されると、全ての現象がことごとく整うということになるのも、そこに「衆善奉行」なるものが展開してくるからである。