この世は神の国であって現象は非実在なんだ、
そして、みえない“神”の完全世界だけがあるんだと納得するには、
1真理を知ること、
2祈って実相を観じ続けること、
3潜在意識の浄化
が必要だ。
でもはじめから「幼な児」の心になんか、
なれるものか!
「我」がとれてこないと、
だめなのである。
また肉体の不調を無視できるには
徐々に真理体得につれてであるのが私の体験的実感だ。
ただこの三つが継続的な修行で為されてくると、
『神があらわるれば善となり、義となり慈悲となり、
調和おのずから備わる』不思議安全世界が
実際に顕われるのである。
その時には多分素直な「幼な児の心」になっているわけだが、
これ乃ち「神」を信じ、
自分が「神の子」つまり「神」だと
分った時なのだ。
(神と偕に生きる真理365章)
【「素直」と「幼な児の心」とが神の恩寵をそのまま受ける神秘的鍵である。この「幼な児の心」を恢復することが「新たに生まれる」と云うことである。理屈を言わずに「人間は神の子である」と言われれば、それを素直に承認して「ありがとうございます」と感謝することである。「人間は神の子であり、本来病はないのだ」と教えられれば、たとい現象的に病があらわれておろうとも、そんな病は本来ないのであってそれは恰も「夢」を見ているようなものである。夢は体験としてあっても、夢にある内容は実際起っていないのである。その如く病いの苦痛は体験として感じられていても、実際にはその病は存在しないのであると、完全にその病を心の内から否定するのが「幼な児の心」と云うものである。「何故、無いものがあるとして感じられるか」などと理屈を言うのが、“知恵の樹の実”を食べる事である。】
幼な児の心になるための心の変革、
“知恵の樹の実”を食べてしまったことから脱却するための宗教的求道が
実際問題として先決である。
生長の家をやっていさえすればそれだけで救われるとか、
それだけで幸福になれるなんて通説がはびこってしまっているので、
私は今その逆を行って、
実際の実相実現の方法を自分の体験から述べていこうと思う。