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「見えない神」を観じることが神想観の焦点的的あて

2021-05-26 11:07:57 | 日記
<「見えない神」を観じることが神想観の焦点的的あて>
自分の周囲の環境はもとより、
海も山も空も星も
土も空気も、
家族も知り合いも含め、
一切合切が自分の「いのち」の展開であります。
私の誕生時から現在まで、
私の環境世界は全部私のいのちの展開でありまして、
それが巻き収められた一巻の理念的原型を
「実相世界」というのであります。
「万物はこれ神の心・神のコトバ」であります。
これは珠玉の水晶玉のような円満完全それ自体なのです。
実相を観じるというのは、
この「無」または「空」なるもの奥にある「神の国」を
観じることであります。
ですから「見えない神」を観じることが神想観の焦点的的あてなので、
これに成功すればOKということになります。
私は今このことに取り組んでいますが、
実相を正観しなければ実相は顕われませんと、
雅春先生はおっしゃっております。
 

現象の事物を見る際に、これは物質ではなく「見えない神」だと、観の転換を行うべし

2021-05-26 10:28:31 | 日記
現象世界は「見えない神」の“見える化”した映像であるので、
現象の事物を見る際に、
これは物質ではなく、「見えない神」だと、
観の転換を行うことを
継続して行くのは良い方法です。
その際完璧にそうだと思わねばなりません。
「現象ナシ実相あるのみ」が真理であるので、
実相が現われてくる過程として、
現象の事物を「見えない神」であると
本当にそう思ってしまうことが必要となります。
しかし、
現象的なこうした方法では、
観の転換は実際問題としては無理であり、
現象世界が丸ごと“いのち”(生命の実相)の、
時間空間世界への写しなのだとさとるためには、
実相独在を神想観で観じることが
一番の早道なのです。