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表面の自我の無力さを自覚してこれを抛棄したとき内面の深く湛える奥底の自我「天の父」が表面活動に入り大いなる業を成就するのである。

2021-05-08 10:55:37 | 日記
表面の自我の無力さを自覚してこれを抛棄したとき、
実相は現われる。
この自我の抛棄が
なかなかに難しい。つまり、
幼な児の心になることが実相の扉を開くゴールデンキーなのだ。
(神と偕に生きる真理365章 谷口雅春)
【「自己の内に宿る仏性」又は「汝の内に宿るキリスト」という場合の「内」とは「肉体の内」ではないのである。わが存在の深奥なるところに、現象の自分の想念が波立てども、決して波立たずに、深く一切を湛えて不動にしてそのまま一切をあらわすところの根源的な存在があるのである。すべての善きものは悉く、この深く湛える根源より発するのである。これをキリストは「天の父」と称したのであり、その「天の父」のまします「わが存在の深奥なるところ」を「神の国」と称したのであり、「神の国は汝の内にあり」と喝破されたのである。キリストが「我れみずからにては何事をも為し得ず、天の父われに在して御業を為さしめ給うなり」と言ったところの「何事をもなし得ない我みずから」とは、波立ちさわぐ表面の自我であり、その表面の自我の無力さを自覚してこれを抛棄したとき内面の深く湛える奥底の自我「天の父」が表面活動に入り大いなる業を成就するのである。】

私たちの心を、唯、内在の神のみに振り向けよ。

2021-05-08 10:38:18 | 日記
神を愛することイコール実相が現われることである。
神の創造の素晴らしさをわかる必要がある。
そうすることが神を愛することにつながるからだ。
(神と偕に生きる真理365章 谷口雅春)
【私たちの心を、唯、内在の神のみに振り向けよ。病いに振り向けるな、貧乏に振り向けるな。これが自己の神性を自覚する最勝最善の近道である。「汝、心をつくし、精神をつくし、魂をつくし、力をつくして汝の神を愛せよ」とキリストが言ったことは、自己の神性を自覚するための最も近道であるのである。現象界の形ある何物かを求めるよりも、「神」そのものを求める方が、根源を求めることになり、その余のものは根源より流れ来たっておのずから調うことになるのである。しかも「形あるもの」を最初から求めた人の如く、形ある事物に執着し、縛られ、それを失うまいと恐怖する必要もなく、唯流れる滝の水を必要に応じて汲むが如く、執着なくして、豊かなる生活を享受することができるのである。ひとたびこの境地に達したならば「持たずして豊富に享受する」と言う聖境を味わうことができる。】