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全ての実在はただ「一顆明珠」のみである

2021-05-06 11:27:35 | 日記
すべての実在は
きれいな丸い珠の如くである。
つまり「心」は「円満完全大調和」なる珠の如くである。
 
(正法眼蔵を読む 一顆明珠の巻の巻 谷口清超著)
<明珠と因果>
 かくの如く「明珠」はまことに偉大なもので、その採光は尽十方世界に充満して無窮である。だから、これを愛さないでおられる道理がない。こんなに大切なものは他にないのである。その色彩の一つ一つ、その輝きの一閃一閃にも、尽十方世界そのものの価値がある。誰一人としてこの偉大さを奪い取ることができないのである。その「明珠」は、一切のものに内在する実相であるから、瓦といっても本当は明珠だ。従って市場で、これは瓦だといって投げ捨てるものはいない。全てのものが夫々その立場に於て尊重されるのである。全てが明珠であり、凡ゆるところに明珠ありと悟れば、六道(天上、人間、阿修羅、畜生、餓鬼、地獄)を輪廻する因果についても、「不落因果」か、「不昧因果」かと、思いわずらうことはいらないのである。六道の因果こそがこの明珠の現成であるからだ。因果を昧まさず、その法則本来の実体が、まさに「明珠」なのである。「明珠」こそが本来の面目、実相(眼睛)であり、法則であり、大慈大悲であるのだ。
しかしながら、吾も汝も、「明珠とは何か」「明珠ならざるものなし」と知らずして、さまざまに思い、あるいは思うまいと思いわずらったりして、永い間思いを廻らして来たものである。けれども今、玄沙の法道によって、自分自身の身心がそのまま「明珠」である、尽十方世界が即ち「明珠」だということを学び明らめた。そこでこの心といっても、私の心ではなく、実は明珠そのものであって、生滅を超えた実在である。そこでその心の起源はどこか、誰がどうして心を生じ、心を滅するのであるかなどということは問題でなくなる。心を滅すれば明珠になるのか、それともならぬのか、そんなことは何もない。
たといどのように迷い悩んでいても、そのまま「明珠」なのであって、「明珠」ならざるものは何一つないのである。もし明珠でない何者かがいて、それが何かを行わせたり、念(おも)わせるというのでもない。そんな現象など、何もナイのである。いかなる暗黒世界の、進歩もた退歩も、それは仮の姿であって、本来ナイのであり、全ての実在はただ「一顆明珠」のみである。
 


実相はまん丸い珠の如きである。

2021-05-06 11:17:23 | 日記
人間は「神の子」なる「神」なのである。
見えない存在なのである。
「神」であるから円満完全大調和であり、
形のない“みたま”である。
これが人間の本体だ。
(参考 『久遠生命』の神示 谷口雅春)
【『死は無い』と云うのは肉体のことではない。現に肉体細胞は刻々死滅し流転している。生き通しであるのは、斯くならしめている『生命』のみである。『生命』のみが吾れであり汝であり、そのほかに吾れも汝もないのである。此の『生命』をみたまと云う。みたまの形は珠のように真ん丸いからみたまと云うように解するものもあれども、真ん丸いのは形のことではない。神は本来形無く、空のうちに円満具足して自由自在であるから仮りに称して円相と云うのである。自由自在なるが故に或時は龍神の姿を現じ、また或る時は衣冠束帯の姿を現じ、或る時は天使天童の姿を現ずる。いずれの姿も権化であって偽りではない。しかし一つの形に執して、それのみを吾れであると思うものは、吾が真実を知らざるものである。吾が全相を知らざるものである。汝ら心して真を知れ。汝たちも神の子であるから我れと同じきものである。肉体は汝の一つの現れであって汝の全相ではないのである。(昭和7年4月10日神示)】
 
 

実相を顕わす原動力は“神”への「信」なのだ。

2021-05-06 11:09:22 | 日記
実相を顕わす原動力は“神”への「信」なのだ。
2021/5/6
実相を顕わす原動力は“神”への「信」なのだ。
“神”の力、“神の国”を「信」じるから
実相があらわれるのである。
宗教やってても神を信じていなければ、
心の救いには程遠いのである。
宗教の名を借りた現象崇拝ではだめだ。
(奇跡の時は今 J・Eアディントン著 谷口雅春訳)
【然り、神癒の力は聖木の切片の中にあるのでもなく、エスキュラピアスの神像の中にあるのでもなく、“人間イエス”の中に在るのでもなく、また況んや、人間が服用する薬剤の中にあるのでもないのである。すべての力は“神”に属するのである。神の全能の力のみが唯一つの“力”である。そのほかに“力”はないのである。イエスは次の如く言っているのである。
「汝の信仰、汝を癒せり・・・・われみずからにては何事をも成し得ず、天の父、われに在(いま)して御業を為さしめ給うのである」】
「神」が「存在のすべて」だと思うようになり、
この世の一切合切が「神」なんだと
感じられるようになれば、
もう実相は現われているのである。


大生命は、金剛不壊なる“原理”なのである。

2021-05-06 10:47:09 | 日記
実相は金剛不壊なる原理である、
完全なるものである、
しかも触知できない「神」なるものだ。
この真理を心に止めておくと心強い。
(奇跡の時は今 J・Eアディントン著 谷口雅春訳)
【わたし達は皆、わたし達の内部にいるところの神にまします“大生命”は如何なる人間が如何なる見解を執ろうとも、それによってその力を減衰することの出来ない金剛不壊の存在であることを知らなければならないのである。その生命力は何人が如何なる診断を下すとも減衰することはできない。それは“原理”なのである。原理は完全である。それは変更することも傷つけることもできないのである。】