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記念日や行事・歴史・人物など気の向くままに書いているだけですので、内容についての批難、中傷だけはご容赦ください。

大阪弁がよかった「浪花千栄子」(俳優)の忌日

2006-12-22 | 人物
1973(昭和48)年 の今日(12月22日)は、「浪花千栄子」(俳優)の忌日。<66歳> 1907年11月19日生]
浪花 千栄子(なにわ ちえこ)と言えば、戦後の日本映画界を代表する名脇役の女優であった。出演した映画は数知れないが、ちょっとアクの強い役から、上品なおばさんまで幅広い役柄を上手に大阪弁を使いこなして演じていた。
今、日本のどこへ行っても、関西弁が普通に通用するのは、1980(昭和55)年に捲き起こったテレビでの“漫才ブーム”に負うところが多いだろう。関西地方の方言である関西弁が全国的に通用するようになったのは、その立役者ともいうべき”漫才ブーム”の発信地が、関西ではなく、東京のTV番組であった点にある。(以下参考の笑ってる場合ですよ! 参照)。
関西弁と言っても大阪・京都・神戸などと地域によってかなり差異がある。この”漫才ブーム”の中心にいた関西の芸能人、概ね吉本の漫才家たちの使っている言葉は、関西弁のなかでも特に大阪地方の言葉・大阪弁といわれているものである。その大阪弁の代表的なものは船場の言葉や大阪府南部の河内弁だろう。そして、今、関西のお笑いタレント言われる人達に盛んにつかわれているテンポの速いものは、河内弁に近いものである。
大阪弁(大阪言葉) の中でも大阪府北部の摂津、南部の河内和泉(泉州)ではかなり印象が異なる。大阪府南部の方言は他の地域の出身者には、きつい表現に聞こえ驚かせることがある。今、私達の耳にする関西の漫才家などが使っていることばは、この南部地方のことばである。今の速いテンポの漫才のノリには、この南部言葉があっているのかも知れない。それに対して、船場言葉 は、昔の船場商人の言葉であり、京都弁にかなり近く、まろやかな言葉である。今では、古典落語などでしか耳にする機会がないが、老舗商家の年配の人たちには今でも一部残っている。
摂津弁 は、大阪市域から北摂地域、阪神地域で使用されており、北摂地域では京都弁との類似も見られる。
浪花千栄子はこの大阪弁が正確に話せるというので、ドラマや映画などで、大阪弁を話せない地域の人達に役作りのための大阪弁の指導をしていたとも聴いている。
私は、浪花千栄子の言葉は、非常に綺麗な大阪弁であったと思っているが、今回ブログを書くので調べてみると、彼女は、船場の生まれではなく、大阪府南河内郡(現・富田林市)つまり、河内の生まれだったんだよね。それでは、何故彼女が、京都弁との類似も多い、仙波や摂津の言葉を上手に話せるようになったのか?・・・と思ったら、それは、彼女の生い立ちにあるようだ。
彼女は、南河内郡東板持町の養鶏業を営む家に生まれ、8歳の時に、道頓堀の仕出し弁当屋に女中奉公に出され、、その後、京都で女給として働いていたそうだが、18歳のときには、知人の紹介で舞台にも立つようになり、その後、いろいろと曲折の後1930(昭和5)年に、渋谷天外 (2代目)、曾我廼家十吾らが旗揚げした松竹家庭劇に加わり、同年、渋谷天外と結婚し、松竹家庭劇、および1948(昭和23)年天外らが旗揚げした松竹新喜劇の看板女優として活躍していた。しかし、天外と新人女優九重京子との間に子供が生れたのをきっかけに天外と離婚し、1951(昭和26)年、松竹新喜劇を退団する。
現在もある、松竹傘下の松竹新喜劇は、今活躍している藤山直美のお父さんの名優:古藤山寛美のいた劇団であるが、もともと、同じ上方を本拠地とする吉本新喜劇と異なり、分かりやすい筋書きの人情喜劇を売りにしていたところである。天外にしても寛美にしても綺麗な大阪弁を使っていた。
松竹新喜劇を退団し、芸能界から身を引いていたが、請われて、NHKラジオの『アチャコの青春手帖』に花菱アチャコの母親役として出演。人気を博した。また1952(昭和27)年には、映画(アチャコ青春手帳)にもなり、アチャコとの絶妙のコンビネーションは一世を風靡した。引き続き、『お父さんはお人好し』にも二人で出演、長寿番組となり、斎藤寅次郎監督により1955(昭和30)年、映画(にもされた。
この頃の花菱アチャコ、浪花千栄子らの大阪弁の評判は、大阪弁がただ方言として面白いと、もてはやされただけのものである。私が浪花千恵子のことを良く知るようになったのもこの頃からのことである。
私が昭和30年代初めに大阪の本町にある商社で仕事をしていた時にはまだ、年配の人たちは、船場の言葉を使用しており、神戸っ子の私も、何時しか、この言葉を得意になって使うようになった。同年代の仕事仲間には南部の河内の言葉を使うものがいたが、正直いって、品のない言葉だと思ったし、私の地元神戸の神戸弁もどちらかと言うと港町特有の荒っぽい言葉だったので、すぐに、感化されたと言う感じであった。その時、本当に大阪弁はいいものだと思った。しかし、昭和30年代の後半、私が、東京の会社へ転職したころ、スローなテンポで大阪弁を話す私は、普通に普通のことを話しているだけでおかしい(おもしろい)と笑われた。まだ新幹線も開通していなかったこの当時には、東京には、まだ大阪の人間は殆どおらず、大阪人と江戸っ子の交流は少なかったのである。東京から見ればまだまだ大阪弁は地方の方言であった。
このころ、同時に、彼女の映画出演も続き、溝口健二監督の『祇園囃子』で茶屋の女将を好演し、ブルーリボン助演女優賞を受賞して以来、溝口監督、木下恵介監督らに重用される。記憶に最も印象強く残っている作品に、織田作之助の小説を原作とした豊田四郎監督の映画『夫婦善哉』(1955年)がある。織田作之助は大阪を舞台にした小説を得意とした人気作家である。主演の森繁久弥淡島千景 と共演した。主演の森繁は大阪府<枚方市出身であった。そして、この作品を読んだときに「古くさい映画界に新風を吹き込み、大阪弁を一地方の方言ではなく日本の言葉にしてやる」と意気込んだと聞く。芸者上がりの蝶子 と所帯を持った大店のドラ息子(柳吉)との間を描いているコミカルな映画だが、森繁の大阪弁が実によい。それと、稼ぎのない柳吉のために、しっかり者の蝶子は、ヤトナの周旋をしている旧知のおきん(浪花千栄子)の世話でヤトナ芸者を始めるが、蝶子を親身になって見ている浪花千栄子の存在感が脇役でありながら光っていた。黒澤明の『蜘蛛巣城』(1957) 、内田吐夢の『宮本武蔵』(1961)、小津安二郎の『彼岸花』(1958) などでも存在感を示している。又、勝新太郎の出世作『悪名』(1961) で主人公に渾身の折檻を加える女親分の役も忘れ難いものである。
テレビドラマでも『太閤記』、『細うで繁盛記』などに出演し、人気を博した。
彼女は、幼い頃から、京都で働き、京都弁を身に付け、そのような苦節の少女期の体験から、やさしさの底に凜然とした強さを持ち、天性の芸才とたえまない修練とによって、他の追随を許さない独得の芸域をつくりあげたようだ。
関西に縁の深い女優であることから、1973(昭和48)年3月に行われた阪神タイガース村山実の引退試合では村山に花束を手渡し、「村山はん、あんたほんまに長いことようおきばりやしたなぁ。おおきに、おおきに」とねぎらいの言葉を贈り、その言葉は多くの観衆の涙を誘ったといわれる。
ちなみに浪花千栄子は、芸名で本名は、南口キクノ。彼女は、オロナインH軟膏のCMに出演し、ホーロー看板にも登場していたことで知られているが、このCMへの出演は、本名の読み「なんこう きくの」が縁だというから面白い。
1973(昭和48)年の今日(12月22日)亡くなった。享年66歳であった。没後、勲四等瑞宝章を受章している。
渋谷天外や浪花千栄子らの芸を受け継ぎ、松竹新喜劇で、「あほの寛ちゃん」として人気を博していた藤山寛美も1990(平成2)年に亡くなった。「遊ばん芸人は花が無うなる」という母親の一家言を守り、夜の町を金に糸目をつけず豪遊したというが、何故か、あほうな役や頼りない男には、大阪弁がよく似合った。それは、今、吉本などの漫才家が使っていた大阪弁ではない。アチャコや森繁や、天外や浪花千栄子らが使っていた大阪弁である。大阪弁が、一地方の方言から、全国区の言葉になってから、本当の伝統的な大阪弁が消えたと思うと悲しい。今の私には、自分が若い頃馴染んでいた大阪弁が懐かしい。
(画像は、オロナインH軟膏の看板、人物は浪花千栄子)
浪花千栄子 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B5%AA%E8%8A%B1%E5%8D%83%E6%A0%84%E5%AD%90
浪花千栄子 (ナニワチエコ) - goo 映画
http://movie.goo.ne.jp/cast/100261/index.html
浪花千栄子:オロナイン軟膏を追え!
http://www.geocities.jp/kazetaro2002/naniwa.htm
笑ってる場合ですよ! - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AC%91%E3%81%A3%E3%81%A6%E3%82%8B%E5%A0%B4%E5%90%88%E3%81%A7%E3%81%99%E3%82%88!
関西弁 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%96%A2%E8%A5%BF%E5%BC%81
喜劇の元祖-曾我廼家五郎・十郎展
http://www.library.pref.osaka.jp/nakato/shotenji/61_soga.html
村山実 - 暇つぶしWikipedia
http://mobile.seisyun.net/cgi/wgate/%E6%9D%91%E5%B1%B1%E5%AE%9F/a


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10 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
船場言葉 (Linda)
2006-12-22 10:17:44
よーさん、お早うさんです。
僕の高校のラグビー部の顧問は綺麗な大阪弁でした。その綺麗な大阪弁で随分厳しい指導をしてはりました。今は船場言葉どころか河内弁も色々混じってグチャグチャになったと思います。僕は大阪弁(僕の場合は河内弁ですねえ)が方言であった時代の方が良かったかなあと思います。訛りは国の手形であるべきだと思います。
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お久し振りです。 (トラ)
2006-12-23 01:30:32
 私が大阪弁を知ったのは、文中に出てくるラジオ番組でした。
アチャコとのコンビは絶妙でしたね。
しかし、実際に自分が大阪で出会った大阪弁は、
何だか馬鹿にされているように感じました。
嘆いているように、本物の大阪弁ではなかったんでしょうね。
九州人から見ると、遠慮の無い関西弁は、
馬鹿にされていると感じる人が多いようですね。

 浪速千恵子さんの大阪弁や、どてらい奴で聞いた船場言葉が懐かしいです。
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大阪弁 (よーさん)
2006-12-23 07:39:19
Lindaさん、河内弁の余り上品じゃ~ないが、私の地元神戸弁も浜言葉なので、綺麗ではないですよ。県下なんかで使うと恐いですよ(^0^)
だから、私も早く大阪弁に染まったのですよね。
トラさん、書き込み有り難う!
地方によって、大阪弁を嫌う所は結構あるようです。私は、仕事で全国へ出かけてましたが、特に東北の人など嫌いますよ。大阪弁と言うよりも大阪人をというか、大阪商人を嫌っているようです。「ずるい」ということらしい。大阪人は駆け引きをするので、1本気な東北の人たちには、人を騙している、馬鹿にしているように感じるのでしょうね。
大阪から東北地方へ転勤していった者達がそういってこぼしてました。
地方の言葉は地方で使うのは良いですが、他の地方で使うと誤解される事もありますね。

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東北と上方 (ザ・ランス)
2006-12-23 10:19:25
 東北地方といっても一概には言えないでしょうが、少なくとも日本海側は、北前船以来の歴史的関係で、大阪(上方)との縁は深いんじゃないでしょうか?昨夜テレビで「たそがれ清兵衛」をやってたけど、あの言葉、発音やイントネーションはともかく、単語レベルでは関西と共通するものが多いと思いました。新潟だって、東京に近付いたのは昭和初めに清水トンネルができてからだろう。それ以前は「関西圏」だったはずです。
 やはり北前船で栄えた山形県の酒田へ行ったとき、本間家を「あれだけの豪商は大坂にもちょっとなかったんじゃないか」と持ち上げたら、えらい喜ばれました。そんな商売を通じての対抗意識みたいなものはあったかもしれませんが・・

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ザ・ランスさんへ (よーさん)
2006-12-24 10:48:12
ザ・ランスさんへ、ご指摘の件ですが、
私も、仕事で酒田へはよく行きました。酒田で本間家は殿様よりえらいと歌にまで歌われていることは知っています。夜酒田で食事などに行くと、壁に京言葉が掲示しているところもあった。それは、酒田の言葉だという。酒田が京都と交流があったわけではない。中世の時代、京都の反体制派の公家達が多く遠くの島に流罪されたが、罪によって島ではなく陸地の場合、東北地方に流され、中でも酒田には多く流されたようだ。そのような関係で京言葉が多く残っているようです。少なくとも中世の時代というか江戸時代頃まで、江戸以北は関西人にとって異境の地であった。江戸が、その結界であった。
酒田だけでなく、秋田、山形、新潟などどこでも東北地方の豪商と言うよりも豪農は関西では想像もできないくらいの力を持っており、彼等をその財力を活かし色んな事業にも手を出している。
古くから北前船での物資の流通があったが、だからと言って関西人が東北へどのぐらい出かけたかは私には想像できません。もしあったとしても、関西弁が土地に根付くほどのことはないでしょう。
終戦後でも東北はまだ関東圏なので、私が商社で繊維関係の仕事をしているときでも、東北地方への小問屋への卸は東京の商社や大問屋を通してやっているのでそう交流はなかったはず。
江戸時代になって江戸に関西商人が多く江戸に店を構えた。そのころから、そんな関西人と東北の人たちと商売の接点はあったでしょう。
関西人は、特に大阪の商人は駆け引きをするのが普通であった。売る値段には当然値切られる事を前提に掛け値がしてある。このようなことは、昭和30年代頃まであった。私の母親など百貨店でも値切っていた。
そんな気風は、東北人の気風と合わないように思う。恐らく、良い悪いの問題ではなく、そういった商売のやり方なんかがずるい人に見られたのでしょう。大阪の言葉は、そういった商人どうしの駆け引きにはもってこいの言葉です。だから、のんびりとしたテンポで、曖昧な話し方をする大阪言葉が、どちらかというと生一本の東北人にはずるい人のしゃべる言葉にも見えたのではないかと想像しています。
終戦後まで東京の人の多くは東北人でした。東京は大阪の商人の町ではなく、立て社会であり、だから、お堅い人が多い。駅での電車待ちできっちりりと列を作り、乱す人はいない。大阪では始めは列を作っても電車がつくと列は乱れ我先にと電車に乗り込む。そういったことは、東京では全くない。性格の違いである。
私も、東北の人全員にあったわけではないし、何でも知っているわけではありません。だから、知っている範囲内での観想を書いているだけです。
いつも、ブログに対して、ご指摘いただいていますが、貴方の博識には感心しています。
私は、年寄りのボケ防止のつもりぐらいで、読書感想文を書くくらいなつもりでブログを書いています。
何も研究発表をしているわけではありません。
博識なあなたから見れば、何を馬鹿なことを書いているかと思われるかも知れませんが、たいしたことは書いていません。
あなたから見れば指摘したいことが山とあるでしょう。博識で正義感が強いのでしょう、あなたには、どんな些細な事でも気になって仕方がないのでしょう。
しかし、私のような、いい加減な性格で、言われている方にすれば、なんかいちいち、書くことに、悪い酔っ払いに絡まれているよう気分にだんだんとなり、最近は、いちいち回答をすることに疲れを感じるようになりました。
ですので、もう、このようにくどくどと、ご指摘に対して回答を書くのも最後にしたいと思います。
正直言って、もう、見て欲しくないのです。
以後、何を書かれても回答はしません。悪しからず、ご了承ください。
もし、非難中傷の場合には削除もさせていただきます。
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申し訳ありません (ザ・ランス)
2006-12-24 12:37:13
 私も、どっかで読みかじったようなことをつなぎ合わせているだけでして、たいした知識でもありません。ただ、お互い知ってることを述べ合って、触発しあえればいいかと思ったまでです。どちらが正しいなんてことは最初から気にしてませんし。
 しかし、ご迷惑なようですので、今後は一切口出ししません。どうか心おきなくブログをお続け下さいますよう。

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始めまして (TOSSY)
2007-01-19 22:28:38
検索で浪花千栄子さんのことを調べていて たどり着きました

私の知りたかった情報は残念ながら まだ見付かっていませんが・・

大阪の言葉に執着しているものです
両親ともに大阪市内生まれでした
今の吉本言葉が 大阪弁と思われていることに 憤慨しています
河内の言葉に近いと言うご指摘はその通りだと思います

浪花千恵子さん とても美しい言葉を話されていました
一度 お会いしたことがあるのです
最晩年のころですが とてもお美しかったです
本当に柔らかな大阪言葉で 付き人さんもチャンと相手に紹介され 「お友達で私のお世話をして下さっている方」と言う表現をされたので 心に残っています

もう本当の大阪弁を話せる人は 少なくなりましたね
田辺聖子さんの大阪弁は 大阪下町の言葉で 私の母などの使っていた言葉ですね
おなじ福島区の出だからでしょう

初めてのところで 長居をいたしました これからも時々 遊びに越させていただきますね
よろしく
返信する
関西弁 (よーさん)
2007-01-20 09:44:24
TOSSYさん、書き込み有り難う!
浪花千栄子さんの関西弁は、本当に良かったですね。
昔は、浪花千栄子以外でも関西の芸人さんの話し言葉は、夫々、多少地域差はあるとしてもおっとりとした楽しい話し方でした。
今では落語家の米朝さん他数人しかちゃんとした大阪弁をしゃべれなくなっているのではないでしょうかね。
そうなった原因には、TVなどでの出演で、コマーシャルとコマーシャルの間の短い時間で多くの事をしゃべろうとして、早口になったことも影響しているように思います。
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関西弁って (ストラちゃん)
2007-03-08 00:51:23
かつて、大阪では浪花千栄子の大阪弁がイントネーションや語彙に間違いがあると指摘する人がいました。彼女の場合、初期メディア大阪弁といえるでしょう。彼女が小津映画で話した京都弁も、あれは違うという京都人もいました。
 ま、どちらにしろ、大阪生まれの私の周りには、あのような言葉を使う人が普通でしたし、それがきれいかどうかを考えたこともありませんでした。
 ただ京都の大学に入学して京都の学生と話した時に、≪~けぇ≫という語尾を聞いた時に変やなと思ったものでした。結局京都の中でもいろいろで、メディアが作り上げた京都弁対大阪弁などという無意味な対比の中で今日とは丁寧、大阪は乱暴と、何の根拠もない説が流布しだしたのでしょう。結局は、地域の階層構造、職業構造と、その言葉を序列化してみようとする人たちが、偏見を強化していったと思います。
 さらに吉本の若手芸人の言葉は典型的な≪東京化して関西弁≫です。90年代の東京進出戦略の中で全国に受け入れられる、私から見れば非常に品のない若者言葉が広がっていきました。
 その典型が、上方には存在しない≪おかん≫という言い方ですね。
どうでしょう。この言葉、どこから来たのでしょうか。80年代後半から悪ぶった若美者に広がりだしたと思いますが。
 ま、ともかく、私は、河内でも泉州でも、丁寧でおっとりした話し方をする人を大勢知っていますし、京都の中京で柄の悪い人も知っています。≪土地柄≫で言葉を判断することには賛成しかねます。皆さん、いかがですか。
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ストラちゃん書き込み有り難う (よーさん)
2007-03-08 09:58:11
ストラちゃん京都弁にしても大阪弁にしてもその地域によって違う言葉が多いでしょうね。昔は、地域が狭いから、地域地域独特の言葉があるでしょうね。
神戸でも東とに西では違うようです。
神戸は浜言葉なので、これは全国どこでも同じですが、気性の荒い人たちが多いので荒っぽい言葉が多いですね。だから、私も極力使わないようにしていますが、やはり地元の言葉、いつの間にか使っています。
話し言葉の場合は、言葉そのものより、話し方の方が大切でしょうね。ゆったりとしゃべるとどこの言葉でそれなりに、いい言葉ですよ。でも、吉本のタレントの言葉は好きではありません。下品です。
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