
日本記念日協会の今日の記念日を見ると「サンゴの日」があった。記念日の由来を見ると、”3月5日の語呂合わせから。サンゴはサンゴチュウが作る石灰質の骨組みのこと。この日にサンゴを身につけていると幸運が訪れるという言い伝えもある。ちなみにサンゴは、アクアマリン、ブラッドストーンとともに3月の誕生石となっている。 ”・・とあった。しかしここに書いてある設定の由来を見ると、なにか、珊瑚製品や宝石類を扱っている業者が記念日を設定したのではないかと思えるような内容なのだが、そのような業社などの販促手段のためのものであれば、普通、業者名やそのような団体名を明らかにしているのにそれがなく、何処の企業なり団体が、何を目的でこの記念日を設定したのかは明らかではない。
そのため、NETで「珊瑚の日」で検索をしてみると、以下参考に記載の※:「366日の記念日編「今日は何の日」」のページには、“世界自然保護基金(WWF)が1996(平成8)年に制定した。同基金は、この年から石垣島・白保に珊瑚礁保護研究センターを建設する運動を開始し、2000年(平成12)年4月に「しらほサンゴ村」をオープン。海の大切さを広く知らせる活動に取り組んでいる。”・・・と書かれていた。ここは、日本の昔話や民話などなかな面白い記事を真面目に採りあげているところなので、以前にも何度か参考にさせてもらったことがある。多分、ここに書かれているように、世界自然保護基金(WWF)の日本支部 「WWFジャパン」が制定したものだろうと思われる。
世界自然保護基金は、世界最大の非政府組織(NGO=英: Non-Governmental Organizations.)による自然環境保護団体である。英語の「WWF」は、現在は「World Wide Fund for Nature」(世界自然保護基金)の頭文字として使われているが、この「WWF」は1961年の設立当初、「World Wildlife Fund」(世界野生生物基金)という名称を用いており、「WWF」はその略称であったが、その後、活動を野生生物の生息地を含めた、自然環境の保全に拡大したことから、名称もこれに合わせ、1986年、World Wide Fund for Nature(世界自然保護基金)に変更したようだ。ただし、WWFアメリカとWWFカナダのみ、World Wildlife Fundの名称を継続して使用しているという。「WWFジャパン」は、世界16番目のWWFとして東京で設立されている。
日本では、1968(昭和43)年に、東京動物園協会の古賀忠道理事長らを中心としてWFJC(野生生物保護基金日本委員会)が設立されていたが、1971(昭和46)年9月22日にWWFジャパンが発足した。現在の代表者・会長は、川恒孝。秋篠宮文仁親王殿下を名誉総裁としている。東京事務所のほか、「366日の記念日編「今日は何の日」」のページに書かれているようにWWF サンゴ礁保護研究センター(通称:しらほサンゴ村)」が設けられている(以下参考の※:「WWFジャパンホームページ」参照)。
珊瑚(サンゴ)は、樹木のように枝分かれしているものもあり、一見植物のように見えるが、クラゲやイソギンチャクと同じような、刺胞動物門の花虫綱に属する動物(サンゴ虫)のうち固い骨格を発達させる種であり、昼間は、石のように動かないが、夜になると触手を出してせっせと動物プランクトンを食べている。
サンゴには単独で生活をしている単体サンゴもあるが、多くは群体で、出芽によって生じた新個体が親からはなれないで,次々につながっていき、その形成する形は、テーブル状・岩状・枝状などさまざまである。
サンゴは広義には、サンゴ礁を形成する造礁サンゴ(イシサンゴ)類を含むが、元来は、宝飾等に加工できる深海からとれる硬い真性サンゴ類、つまり、宝石珊瑚(八放珊瑚=花虫綱八方サンゴ亜綱サンゴ科に属する)と呼ばれるもののことを言っていた。八放珊瑚は水深100~400メートルの岩に根を下ろしたような形で生息するが、サンゴ虫が死ぬと外部の組織が腐敗して、骨格だけが残るが、その残った骨格が本サンゴであり、 赤珊瑚・桃珊瑚・白珊瑚・地中海珊瑚・深海珊瑚・ピンク珊瑚などになる。このような宝石になる珊瑚は、日本の(土佐沖、鹿児島沖、沖縄沖、小笠原など)や地中海、オーストラリアなどで産出されるが、中でも、周囲を大陸だなに囲まれている日本は、現在世界的な珊瑚の漁場とされているようで、最高品質の珊瑚は、高知県の室戸沖で採取されているそうだ。これらは、古来、七宝の1つにも数えられていたものだが、その成長は大変遅く、10年で約1mm程度しか成長せず、又、これらは乱獲による産減が激しいという。 結婚35周年の結婚記念日を珊瑚婚式という。「さん・ご」の語呂合わせからか昔から珊瑚婚のお祝には珊瑚が選ばれている。余談だが、私の母親も大きな赤いサンゴの帯止めを大切にしていたのを覚えているが、いつの間にかなくなっていたが、これらは、戦後の混乱期に、父が商いが上手く行かなくなり、生活に困窮したときに、生活費を得るための質草となりそのまま流れてしまったのだろう。
後年、このような宝石珊瑚とは別に、暖かい浅海の海岸で見受けられるよう珊瑚礁を形成する造礁サンゴ類も珊瑚と呼ばれるようになった。造礁サンゴ類は、成長がかなり早くて、中は軽石の状態なので柔らかく、宝石サンゴのようにいくら研磨しても光沢は出ず、加工には適していない。
サンゴ礁の形成にかかわるサンゴ類をまとめて造礁サンゴというが、これらは、いくつもの分類群にまたがっているが、最も重要なのが花虫綱六放サンゴ亜綱に属するものであり、造礁サンゴの大部分を占め、世界で約800種が現存するという。
石灰質(炭酸カルシウム)の骨格をつくるイシサンゴ類の集合体を造礁サンゴと呼ぶが、サンゴ礁には、サンゴ以外にも多くの石灰質生物がすみつくので、これらの死骸が次第に固まって石灰岩(サンゴの骨格)となる。
サンゴ礁は、造礁サンゴが生育する熱帯から亜熱帯の海域に見られる。熱帯・亜熱帯地方の暖流が流れている浅瀬の海には、色とりどりの美しいサンゴ礁が広がっている。サンゴ礁は、動物性プランクトンが少ないため海水の透明度が高く、太陽の光がかなり深くまで届く。サンゴ礁には、サンゴガニやエビなどの甲殻類、貝類、カイメン、ゴカイ、フジツボ、そして、サンゴを食べる動物、サンゴの枝のすきまを隠れ家として利用する動物、サンゴの骨の中に埋まって安全に暮らす動物などがさまざまな種類の魚たちがサンゴ礁で暮らしている。
子門真人の歌で大ヒットした童謡「およげ!たいやきくん」のてっぱんから逃げ出したたいやき君も、海に逃げ出して、初めて泳いだ海の底では、「ももいろサンゴが てをふってぼく(たいやき君)の 泳ぎを 眺めていた」という。(^0^)
♪あ- 私の恋は南の風に乗って走るわ
あ- 青い風切って走れあの島へ・・・
あなたと逢うたびに
すべてを忘れてしまうの
はしゃいだ私は Little girl
熱い胸 聞こえるでしょう
素肌にキラキラ珊瑚礁
二人っきりで流されてもいいの
あなたが好き
(以下略)
松田聖子の2枚目のシングルで、1980(昭和55)年第22回「日本レコード大賞」新人賞を受賞した「青い珊瑚礁」(作詞:三浦徳子 作曲:小田裕一郎)。以下で、当時の初々しい彼女の歌唱が見れる。
Uou Tube-松田聖子 青い珊瑚礁(1980年)
http://www.youtube.com/watch?v=t-ZpX9hv8s4
この同じ年に公開された、ブルック・シールズ主演映画「青い珊瑚礁 」 (ヘンリー・ドヴィア・スタックプールの同名小説の映画化。1948年映画のリメイク版)も、美しい南太平洋の無人島を舞台にした、少年と少女の楽園のアダムとイヴのようなラブストーリーであった。ブルック・シールズが非常に初々しくって綺麗だったな~。この映画が、どうも、松田聖子の歌の元ネタのようだが、彼女はこの曲の大ヒットにより女性アイドルのトップスターへと大躍進した。
サンゴ礁は場所や環境によって、形成されるタイプはさまざ。沖縄の島々の周りに発達するサンゴ礁は島の海岸の前(居住地や村落に近い場所)に形成されている。
熱帯の海は青く美しく澄んでいてたいへんきれいであるが、栄養に乏しいため本来動物がくらすにはいい環境とはいえない。しかし、サンゴ礁には、サンゴが生息することによって、栄養と住む場所が提供され、動物などが暮らすようになり、サンゴはこれらの生きものたちとお互いに依存しあって生きている。だから、サンゴ礁からサンゴが姿を消してしまうと、サンゴを食べにくる動物だけでなく、 サンゴ礁をすみかにしている動物も姿を消してしまうことになる。サンゴ礁に依存している生き物の種類は非常に多く、サンゴ礁は「海の熱帯林」とも表現されている。
南西諸島の中心に位置する沖縄の海では、昔から素晴らしいサンゴ礁を見ることができた。
しかし、戦後、沖縄が日本に返還されて以来、大規模な空港や道路、ダムの建設などが行なわれ、また亜熱帯林の伐採や土地改良事業などが進められた結果、赤土が頻繁に海に流れ込むようになり、サンゴ礁環境は重大な悪影響を被るようになり、さらに、1970年代にはサンゴを食べるオニヒトデが大発生し、その食害で一時は死滅を心配されたが、これらの深刻な脅威をまぬがれてきた沖縄県石垣市白保地区では、既存の石垣空港が第二次世界大戦中に造られた海軍飛行場を基にしており、滑走路が1,500mと短く、大型機の離着陸ができないため、白保のサンゴ礁の海を埋め立てて、新しい空港を建設しようという新石垣空港の建設計画が、1979(昭和54)年に発表された。これが、ブルック・シールズの映画や松田聖子の歌「青い珊瑚礁」が大ヒットした前年のことである。この建設計画に対し、地元白保では根強い反対運動が展開され、この運動により、沖縄のサンゴ礁が農業や公共工事による赤土流出で消失しつつあるなかで、白保のサンゴ礁は、数少ない良好な生態系を残したサンゴ礁である事が知られるようになり、特に世界最大級のアオサンゴ群落が存在することが注目を集めた。そして、WWFや日本自然保護協会などの環境団体も加わり、さまざまな調査や計画の見直しを求める活動が行なわれるようになった。そして、反対運動側は1988(昭和63)年に国際自然保護連合(IUCN。以下参考の※「:UCN日本委員会」参照)総会で危機を訴える手段に出、国際的な自然保護団体の調査や圧力が強まる中、1989(昭和64)年に白保埋め立て案は撤回されたものの、空港建設の計画自体は消えることなく、紆余曲折を経て、白保の海上、宮良牧中、と建設予定地を変えてきた。思い起こせば、1989(昭和64)年のこの年に沖縄県西表島において、朝日新聞社のカメラマンが珊瑚に「K・Y」という傷をつけ、その写真を基に新聞記事を捏造した虚報事件があったね~。自然破壊と環境破壊に対するキャンペーン記事を掲載していた朝日だけに、自然破壊の状況を効果的にを訴えようとの事からのようだがつまらぬ事件を起こしたものだ( ここ参照)。
その後、1998(平成10)年稲嶺惠一が沖縄県知事になると、前知事の決定を白紙に戻して、いろいろな建説候補地の中からカラ岳陸上案が、選定委員による投票の結果、賛成34反対1で選定され、2006(平成18)年10月起工、2013年(2012年度末)に開港予定で工事が進められている。この唯一の反対票を投じたのがWWFジャパンだそうで、理由は、“カラ岳陸上部での空港の建設は、海を直接埋め立てるわけではないとはいえ、サンゴ礁の海と沿岸部の生態系のつながりを分断してしまう。また、空港建設に伴う表土の移動や地形の改変は、建設場所がサンゴ礁にあまりにも近いことから、赤土の流出、地下水系の汚染といった、サンゴ礁生態系への直接的な影響も危惧され、そのまま容認するわけにはいかなかった”からだという。 一方地元では、経済効果や、現空港による騒音被害の解消などを求めて、新空港の早期建設を強く望む声がある一方、新空港建設による急速な変化に対する不安や、かけがえのない島の自然を失うことへの反対の声もあるようだ(これら「白保のサンゴ礁」のことについては、「WWFサンゴ礁保護研究センター「しらほサンゴ村」を参照)。
このような、自然環境の保全と国や地域の経済や生活上の諸問題との調整や調和をどうすべきかが、近年世界中で問題になっているところである。
サンゴの日(Ⅱ)へ
そのため、NETで「珊瑚の日」で検索をしてみると、以下参考に記載の※:「366日の記念日編「今日は何の日」」のページには、“世界自然保護基金(WWF)が1996(平成8)年に制定した。同基金は、この年から石垣島・白保に珊瑚礁保護研究センターを建設する運動を開始し、2000年(平成12)年4月に「しらほサンゴ村」をオープン。海の大切さを広く知らせる活動に取り組んでいる。”・・・と書かれていた。ここは、日本の昔話や民話などなかな面白い記事を真面目に採りあげているところなので、以前にも何度か参考にさせてもらったことがある。多分、ここに書かれているように、世界自然保護基金(WWF)の日本支部 「WWFジャパン」が制定したものだろうと思われる。
世界自然保護基金は、世界最大の非政府組織(NGO=英: Non-Governmental Organizations.)による自然環境保護団体である。英語の「WWF」は、現在は「World Wide Fund for Nature」(世界自然保護基金)の頭文字として使われているが、この「WWF」は1961年の設立当初、「World Wildlife Fund」(世界野生生物基金)という名称を用いており、「WWF」はその略称であったが、その後、活動を野生生物の生息地を含めた、自然環境の保全に拡大したことから、名称もこれに合わせ、1986年、World Wide Fund for Nature(世界自然保護基金)に変更したようだ。ただし、WWFアメリカとWWFカナダのみ、World Wildlife Fundの名称を継続して使用しているという。「WWFジャパン」は、世界16番目のWWFとして東京で設立されている。
日本では、1968(昭和43)年に、東京動物園協会の古賀忠道理事長らを中心としてWFJC(野生生物保護基金日本委員会)が設立されていたが、1971(昭和46)年9月22日にWWFジャパンが発足した。現在の代表者・会長は、川恒孝。秋篠宮文仁親王殿下を名誉総裁としている。東京事務所のほか、「366日の記念日編「今日は何の日」」のページに書かれているようにWWF サンゴ礁保護研究センター(通称:しらほサンゴ村)」が設けられている(以下参考の※:「WWFジャパンホームページ」参照)。
珊瑚(サンゴ)は、樹木のように枝分かれしているものもあり、一見植物のように見えるが、クラゲやイソギンチャクと同じような、刺胞動物門の花虫綱に属する動物(サンゴ虫)のうち固い骨格を発達させる種であり、昼間は、石のように動かないが、夜になると触手を出してせっせと動物プランクトンを食べている。
サンゴには単独で生活をしている単体サンゴもあるが、多くは群体で、出芽によって生じた新個体が親からはなれないで,次々につながっていき、その形成する形は、テーブル状・岩状・枝状などさまざまである。
サンゴは広義には、サンゴ礁を形成する造礁サンゴ(イシサンゴ)類を含むが、元来は、宝飾等に加工できる深海からとれる硬い真性サンゴ類、つまり、宝石珊瑚(八放珊瑚=花虫綱八方サンゴ亜綱サンゴ科に属する)と呼ばれるもののことを言っていた。八放珊瑚は水深100~400メートルの岩に根を下ろしたような形で生息するが、サンゴ虫が死ぬと外部の組織が腐敗して、骨格だけが残るが、その残った骨格が本サンゴであり、 赤珊瑚・桃珊瑚・白珊瑚・地中海珊瑚・深海珊瑚・ピンク珊瑚などになる。このような宝石になる珊瑚は、日本の(土佐沖、鹿児島沖、沖縄沖、小笠原など)や地中海、オーストラリアなどで産出されるが、中でも、周囲を大陸だなに囲まれている日本は、現在世界的な珊瑚の漁場とされているようで、最高品質の珊瑚は、高知県の室戸沖で採取されているそうだ。これらは、古来、七宝の1つにも数えられていたものだが、その成長は大変遅く、10年で約1mm程度しか成長せず、又、これらは乱獲による産減が激しいという。 結婚35周年の結婚記念日を珊瑚婚式という。「さん・ご」の語呂合わせからか昔から珊瑚婚のお祝には珊瑚が選ばれている。余談だが、私の母親も大きな赤いサンゴの帯止めを大切にしていたのを覚えているが、いつの間にかなくなっていたが、これらは、戦後の混乱期に、父が商いが上手く行かなくなり、生活に困窮したときに、生活費を得るための質草となりそのまま流れてしまったのだろう。
後年、このような宝石珊瑚とは別に、暖かい浅海の海岸で見受けられるよう珊瑚礁を形成する造礁サンゴ類も珊瑚と呼ばれるようになった。造礁サンゴ類は、成長がかなり早くて、中は軽石の状態なので柔らかく、宝石サンゴのようにいくら研磨しても光沢は出ず、加工には適していない。
サンゴ礁の形成にかかわるサンゴ類をまとめて造礁サンゴというが、これらは、いくつもの分類群にまたがっているが、最も重要なのが花虫綱六放サンゴ亜綱に属するものであり、造礁サンゴの大部分を占め、世界で約800種が現存するという。
石灰質(炭酸カルシウム)の骨格をつくるイシサンゴ類の集合体を造礁サンゴと呼ぶが、サンゴ礁には、サンゴ以外にも多くの石灰質生物がすみつくので、これらの死骸が次第に固まって石灰岩(サンゴの骨格)となる。
サンゴ礁は、造礁サンゴが生育する熱帯から亜熱帯の海域に見られる。熱帯・亜熱帯地方の暖流が流れている浅瀬の海には、色とりどりの美しいサンゴ礁が広がっている。サンゴ礁は、動物性プランクトンが少ないため海水の透明度が高く、太陽の光がかなり深くまで届く。サンゴ礁には、サンゴガニやエビなどの甲殻類、貝類、カイメン、ゴカイ、フジツボ、そして、サンゴを食べる動物、サンゴの枝のすきまを隠れ家として利用する動物、サンゴの骨の中に埋まって安全に暮らす動物などがさまざまな種類の魚たちがサンゴ礁で暮らしている。
子門真人の歌で大ヒットした童謡「およげ!たいやきくん」のてっぱんから逃げ出したたいやき君も、海に逃げ出して、初めて泳いだ海の底では、「ももいろサンゴが てをふってぼく(たいやき君)の 泳ぎを 眺めていた」という。(^0^)
♪あ- 私の恋は南の風に乗って走るわ
あ- 青い風切って走れあの島へ・・・
あなたと逢うたびに
すべてを忘れてしまうの
はしゃいだ私は Little girl
熱い胸 聞こえるでしょう
素肌にキラキラ珊瑚礁
二人っきりで流されてもいいの
あなたが好き
(以下略)
松田聖子の2枚目のシングルで、1980(昭和55)年第22回「日本レコード大賞」新人賞を受賞した「青い珊瑚礁」(作詞:三浦徳子 作曲:小田裕一郎)。以下で、当時の初々しい彼女の歌唱が見れる。
Uou Tube-松田聖子 青い珊瑚礁(1980年)
http://www.youtube.com/watch?v=t-ZpX9hv8s4
この同じ年に公開された、ブルック・シールズ主演映画「青い珊瑚礁 」 (ヘンリー・ドヴィア・スタックプールの同名小説の映画化。1948年映画のリメイク版)も、美しい南太平洋の無人島を舞台にした、少年と少女の楽園のアダムとイヴのようなラブストーリーであった。ブルック・シールズが非常に初々しくって綺麗だったな~。この映画が、どうも、松田聖子の歌の元ネタのようだが、彼女はこの曲の大ヒットにより女性アイドルのトップスターへと大躍進した。
サンゴ礁は場所や環境によって、形成されるタイプはさまざ。沖縄の島々の周りに発達するサンゴ礁は島の海岸の前(居住地や村落に近い場所)に形成されている。
熱帯の海は青く美しく澄んでいてたいへんきれいであるが、栄養に乏しいため本来動物がくらすにはいい環境とはいえない。しかし、サンゴ礁には、サンゴが生息することによって、栄養と住む場所が提供され、動物などが暮らすようになり、サンゴはこれらの生きものたちとお互いに依存しあって生きている。だから、サンゴ礁からサンゴが姿を消してしまうと、サンゴを食べにくる動物だけでなく、 サンゴ礁をすみかにしている動物も姿を消してしまうことになる。サンゴ礁に依存している生き物の種類は非常に多く、サンゴ礁は「海の熱帯林」とも表現されている。
南西諸島の中心に位置する沖縄の海では、昔から素晴らしいサンゴ礁を見ることができた。
しかし、戦後、沖縄が日本に返還されて以来、大規模な空港や道路、ダムの建設などが行なわれ、また亜熱帯林の伐採や土地改良事業などが進められた結果、赤土が頻繁に海に流れ込むようになり、サンゴ礁環境は重大な悪影響を被るようになり、さらに、1970年代にはサンゴを食べるオニヒトデが大発生し、その食害で一時は死滅を心配されたが、これらの深刻な脅威をまぬがれてきた沖縄県石垣市白保地区では、既存の石垣空港が第二次世界大戦中に造られた海軍飛行場を基にしており、滑走路が1,500mと短く、大型機の離着陸ができないため、白保のサンゴ礁の海を埋め立てて、新しい空港を建設しようという新石垣空港の建設計画が、1979(昭和54)年に発表された。これが、ブルック・シールズの映画や松田聖子の歌「青い珊瑚礁」が大ヒットした前年のことである。この建設計画に対し、地元白保では根強い反対運動が展開され、この運動により、沖縄のサンゴ礁が農業や公共工事による赤土流出で消失しつつあるなかで、白保のサンゴ礁は、数少ない良好な生態系を残したサンゴ礁である事が知られるようになり、特に世界最大級のアオサンゴ群落が存在することが注目を集めた。そして、WWFや日本自然保護協会などの環境団体も加わり、さまざまな調査や計画の見直しを求める活動が行なわれるようになった。そして、反対運動側は1988(昭和63)年に国際自然保護連合(IUCN。以下参考の※「:UCN日本委員会」参照)総会で危機を訴える手段に出、国際的な自然保護団体の調査や圧力が強まる中、1989(昭和64)年に白保埋め立て案は撤回されたものの、空港建設の計画自体は消えることなく、紆余曲折を経て、白保の海上、宮良牧中、と建設予定地を変えてきた。思い起こせば、1989(昭和64)年のこの年に沖縄県西表島において、朝日新聞社のカメラマンが珊瑚に「K・Y」という傷をつけ、その写真を基に新聞記事を捏造した虚報事件があったね~。自然破壊と環境破壊に対するキャンペーン記事を掲載していた朝日だけに、自然破壊の状況を効果的にを訴えようとの事からのようだがつまらぬ事件を起こしたものだ( ここ参照)。
その後、1998(平成10)年稲嶺惠一が沖縄県知事になると、前知事の決定を白紙に戻して、いろいろな建説候補地の中からカラ岳陸上案が、選定委員による投票の結果、賛成34反対1で選定され、2006(平成18)年10月起工、2013年(2012年度末)に開港予定で工事が進められている。この唯一の反対票を投じたのがWWFジャパンだそうで、理由は、“カラ岳陸上部での空港の建設は、海を直接埋め立てるわけではないとはいえ、サンゴ礁の海と沿岸部の生態系のつながりを分断してしまう。また、空港建設に伴う表土の移動や地形の改変は、建設場所がサンゴ礁にあまりにも近いことから、赤土の流出、地下水系の汚染といった、サンゴ礁生態系への直接的な影響も危惧され、そのまま容認するわけにはいかなかった”からだという。 一方地元では、経済効果や、現空港による騒音被害の解消などを求めて、新空港の早期建設を強く望む声がある一方、新空港建設による急速な変化に対する不安や、かけがえのない島の自然を失うことへの反対の声もあるようだ(これら「白保のサンゴ礁」のことについては、「WWFサンゴ礁保護研究センター「しらほサンゴ村」を参照)。
このような、自然環境の保全と国や地域の経済や生活上の諸問題との調整や調和をどうすべきかが、近年世界中で問題になっているところである。
サンゴの日(Ⅱ)へ